小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

小文化学会の案内

 みなさんはじめまして。小文化学会のブログへようこそ!

    小文化学会(以下小学)は2016年9月1日に設立された学生を中心とする、総合思考サークルです。関心領域は会員の自由。あなたの探求するものが、小学の探求するものになります。

 「学会」と称していますが、当然ながら実際に学会として運営される団体ではありません。あくまで「ごっこ遊び」のようなものだとお考えください。しかし模倣とはいえ「学会」の体裁を取る以上は真摯に活動していきたいと思っています。

 具体的には以下の活動を行う予定です。

・記事の作成と当ブログへの寄稿

・記事をまとめた冊子の作成、配布

・書物・アニメ等を用いた勉強会

 

 Twitterアカウントはこちらです

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 当会へのご連絡は、本ブログの各記事のコメント欄(当記事でも差し支えありません)か、Twitterアカウントのツイートへのリプライ、またはDM、小学のeメールアドレス(shobunkagakkai☆gmail.comの☆を@に変更)にお願いいたします。いきなり入会をする必要はございません。興味、意見を少しでも持っていただいたら、お気軽にご連絡ください。

 

京阪京津線の車内広告と仮想通貨バブル崩壊

どうも、つおおつ(29おじ)です。
最近、普通四輪の運転免許を取得しました。
これで一番ありがたいのが、タイムズカーシェアのナイトパックが使えること。
今はキャンペーンで18:00-9:00の15時間がなんと770円……
移動手段と宿泊場所がくっついているのにこの値段ですから、破格という他はありません。
ミソなのが、日の出が5時なら日が出ている時間帯に4時間も運転できるということ。
アニメの聖地巡礼のために訪れた駅の駅前でナイトパックのカーシェアを借り、日没までにスポットにたどり着き現地で車中泊。日の出と共に巡礼を始めるというコスパ最強ムーブを思い付いたのでぜひ来年の夏至付近で実行したいです。

閑話休題
今回は仮想通貨バブルについての思い出を語る懐古記事です。

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『図書館の魔女』と地下水道

 こんにちは、暗渠が大好きなヱチゴニアです。これまで何度か暗渠を探索する記事を書いてきましたが、今回は少し趣向を変えて、小説の中に登場する暗渠についてです。

 2017年末の記事でわずかに触れましたが、暗渠は文学作品の中にときどき登場します。こういった文学作品を読み込むときの最もシンプルな方法論として対立軸に注目するやり方がありますが、例えば、暗渠は開渠であった頃と時間軸上で対比されることが多いものです。

 さて、今回は髙田大介による小説『図書館の魔女』を取り上げて、その中で暗渠がどのような役割を果たしているのか考えてみます。ただし、長い作品であり、全体を俯瞰 すると1つの記事におさまりが悪くなってしまうので、文庫版の1巻と2巻のみに言及します。ちなみに、続編の『図書館の魔女 烏の言伝』にも暗渠は登場します。暗渠という舞台装置が好きなのでしょうかね。

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名鉄小牧線でゆくOMMCツアー

 飲み会にはコールというものがあるそうだ。平凡な人生を送ると無縁の存在だが、その気になれば簡単に関わりを持てる。そもそも酒のなかにはコールがすでにあるとはいえ(「アルコール」だからね)、コールを唱えればもっと楽しくなるかもしれないし、虚しくなるかもしれない。すべては気の持ちようで変わる。

 代表的なコールは、と紹介しようとしたところでまったく知らないことを思いだし、ググってみた。ご丁寧にまとめてくれている方が何人もいるのでいくらでも引用できるが、活字にされたものに目をとおすと漫才をミュートで見るようなもどかしさが湧いてきて、すぐにブラウザを閉じてしまった。申し訳ない。「飲み会 コール」で検索するとわんさか出てくるので、気になったら各自で調べてほしい。

 ところで上記の検索ワードにはなかなかひっかからないが、話題になったコールがある。タイトルで挙げた“OMMC”だ。知らない方にごく簡単な顛末を述べると、2017年6月にインスタグラムに投稿された大学生の飲み会でのコールが話題となり、Twitterや動画サイトに「この世の終わりみたいなインスタの投稿」というコメントやタイトルと共に転載されて不特定多数に拡散した。こうした動画が即座に「コンテンツ」と化すのはインターネットの常で、3年経った現在でも風化したとはいいがたいのは、そうした「利用」がされているからだろう。

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「自称アスペ」はテリヤキバーガーか

 これはお前の話じゃない。

 

