小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

『不完全マーブル』のコマ割りについて-エロマンガのエロいエロくないを分析する3.4-

 このスピンオフも本記事が最後。きいの現時点での最新単行本『不完全マーブル』の分析でこのシリーズを終わりとする。

 親記事にて調査したとおり、きいという作家は単行本を経るにつれ婉曲的な表現が多くなっていった。風景や身体の一部を切り取ってキャラの心情を暗示的に表現する。そういう語り方が得意な作家だ。『不完全マーブル』はそんなきいの現在の最先端なので、全二冊で指摘した特徴ももちろん表れているが、改めて指摘はしない。

 

 

①日陰の詩

 陰キャの女にいじめられっ子の男が罰ゲームでセクハラ発言したら、なぜか上手くことが進んでセックスができて、付き合えるようになった話。男に都合よく物事が進んでいくので、エロマンガらしい多幸感と万能感を味わいながら読んでいける。

 ちなみに射精はゴム射。ヒロインの可愛い挙動を愛でる読みをする作品で、射精の気持ちよさは最優先ではない。

 

瞬間型:28.6%、動作型:20%、主体型:37.1%、場面型:14.3%、局面型25.7%

 

②あきらちゃんはどうしてもチンチンをなめたい

 きいは『カサブタ』から本作発表までの約1年休筆していた。というわけで、本作は復帰作となる。次の『あきらちゃんはどうしてもチンチンをいれたい』も同じ快楽天の号に載っているので、これと本作はセットで1話となる。

 兄がフェラされるのを見て自分もフェラしてみたいと思った妹(あきらちゃん)が、クラスの男子にお願いしてフェラする話。

 14ページある話のうち、肝心のフェラシーンが始まるのは8ページ目、厳密にいうとあきらちゃんがチンチンを咥えるのはその次のページからなので9ページ目となる。半分強が導入部という構成だが、次作とセットなことを考えると少し長いかなという程度だ。

 本作の特徴として文字での説明が多いことがある。キャラの状況や心情をフキダシや文字で書いてしまう。きいにしては珍しい語り方をしている作品だ。

 

 他作品におけるきいなら、こうしたことは日常パートの会話で断片的に伝えたりしそうなものだが、ここではフキダシによる解説を行っている。後述するように、本作はページ数が少ないため、文字で説明せざるをえなかったのだろう。

 

 

 「物語シリーズのアニメにでもハマっていたのか?」と聞きたくなるような、文字を使った演出も見られた。単にフキダシで解説するのとは異なり、「大嘘」の方は瞳の上に乗せることで画面として面白くなっている。また、心情を文字で羅列することにより、あきらちゃんが相楽のチンチンを見た際にテンパって思考が無駄に高速回転している様子が表現されている。

 このような演出はきいでは珍しいが、本作が初登場ではない。デビュー作『スプラッシュ』にてこれと似たような演出をきいは使っている。

 

デビュー作

 

 竿役(踏まれているメガネ)がヒロインに「僕あなたのおしっこ飲みますよ」という趣旨の発言をした後の、ヒロインの反応のコマだ。このセリフはすべてカタカナで書かれているから読みづらい。怒りすぎて早口になってしまった様子を表現したのだろうが、これを一文字ずつ拾って読んでいくことは、マンガリテラシーの高い読者ならしないはずだ。カタカナだけの長セリフでブチギレているときは、「早口でまくし立てている」ことさえわかっていればいいのであって、発言の中身まで理解する必要は少ないからだ。

 

瞬間型:8%、動作型:27.7%、主体型:33.9%、場面型:12.5%、局面型:17.9% 

 

③あきらちゃんはどうしてもチンチンをいれたい

 『チンチンをなめたい』での上記のような演出は、『チンチンをいれたい』でも続く。もっというと、『なめたい』を振りにして説明の手間を省いている。

 

 以下略とあるが、これは前ページから直前のコマまでの流れが『チンチンをなめたい』と同じだからできることだ。

 本作はこのように文字による説明が多いが、だがそれはセックスまでの導入部のみだ。やはりあきらちゃんがこっそり暴露している通り、紙幅の都合が理由だったのかもしれない。

