小文化学会の生活

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五次元チェスのもう少し詳しい話

 五次元チェス、あるいは5D Chessというゲームがある。正式には5D Chess With Multiverse Time Travelという名前だ。

 2020年の7月にリリースされたこのゲームは、日本語でもいくつかの紹介記事*1*2*3*4 が書かれ、Twitterでも何度か見かけた記憶があるので、それで知った人も多いのではないだろうか。

 おそらく、ほとんどの人はこのゲームのコンセプトを知って面白いなと思い、しかし、それだけだっただろう。数%の人は購入を検討したかもしれないが、実際に購入したのは私のようなよっぽどの物好きだけに違いない。

 これはいたって自然な流れであり、ネットではよくある話だ。しかし、実際に購入して遊んでみた結論として、このままで終わらせるのは少しもったいないなと私は思った。だから今この記事を書いている。要するに、この記事の目的は、もう少し詳細に五次元チェスを紹介することである。

 

 

 そもそも現在の五次元チェスを紹介している記事は、仕方がないことではあるが、5Dという言葉のキャッチーさに頼っている状態であり、その具体的な内容について触れている部分がどうしても少ない。購入を検討するにあたり細かい部分を知るためには英語で検索する必要が出てくる。この記事は、それらの点を補足していく存在としたい。

 よって、前半は長大なルール説明となるだろう。後半には、私の感想を付記したいと考えている。純粋なルール説明には興味が無いという方は、ぜひ以下の目次から前半を飛ばして後半から読み進めてもらいたい。

 

目次

 

前半 五次元チェスのルール説明 

 まず、何が五次元なのか。このゲームの言う五次元とは、空間の三次元に時間軸と並行世界の軸を加えたものである。しかし実のところ、空間の三次元のうち高さ(z軸)は実装されていないため、プレイヤーが操作しゲームに関与してくるのは、五次元ではなく四次元なのである。

 そのため、今後記事の中では、簡略化のため、ゲームボードの縦方向をX軸、横方向をY軸、時間軸をT軸、並行世界の軸をL軸と記述することにする。特に駒の動きをベクトルとして表記する場合は(X, Y, T, L)とし、敵陣方向をXの正方向、自陣から見て右方向をYの正方向、未来方向をTの正方向、敵が創造した並行世界の方向をLの正方向とする。並行世界の方向についてはよく分からないかもしれないが、詳しくは後述する。

 ゲームの勝利条件は、どこかの並行世界のどこかの時間において、敵のキングをチェックメイトすることである。全ての並行世界で詰める必要は無く、一か所だけでよい。特に過去の確定した盤面の世界のキングはキング自身が逃げることができないため、詰めやすい。

 

 五次元チェスでは、手番が行われるたびに時間が進む。そうすると、駒を動かし終わった新たな盤面が、古い盤面の右側に付け加わる。こんな感じだ。

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図1 T軸が進行する様子

  図1では、右側の盤面の下側に重なるように縦に伸びる黒色の帯が確認できる。この帯は、"現在"がT軸のどこにあるのかを示している("現在"については後述する)。また、手番が黒であれば帯の色は黒に、手番が白であれば帯の色は白になる。図1では先手の白が手番を行い黒の手番になったので、帯の色は黒となっている。

 重要なのは、駒を動かす前の古い盤面が消えないということである。そして、過去に時間遡行する場合は、過去の盤面のどこかの座標を指定してそこに移動することになる。ただし、タイムパラドックスを回避するため、過去に移動すると同時に世界が派生し、並行世界が誕生する。つまり、過去自体を上書きすることはできないのだ。ドラゴンボールのタイムマシンと同じである。こんな感じである。

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図2 並行世界が発生する様子

 図2は、3手目に、白が1手目を行う前の(つまり初期の)盤面にナイトを時間遡行させた結果、新たな並行世界が出現したところである。元の並行世界からは白のナイトが消えた新たな盤面が出現し、白は手番を行った扱いとなっている。新たな並行世界の盤面では、白のナイトが現れ、やはり白は手番を行った扱いとなっている。