 コミュ障、アスペ、ADHD発達障害、鬱……あなたはどの病に苦しんでいるだろうか。

 いや、この聞き方は正しくない。あなたはどの病を選んだだろうか。

 本稿は上記の病気の存在を否定しない。

 理解なく甘えと切り捨てたりもしない。

 本稿で問いたいのは病を自称するという行為だ。ここでいう「自称」とは、その病気が自分にも当てはまる状況を経験しているが医学的な診断を受けてはおらず、自己認識に留まるという曖昧な領域だ。つまり、客観的に症状があるかどうかは関係なく、あくまでも自身でその病気にかかっていると思っていることが重要だ。

 病院で診察を受けたわけでもないのに、「私はコミュ障だから」とか「俺は発達障害かもしれない」という人間をけっこう見かける。そいつらを見ていて不思議に思うのが、彼らの態度から後ろめたさというか、苦しんでる感が感じられなかった。まあ見せないだけかもしれないけど、逆に「改善に向かってこういう努力をしてる」という話も聞かない。ただ「私はコミュ障だ」という自己診断で止まっている。さすがに霊が見えるレベルの嘘ではなく、生活のうえで経験した苦しみ、ある病気に当てはまるかのような状況が土台になっているとはいえ、主観の域を出ておらず、あくまでも自称アスペ・自称コミュ障でしかない。

 

 こいつらなんで自分の病気や障害を図々しく言って歩くんだ?

 病を公表するのにはリスクが伴う。ハンセン病患者は隔離という差別を受けてきたし、知的障害のある同級生のあいつは「たんぽぽ学級」という「特別扱い」を受けていた。精神病院は山奥に建てられている。なんらかの病、異常な状態にある人間は社会的な排除を受けるのだ。

 だから今、私たちは血眼になってマスクをつけている。

 このように隠すもの、遠ざけるものであるはずの病の中から、上記に挙げたようないくつかだけは積極的に選び取られ、公表できるという特権性を与えられている。

 病人とは思えないほど活発に自称して歩くが、そのエネルギーを改善には使わない。

 ならば彼らの目的は何か、あるいはこれらの病を自称することでいかなる効用が得られるのか、本稿はそれを探りたい。

 炎上するのが怠いから何度だって繰り返そう。私はこれらの病気の存在を否定しないし、苦しんでる人を傷つけたいわけでもない。

 本稿が対象とするのは自称〇〇だ。

 

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仮想通貨と県民性

 どうも、つおおつです。コロナ禍により外出がままならない中、つおおつのような図書館でしか進捗を出せない人間は大変です。進捗何も出てません。(泣)

 さて皆さんは、仮想通貨を聞いて何をイメージしますか?「怪しい」と思う方から、「なんかよくわからないけどピザが食べられるんでしょ*1?」とある程度知ってる人、「仮想通貨じゃねーんだよ暗号資産って言え!」というクリプトガチ勢*2まで、色んな方がこの記事を読んでいると思いますが、「仮想通貨と県民性」という関連については何も知らないはず。

 この記事では、仮想通貨と県民性の間にどのような関連があるのかについて、量的な掘り下げを試みます。

 目の色が¥マークになっているあわてんぼうの仮想通貨民の為に先に結論から書きます。

  • 徳島県熊本県には、bitbankの超大口顧客(仮想通貨を大量に所持しており取引する人)がいる可能性が高い
  • よそ者意識の高さと県民の仮想通貨への意識の高さ(給料に占める取引量)に逆相関(r=-0.522)が見られ、その相関は5%水準で有意(p=0.0131)
  • あくまで1つの仮想通貨取引所の部分的な資料であり、仮想通貨と県民性の関連についより深く掘り下げるには追加の資料が待たれること

 

 さて、仮想通貨と県民性の関連について書いていきます。

*1:初めてbitcoin決済が使われたのはピザのデリバリーで、10000bitcoin(今の価値で大体100億円)で2枚のピザが買われました。参照URL:https://coincheck.com/ja/article/199

*2:ガチ勢の皆さんには申し訳ないのですが、googleトレンドで仮想通貨と暗号資産を比較してください。。。

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としまえん閉園に際して

 こんにちは、エチゴニアです。お久しぶりです。

 コロナによって世界は色々な変化を余儀なくされていますが、東京都の遊園地『としまえん』の閉園の準備も、そのかげでひっそりと進められてます。閉園については今年の2月に第一報が流れ、6月12日に公式ホームページで正式に発表がなされました。

 この記事では、そんな閉園直前のとしまえんについて、正確には、その周辺について書きたいと考えています。

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人間はいつになったらクイズの出題をやめられるのか

そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。(ルカによる福音書第4章3‐4節)