 

瞬間型:1.5%、動作型:20.6%、主体型:41.2%、場面型:5.9%、局面型:30.9%

 

④優惑

 娘の友達に襲われてしまうパパの話。現時点でのきいのキャリアでおじさん×JKものは本作と『VAMP!!』だけだ。『罪と……』の男が社会人ではあったものの、おじさんと呼ぶには若すぎる。

 本作の特徴としては、男のモノローグが多いという点がある。それも、心情を表すよりは実況のようなモノローグが多いのだ。

 

目隠し

 きい作品においてキャラが心情を表現することはままあれど、男が実況のようなモノローグをするのは珍しい。

 

瞬間型:4.4%、動作型:25.5%、主体型:40.9%、場面型:3.7%、局面型:25.5%

 

⑤ヒメ♡ハジメ

 冴えない感じの男子学生(学園としか言及されていないので中高不明)が好意を寄せていた先輩に迫られ年越しセックスする話。

 ハッピーな軽い作品で、考察の余地もない。(きいに限らず、だいたいこういう作品はヒロインが方言を喋りがち。)

 

瞬間型:3.8%、動作型:22.6%、主体型:40.9%、場面型:5%、局面型:27.7%

 

⑥turn

 前単行本『群青ノイズ』に収録の『LOVERS』の続編。ヒロイン水瀬とヤリチン大学生の爛れた生活とその終わりが描かれる。

 本作の特徴は、『スプラッシュ』や『罪と・・・』以来となるコラージュゴマ(一般名詞みたいな顔して使ったがこれは私の造語である)が登場したことだ。これは、本来枠線で分割して描くキャラの動きを、枠線を取っ払うことで時間の流れをぼんやりとさせる演出だ。

 

フキダシと絵の異なる時間軸にも注目。これにより時間の長さが表現されている。

 本来このページは枠線によって5コマに区切られるはずだが、その枠線は取っ払われており、明確な時間の文節が無くなっている。時間の流れを作るのは、読者が持つ右上から左下に読むという慣習とキャラの身体の重なり(上に乗っている方のアクションが時間的に後)だが、読者の目はふらふらするもの(Eisner 1985:40)なので、時間の流れは直線にならない*1。その結果、このページに「時間がたつのも忘れてセックスにふけっている」というメッセージが生まれる

 

瞬間型:3.54%、動作型:26.3%、主体型42.4%、場面型:10.1%、局面型:17.7%

 

⑦六月の雨の夜に

 近寄りがたいと思っていたクラスメイトの女子が実は子ども思いの優しい子で、その子どもをひょんなことから世話していたら距離が近づいてセックスをした話。

 本作は、この単行本で『ヒメ♡ハジメ』と並び最もハッピーな、つまり不穏な陰が一切ない作品だ。『日陰の詩』の最後の一コマや『あきらちゃんはどうしてもチンチンをいれたい』の最後の「あきらちゃんと相思相愛(?)になれてよかったね」というナレーションのようなヒロインの思いに裏を感じさせる表現が、本作と『ヒメ♡ハジメ』にはない。『turn』は一見して複雑な感情があるのが明らかなので別だ。

 

瞬間型:2.2%、動作型:25.8%、主体型:43.6%、場面型5.3%、局面型:23.1%

 

⑧ビビッてねーし!

 ヤンキーグループの肝試しに巻き込まれた陰キャが、なんやかんやでヤンキー女とセックスをすることになり、結局付き合うようになった話。

 現時点で唯一となる原作が別にいる作品だ。原案ネームを担当したのは石川シスケという同じく快楽天で連載しているエロ漫画家だ。

 

瞬間型:2.7%、動作型:52%、主体型:33.3%、場面型:2.7%、局面型:9.3%

 今回は先にグラフを見てほしい。御覧の通り、動作型が一番多いというきいの作品では見られなかったコマ割りをしている。つまり本作は、キャラのアクションが主体で、人物や風景への切り替わりが少ないマンガだ。つまり、読みやすい。