 左側から見て奇数列目に存在する盤面は常に白の手番であり、偶数列目に存在する盤面は常に黒の手番となる。そして、過去に戻る場合、白は常に白の手番に戻る事しかできず、黒は常に黒の手番に戻る事しかできない。つまり、(0, 0, -1, 0)という移動を行った場合、移動先の盤面は、画面上は、1つではなく2つ左側の盤面ということになる。これはどうしても直感と反するので、慣れが必要である。また、このことからも分かる通り、nを任意の整数として、白にとってのT=nの盤面と黒にとってのT=nの盤面は異なるのである。

 さて、図2を見ると帯が存在する"現在"が一番右側の盤面ではなく、左から2番目の盤面になっていることが分かる。"現在"とは、進める必要のある盤面の中で最も過去の盤面のある時間のことを意味しているのだ。基本的に手番のプレイヤーは、"現在"にある手番を行える全ての盤面について手番を行わなければならない。"現在"よりも未来に存在する盤面に関しては、手番を行ってもよいし、その盤面が"現在"になるまで無視して過去の盤面の手番だけを行うこともできる。なので、図2では黒は新たな並行世界の盤面については必ず進める必要があり、元の並行世界の盤面については進めてもよいが、このターンはひとまず無視することもできる。

 

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図3 複雑化する盤面

 図3は、図2の次に黒がL=-1の並行世界から時間軸はそのままにナイトをL=0の並行世界へと移動させた結果、3つ目の世界線が誕生し、そこでターンを終了したため白の手番となった状態である。自身(今は白とする)が創造した並行世界は元の並行世界よりも画面下側に、敵(今は黒とする)が創造した並行世界は元の並行世界よりも画面上側に出現していることが確認できるだろう。このように、自身が創造した並行世界はどんどん下側に、敵が創造した並行世界はどんどん上側に付け加えられていく。そのため、この記事では、元の並行世界をL=0として、敵が創造した上側の並行世界を正方向の並行世界とし、自身が創造した下側の並行世界を負方向の並行世界としている。この方向の解釈は恣意的なものだが、ポーンの移動を解釈する上で整合性が保たれる。

 

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図4 並行世界間の移動

 図4は、図3の次に白がL=-1の盤面のナイトをL=1の盤面に移動させてターンを終了したところである。過去へ(より正確には既に決定された盤面へ)の移動は新たな並行世界を発生させるが、図4のようにまだ手番を行っていない盤面への並行世界の移動を行った場合は、移動前と移動後の2つの盤面の両方で手番を行った扱いとなり、新たな並行世界は発生しない。直感的には1手番しか行っていないように思えるかもしれないが、それぞれの盤面で1手番ずつ、合計2手番行った扱いになるので注意されたい。

 仮に、先にL=1の手番を行い、その後図4のようなナイトの移動を行った場合は、以下のようになる。

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図5 先にL=1の手番を行った場合

 図5のように、L=1で行った手番は正常に処理され、L=-1からの移動先の盤面は既に決定された(過去の)盤面となるため、新たな並行世界が発生することが分かる。自身が創造した並行世界のため、その位置はL=-2となる。

 

 ここまで、時間軸と並行世界軸がどのようにゲームに関わってくるのか大まかに解説してきたが、あと一つだけ、並行世界に関するルールを説明する必要がある。

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図6 無視できる並行世界

 図6は図5の次に黒が4つの盤面でそれぞれ手番を進めてターンを終了し、白のターンとなり、白がL=0の並行世界でクイーンをT=-2だけ移動させたことによってL=-3の並行世界が誕生した状態である。