 

 みなさんは大学入学共通テスト(以下共通テスト)の問題作成方針が今年の1月末に変更されたのを憶えているだろうか。ごく簡単にいえば、記述式を諦めた。その理由として採点の精度への疑問、自己採点の難しさ、費用対効果の不確かさが挙げられている*1。英語民間試験の導入も見送られ、結果的に共通テストとセンター試験の目に見える変更点は「数学Ⅰ」「数学ⅠA」の時間が70分になったこと、英語の得点配分が記述200点リスニング50点からリーディング100点リスニング100点になったこと、大学の成績提供が9段階式+国語の大門別点数になったことぐらいで、問題の具体的内容がどれほど変わるかは出たとこ勝負なのが実態だ。

 人員的技術的な側面による共通テストの意欲的な試みの挫折は、傍観者からすると単なる「骨折り損」の感を抱かせるが、この意味についてすこし考えてみたい。すなわち、導入されようとしていた記述式には、知識を問うという点においてどのような新規性があると考えられていたのか。また、ここでいう「知識」は共通テストという制度においていかなる意図を持たされていたのか。

*1:日本経済新聞,2019,「共通テストの記述式問題、なぜ見送り 3つのポイント」,日本経済新聞ホームページ(=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53440380X11C19A2000000/,2020年5月24日参照) 

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ヌける/ヌけないエロマンガへの接近①

 こんにちは、ぽわとりぃぬです。エロマンガを研究するうえでつぎの2冊は必読です。永山薫の『エロマンガスタディーズ』と稀見理都の『エロマンガ表現史』。前者をエロマンガの歴史と社会的意義を考えた本と位置付けるなら、後者はエロマンガの技術的価値を考えた本と位置付けられるでしょう。

 そんな両巨頭の肩に乗っかれば楽なのにもかかわらず、本稿でエロマンガのヌける/ヌけないを分析しようと試みるのは、私が常々、エロマンガに限らず作品を考察するときに鑑賞体験が扱われないなと思っていたからです。

 ある作品を論じるといったとき、おおよそがその作品の社会背景や意味を探ったり、その作品の技術の高さを分析したりで、肝心の感情の動きが考慮されていない。『JOKER』でいうなら、弱者男性を描いたという社会的意義やホアキン・フェニックスの卓越した演技という技術的達成ばかりが盛んに語られ、その手前にあるはずの「おもしろかった」という感情は軽んじられている。ジョーカーをあのように描いたのもホアキンが役作りに励んだのもそれは面白い映画を作るためであって、社会的映画史的に意義ある映画となったのは結果論です。

 私がそんなことをもそもそ考えている19年前にすでに、映画を題材に議論を展開していたのが社会学者の長谷正人(2001)です。彼によると、現代の映画をめぐる言説は、その作品の技術的達成や監督の才能といった「美学的読解」、もしくは内容やテーマを社会的文脈において分析する「政治的読解」という2つで構成されているというのです。長谷は、これら2つの言説は映画というフィクションへの没入を前提としているのであり、そのために多くの観客が娯楽として気軽に楽しんだという当たり前の事実を見損なっていると指摘します。そしてそういう気軽な楽しみ方とは、フィクションをフィクションと知りながらもあえてその嘘に乗っかって楽しむという「遊戯的コミュニケーション」なのであり、それは翻って我々の生きる現実もまたフィクションに満ちている(「黒人とはこういうものだ」というような)と気付かせてくれるというのです。

 まずなによりその作品が娯楽としておもしろかったからこそみんなが考察を始める。ならばその源泉となる感情を見過ごしていいのでしょうか。

 というわけで本稿では、エロマンガの「エロかった」を分析する、というか分析するためにはどうしたらいいのかを考えていこうと思います。

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アンチ就活アンチ

 こんにちは、ぽわとりぃぬです。あなたは就活嫌いですか、好きですか。やりたくないけどやんなきゃいけないからリクスー買ったりインターンシップ行ったりしてますっていう人多いですよね。

 何であれ物事にはアンチが存在します。そろそろ就活アンチが元気になる季節です。本稿は彼らの批判を批判してみようと思います。果たしてアンチのいう通り、周りと同じ格好に身を包んだ就活生はヒツジでしかないのか(逆に、アンチはオオカミなのか)。なお、本稿で扱う就活とは(文系)大学生が参加する新卒一括採用のことです。概要とか専門用語の解説は紙幅の都合で割愛しちゃいました。ごめんね。

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