 そのほか、キャラの心情をフキダシで語らせるのも、きいの作品群の中での本作が持つ特徴だ。

 

このページにある3か所の思考を表すフキダシは、きいがネームを切っていたら描かなかったか、あるいはもっとセリフ以上の意味を持たせていただろう。『ソルトペッパーチョコレート』においてきいはクンニする男に思考を表すフキダシをつけて、その枠に収まりきらないほどに「士緒屋さんの舐めてる」を書き連ねる演出をしたことがある。『ビビッてねーし!』のこれらにそのような意味は見いだせない。

 

 

カサブタ

 仲良しの男女四人グループがいて、男1が女1のことを昔から好きだったが、女1は男2となし崩し的な恋人的なセフレ的な関係になっており、それを知った男1は、実は前から男1のことが好きだった女2に、乱暴なセックスをぶつけるようになった話。展開としては『放課後バニラ』の『群青』と同じだ。

 『ビビッてねーし!』が読みやすかったことも相まってか、本作はニュアンスの多さがやたら目についてしまう。本作において、男1の感情を表すボディーランゲージとして「爪を噛む」が使われる。何か思い通りにいかないことがあった(ゲームで負けそう、女1が男2とセフレだった)ときに彼は爪を噛む。ただし、何か思い通りにいかなかったことがあったときに爪を噛むという因果関係は描写されるが、そこに働く感情が何なのかは説明がない。怒りなのか悔しさなのか悲しさなのか、あるいはそれらの感情が誰に向いているのか。そうした感情はぼんやりしたまま、女2にレイプ的にぶつけられる。

 

男1(上地)が自分(女2,茶髪)の話に上の空だったので視線の先を追ったら、男2(金髪)と女1(黒髪ロング)が仲良く話しており、男1が爪を噛んだシーン。男1の心情(それは怒り、嫉妬、悔しさといった語彙で表される領域)を察して女2も無言になっている。これはまだわかりやすいが以下のページは複雑だ。

 

 男2と女1がデキていたことを知った時を思い出し爪を噛む男1と、それを見て下唇を噛む女2。回想シーンとなるコマは1と3と4なのだが、これを思い出しているのは男1だけではない。女2もだ。正確に言うと、彼女は男1が今その時を思い出していることを察している。なぜそう読めるかというと、6コマ目に枠線がないからだ。ないどころかこのコマは、コマ4の下に、そしてコマ5を包含するように配置されている。これにより、コマ同士の時間がほとんど同時になる。また、コマ6の女2の顔がコマ4のそれの近くに並んでいることも理由の1つだ。少なくとも私は、このページのコマを順番通りに読むことができなかった。コマ4の次にコマ6を読んでしまったのだ。それは女2の顔が近くに並んでいたからで、つまり、コマ4→コマ5へと場面型の読みをするより、コマ4→コマ6へと「女2の表情の変化」という瞬間型ないし動作型の読みをした方が簡単だったから、つい読む順を間違えてしまったのだ。

 一体どこまでがきいの計算なのかはわからないが、これらの効果が合わさっていることで、女2もまた男1と同じことを思い出しており、下唇を噛んでいるのは男1も同じことを考えているんだなと察しているからだとわかる。

 

瞬間型:5.5%、動作型:22.7%、主体型:37.5%、場面型:7.8%、局面型26.6%

 

まとめ

 まずは、『不完全マーブル』の各作品の補完の数とそれを比率にした表を提示する。赤が一番大きかった数字、青が一番少なかった数字だ。

 

 平均同士で本作と『群青ノイズ』と比べると、場面型と瞬間型とページ数が下がった以外は全て数が増えている。意外なことに動作型も上がっている。なんなら増えた比率で言うと一番大きい(『ビビッてねーし!』を入れて計算しても抜いて計算しても大体1.3倍)。

 人物の切り替わりや、風景の切り取りでストーリーを展開していくのは変わらないが、人物のアクションが増加、その分ページ当たりのコマ数も増えて密度が増加したといったところだ。

 