 注目するべきは、"現在"の帯の位置がL=-3の並行世界の位置に移動していないこと、そしてL=-3の並行世界の矢印が他の並行世界とは異なり紫色ではなく白色となっていることである。実は、敵よりも2つ以上多くの並行世界を発生させた場合、過剰な並行世界は全て矢印が白色となり、これらは"無視できる並行世界"となってしまう。"無視できる並行世界"では、手番のプレイヤーはその並行世界の手番を進めたくなければ無視して進めないままターンを終えるとこができる。つまり、せっかく白が頑張ってL=-3の並行世界で敵のキングをチェックメイトしても、黒は都合が悪くなればそれ以上その並行世界の手番を進めないという選択肢を取ることができてしまう。そうなれば当然チェックメイトも意味をなさない。逆もしかりである。このように、基本的にお互いにとって並行世界の手番を進行させるメリットは少ないため、創造しても無視されることが多い。そして、手番を無視してもよいため、過去に手番が終わっていない"無視できる並行世界"が存在しても、"現在"はそちらには移動しない。

 あらためて図6を見ると、黒はL=1の1つしか並行世界を創造していないのに対し、白は3つ目の並行世界を創造している。そのため、L=-1, -2の2つの並行世界はアクティブな状態なのに対し、敵よりも2つ多い、つまり3つ目のL=-3の並行世界は"無視できる並行世界"となってしまっているのだ。この状態は黒が2つ目の並行世界を創造すると解消される。以下の図7を見てほしい。

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図7 無視できる並行世界の解消

 図7は、図6からさらに状況を進め、黒が2つ目の並行世界を創造した場面である。黒の手番の途中なので、図6までとは上下が反転している。それまでL=3(黒側から見た場合は正となる)の並行世界は無視できる状態だったのに対し、黒が2つ目の並行世界をL=-2に創造したため、無視できる状態が解消され、"現在"は最も過去の進める必要のある手番がある(≒無視できない)盤面の位置に移動している。

 このルールが存在するため、並行世界を無闇に増加させることは難しくなる。敵が自分よりも1つ多くの並行世界を創造している状態では、敵がさらに並行世界を創造して攻撃してくる可能性を警戒する必要が薄くなる。敵よりも多くの並行世界を創造している状況は、取れる作戦の幅が減るという意味では不利とも言えるかもしれない。

 

 

 ここまででは、T軸とL軸に関わる全体的なルールを説明した。次に、駒の動き方を説明していく。駒の種類によって移動できる範囲が変わるという点は、元のチェスでも五次元チェスでも同様であり、これはT軸やL軸に関しても言えることである。

 私の感想としては、五次元チェスでは、駒の動き方がとても自然かつなめらかに二次元のチェスから拡張されている。

 例えば、普通のチェスにおいて(X, Y)という形で移動のベクトルを表記するとしたら、キングは(-1~1, -1~1)の3×3=9通りのうち(0, 0)を除いた8通りの動きができる。

 五次元チェスではこれを(X, Y, T, L)に拡張しており、(-1~1, -1~1, -1~1, -1~1)の3^4=81通りのうち、(0, 0, 0, 0)と並行世界移動を伴わない未来への移動となる(-1~1, -1~1, 1, 0)の9通りを除いた(なぜなら、まだ移動先の盤面が存在していないため)71通りの動きができることになる。もちろん、この71通りは最大の場合であり、例えば正方向に並行世界が存在していないような状況では(-1~1, -1~1, -1~1, 1)という移動はできない。これは二次元のチェスにおいて、盤面の端にキングが居る状況で盤面の外側に出られないのと同じような制約である。

 

 おそらく最も直感的に理解しやすいのはルークの動きである。二次元のチェスではルークはnを任意の自然数として、(±n, 0)または(0, ±n)という動き方ができる。これは将棋の飛車と同じ動き方である。これを五次元に拡張すると、(X, Y, T ,L)のXYTLの4つの方向のうちどれか1方向を選びそれを±nとし、残り3方向に関しては0とするような移動である(例えば(0, 0, ±n, 0)といった感じである)。よって、T軸方向やL軸方向にルークが移動する場合は、(X, Y)の座標は保存される。

 決めた方向に好きなだけ移動させることができるという動き方には、盤面が存在する範囲内という制約に加え、方向の途中に他の駒がある場合はそれ以降には行けないという制約はT軸やL軸においても存在する。これはビショップやクイーンの移動においておも同様である。

 

 最も万能な動き方をするのはクイーンである。二次元のチェスではクイーンは(X, Y)のXYの2つの方向のうち1方向あるいは2方向を選び、それを±nとして、残りの方向があればそれを0とするような移動ができる。将棋の飛車と角行を合体させたような動き方であり、強力な駒である。これを五次元に拡張すると、(X, Y, T ,L)のXYTLの4つの方向のうち任意の1~4方向を選択し、それを±nとして、残りの方向があればそれを0とするような移動ができる。二次元では縦横斜めの8方向に好きなだけ移動できたのに対し、五次元では並行世界の移動を伴わない未来への移動を除いた71方向に好きなだけ移動できるのである。

 

 ビショップの移動は少し癖がある。二次元のチェスではビショップは(±n, ±n)の4方向に好きなだけ移動できる。将棋の角行と同じ動き方である。これを五次元に拡張すると、(X, Y, T, L)のXYTLの4つのうち2つを選び、それぞれ±nだけ進めるという動き方をする。XYTLのうち2つを選びその対角線を進む、という表現をしてもいいかもしれない。合計で並行世界の移動を伴わない未来への移動を除いた20方向に進める。T軸やL軸を含んだ移動は将棋の角行というよりも飛車の動き方に近くなるため、その点でトリッキーなのである。

 

 ナイトの動きは独創的であり、二次元のチェスでは(X, Y)のXYのうち1つは±1, もう1つは±2となるような動き方ができる。将棋の桂馬の上位互換である。これを五次元に拡張するので、(X, Y, T, L)のXYTLのうち2を選び、片方は±1, もう片方は±2, そして残り2方向は0となるような動き方をする(例えば(1, 0, -2, 0)といった感じである)。注意するべき点は、(1, 0, 0, 2)といったように盤面を2つ以上移動するような動き方をする場合である。クイーンやルーク、ビショップは途中の盤面が存在しない場合は移動できないのに対し、ナイトはそのT軸で1つ前方の並行世界がまだ存在していない場合でも、そのT軸で2つ前方の並行世界が既に存在していれば(1, 0, 0, 2)と移動できるのである。

 

 最後にポーンの動き方を説明する。ポーンが最も複雑である。二次元のチェスではポーンは(1, 0)と動ける。チェスの駒のうち、唯一、±で非対称な動き方をするのである。このため、T軸やL軸において方向を決定する必要が出てくる。ポーンは前方に1単位進めるので、五次元では、(1, 0, 0, 0)か(0, 0, 0, 1)という2通りの動き方ができることになる。(0, 0, 1, 0)は盤面が存在し得ないため不可能であり、(0, 1, 0, 0)のような横移動はもともとできない。ここまでならまだ単純だった。

 二次元のチェスにおいて、ポーンは初期位置から動いていない場合、(2, 0)と移動できる。五次元チェスの場合は、それに加え、(0, 0, 0, 2)と移動することが可能になる。ナイトとは異なり、そのT軸で1つ前方の並行世界がまだ存在していない場合は、そのT軸で2つ前方の並行世界が既に存在していても(0, 0, 0, 2)と移動することはできない。また、(X, Y)が初期位置と一致していても異なる並行世界に移動していた場合は初期位置とはみなされず、2単位の移動はできなくなる。

 二次元のチェスでは、ポーンは斜め前方に敵の駒が存在した場合、その駒を取りつつ(1, 1)や(1, -1)といったように移動できる。五次元チェスでは、(1, ±1, 0, 0)に加え、移動先に敵の駒が存在するという条件下でのみ(0, 0, ±1, 1)という動き方も可能となる。(1, 0, ±1, 0)や(0, ±1, 0, 1)といった動き方はできないことに注意してほしい。

 