 ちなみに、『ビビッてねーし!』を入れた全作品の比率とそれらの平均は以下になる。

 

本単行本で一番読みやすい作品は『ビビッてねーし!』となる。補完の半分以上が動作型というのは、快楽天の平均に近い。場面型や局面型も少ないので大きな時間・場所の跳躍も少なく、ニュアンスを読む労力も少ない。

 逆に一番読みにくい作品は『日陰の詩』となる。場面の移り変わりが多く、局面型による雰囲気を読み取るシーンも多い。場面型が一番多くなった理由は、エロいシーン→日常の往復を一コマ単位で繰り返す演出が多いからだ。なので、テンポさえつかめばそんなに読みづらい感はしないだろう。

 「で、結局お前がヌけた作品はなんだ?」といわれると、強いて言うならという注釈付きで『日陰の詩』となる。正直言うと、全単行本の中で一番ヌけなかったのが本作だ。それは3冊目の単行本となり、きいという作家が語り方を進化させたことで、もう私にはついていけなくなったのかもしれない。ヒロインの可愛さを愛でるようなぶち抜きのコマや、射精の瞬間ではなく挿入った瞬間にピークを持ってくるきいお得意の演出にやりすぎ感を感じてしまったのだ。

 他方で、きいはこの単行本において昔を思い出してもしている。『不完全マーブル』をきいのキャリアに位置づけるなら、回帰と前進だ。回帰とは『放課後バニラ』のセルフリメイクのような作品、演出であり、前進とはこれまでのきいでは見られなかった語り方のことだ。『カサブタ』は『群青』と同じようなキャラ、ストーリーを使いながらも、より言葉を減らしたことで風味の違う作品になったし、『優惑』は久しぶりのおじさんが竿役だった。『あきらちゃんは~』の2作で見られた文字の演出はデビュー作の『スプラッシュ』以来のものだったが、あきらちゃんはきいの作品で唯一、状況や男からの働きかけに応えてではなくストレートに明示的にエッチなことを求めるヒロインだった。文字通り続編である『turn』や初めて原作ネームが別人の『ビビッてねーし!』、幼女を軸にストーリーが展開する『六月の雨の夜に』はきいにとって新しい試みだった。『不完全マーブル』は、『群青ノイズ』で発展させたきいのきいらしさからこぼれ落ちた要素の回収であると同時に、新しいことにもチャレンジしてみましたという作品なのだ。その新しいことの中に、動作型の増加も含めていいし、相変わらずのニュアンスを重視する語り方も健在だ。

 私がきいを分析対象に選んだきっかけは、『日陰の詩』のひなたちゃんのぶち抜きが読んでて引っかかったからだった。そこにはヒロインの可愛さを見せるというきいの意図があったわけだが、代わりに左上の3コマに目を運ぶことは難しくなってしまった。それは大きなコマから小さなコマへの場面型の移行であり、それよりはその下で全裸で挿入を待っているひなたちゃんの大ゴマを読みたくなる。それは『カサブタ』のそれのように、服を着たひなたちゃん→全裸のひなたちゃんという動作型の読みをした方が楽だし、そもそも俺たちは女の裸が見たくてエロマンガを読んでいるからだ。

 どれだけ動作型を増やしたとはいっても、主体型より多くなければ、読みやすさは変わらないのかもしれない。かといって、『ビビッてねーし!!』ほど読みやすいとかえって味気がない。あるエロマンガがエロいかエロくないかの判断は主観的だ。だが全くそうなら売れる作家と売れない作家がいるのはおかしい。私にとってはヌけないが他のみんなはヌけているらしいエロマンガ家としてきいをとりあげ長々と分析してきたが、結局分かったのは、むしろきいの王道から外れる語り方だった。だがこれは、きいにしかできない語り方ではない。ある作品がヌけるかどうかは個性と一般性のバランスなのだろう。私は引き続きこのバランスが保たれる地点とやらを探してこうと思う。

*1:Eisner, will, 1985, "COMICS & SEQUENTIAL ART". POORHOUSE PRESS.