 これで駒の動き方はおおよそ全て解説した。最後に、3つ特例を説明する。まず、T軸やL軸を介在したキャスリングは存在せず、二次元の場合と同様のキャスリングしか行うことはできない。プロモーションも二次元の場合と同様であるが、並行世界を移動した先の盤面でも行うことができる。アンパッサンも二次元の場合と同様であり、T軸やL軸の関係するアンパッサンは実現しない。つまり(2, 0, 0, 0)に(0, 0, ±1, 1)で仕掛けることや、(0, 0, 0, 2)に(1, ±1, 0, 0)や(0, 0, -1, 1)で仕掛けることはできない。また、(0, 0, 0, 2)に(0, 0, 1, 1)で仕掛けるような盤面はそもそも作ることができない。

 

 勝敗に関する特殊なルールとして、ステルスメイトは、"現在"の手番を進める必要のある盤面のうち、どれか1つでも手番を行うことができない盤面が発生した場合、引き分けとなる、という形で適用される。"無視できる並行世界"はステルスメイトには関与しない。

 

 以上でルール説明を終わろうと思う。それなりに丁寧に説明したつもりではあるが、不明点や不備、間違い等があればご指摘願いたい。

 

 

後半 変則チェスの1つの突端としての五次元チェス

 皆さんは変則チェスというジャンルを知っているだろうか。詳しくはWikiを参照してもらうとして*5、簡単に言うと、チェスのルールを少し変更した、チェスの亜種のようなものの一群のことである。変則チェスにもさらにいくつかの区分を作ることができ、例えばルールの一部を変えたもの(チェックメイト以外のチェックをしてはいけない、等)や、駒の種類を変えたもの(ドラゴンやユニコーンなんて駒も存在したりする)や、盤面に変化を加えたもの(六角形の盤面等)などに大別できるだろう。

 これは厳密な区分ではないので細かいことは気にしないとして、その区分の中の1つに三次元チェスというものが存在する*6Wikiによると、19世紀末には考案されていたようである。五次元チェスと聞くと、まるで物凄くユニークで類を見ないアイデアに感じるかもしれないが、変則チェスの中の文脈に即して考えるのであれば、三次元チェスというアイデアの延長線上に捉えることも可能となる。しかし、五次元チェスには、これまでにない、今だからこそできる特殊性と、それゆえの完成した美しさがあると私は考えている。

 そもそも、二次元チェスは8×8のマスの中で勝負を行う。しかしなぜ8×8マスなのか。7×7や9×9では駄目なのか。そこに明確な説明はなく、ある意味では極めて恣意的な制約である。三次元チェスの1つであるラオムシャッハは5×5×5の125マスの中で戦う。これもそのマス目の数に特別な説明はない。なぜ5マスしかないのか。その点で、五次元チェスは8×8マスという制約には従っているものの、時間軸にも並行世界軸にも大きな制約が存在しない。これがまず美しい。そして、これはオンラインゲームだからこそ可能になったのである。現実では盤と駒を無数に準備することは難しく、ゲームとして成立し得なかったため、これまでチェスを四次元以上に拡張するアイデアは存在していても作製できなかったのである。"ここ数年の"とまでは言えないが、"ここ数十年の"技術の進歩によってはじめて五次元チェスは遊ぶことが可能になったのである。

 また、駒の動き方の拡張が自然であることに敬意を表したい。普通のチェスで初心者にキングの駒の動き方を教えるとき、あるいは将棋で王将の駒の動き方を教えるとき、多くの人は「周囲八マスに移動できるよ」といった感じに説明するだろう。これをあえて(X, Y)ベクトルとして考え、さらにn次元に一般化する、という考え方は何も五次元チェスに固有のものではないが(三次元チェスにもこの一般化は見られる)、それでも私はこの一般化を美しいと感じた。

 

  さて、ここまではどちらかと言えば五次元チェスそのものに焦点を当ててみた。しかし、私はボードゲームが好きで、それはある1種類のゲームが好きなのではなく全般が好きなのであり、そうなってくると、必然的にボードゲームへの見方も少しメタ的になる。結局のところ私は、五次元チェスを変則チェスの中のn次元チェス系列の最先端に位置するゲームとして解釈しているのだ。このような解釈をしたとき、自然と思い浮かんだのは、五次元将棋は可能なのかどうか、ということである。

 五次元将棋を実現するには、2つほど考えることがあるだろう。まず持ち駒の扱いについてである。並行世界毎に持ち駒を分けて管理することが現実的に思える。混ぜてしまった場合、持ち駒の数が膨大になりかねず、異様なことになってしまう。新たに並行世界が発生した場合は、その派生前の並行世界の持ち駒を引き継げばいいかもしれない。では、並行世界間で移動しながら駒を取った場合、移動前と移動後のどちらの持ち駒となるのか。また、同一並行世界の過去に現在の持ち駒を打つことは可能なのか。ここら辺についてはチェスの事例は参考にならず独自に考える必要があるだろう。

 もう一つは、駒の動きの五次元への拡張についてである。チェスの駒はポーンを除き、上下左右に対称に動く。だからこそ、それをX軸とY軸での動きとして捉え、一般化し、n次元へ拡張することが容易であった。これに対し、将棋の駒は王将、飛車、角行の3種類以外の駒は非対称な動きをしてしまう。これを無理やり拡張してしまうと、銀将金将の動き方の区別が非常に難しくなると予測される。何かしらの上手い解決策が待たれる。

 ここから、話題はさらに五次元チェスから離れる。五次元将棋について考えたが、変則チェスという言葉があるのと同様に、変則将棋という言葉もある。これも詳しくはWiki*7を読んでほしい。私は、この"変則"という現象に大きな興味がある。歴史的に見て、人々はボードゲームのルールを勝手にアレンジしていく。それを端的に示している言葉が"変則"なのである。そもそもからして、チェスと将棋は古代インドのチャトランガというボードゲームが起源であると言われている。これを踏まえると、チェスも将棋も大きなくくりでは変則チャトランガと解釈することもできるかもしれない。変則という日本語は一般にチェスや将棋に使われることが多いが、それ以外のゲームも変則する。例えばマンカラというボードゲームはとても歴史が古く、世界中で八〇〇通りの遊戯法や一〇〇〇種類を超える盤があるという*8。マンカラは伝播する過程で、それぞれの民族性により、かつまた地域の独創性により極めて多様な遊び方になっている

*9。このように、ボードゲームの変則は、時代や民族性、地域性、その他さまざまな遊び手の影響を受けて発生する現象なのである。場合によっては、ゲーム性に直接の影響はなくともデザインが大きく変化する場合も考えられるだろう。カタンというボードゲームにはロックマンとコラボしたデザインが存在するし、ドミニオンというボードゲームには東方Projectとコラボしたデザインも存在する。スプレンダーというボードゲームにはマーベルとコラボしたデザインも存在する。もちろん、デザインだけではなく細かいルールもマイナーチェンジが施されている場合がある。このような版権とのコラボもある意味では変則と考えられるのではないだろうか。 

 ボードゲームの変則は、生存競争なのである。適者生存であり、最も面白かったアレンジルールが存続していくように強い淘汰圧がかかり続けるのだ。ドミニオンというデッキ構築型のボードゲームの起源となるゲームが2008年に発売されて以来、雨後の筍のようにデッキ構築型のボードゲームが発表されている。この中で数十年後も残り続けるのは一握りのゲームだけであり、きっとそのゲームはさぞや面白いのだろう。

 変則は面白さを追い求める結果であり過程であり、変則を起こす全ての遊び手はある意味でゲームクリエイターと言える。私はゲームを遊ぶという視点の他に、作るという視点からも眺めることがある。だからこそ、最も素朴な形でのゲーム制作の一種ともいえる変則にも絶えず興味を惹かれるのだろう。