小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

今年はこういうの読みました2022

 どんどん1年の過ぎる速度が速くなっています。この調子だと10年ぐらいしたら12ヶ月なんて半日ぐらいで終わってしまいそうです。さて、今年はあいかわらずCOVID-19の影響を受けたり受けなかったりで、落ち着かない1年でした。こんな時、本を読むと日々の暮らしのなかからは得られない気付きや、暮らしを振り返るよいきっかけになります。そんなわけで、毎年恒例の会員による今年読んだ本の紹介です。来年もよき読書体験を!

 

ぽわとりぃぬ

イケダハヤト,2016,『まだ東京で消耗してるの?』,幻冬舎

 

 本書は、ブロガーの作者が東京から地方への移住を勧めるものだ。著者曰く、東京の仕事は無駄だらけで、生活も窮屈で不便なことばかりなのだという。通勤で片道1時間は当たり前。35年ローンで建つのはウサギ小屋みたいに小さな家。どこへ行っても行列で、野菜はまずい。いい仕事もない。そんな悩みは地方へ移住すれば一発で解決。クリエイティブな仕事はまだまだブルーオーシャンで、近所の人が新鮮な魚や野菜をプレゼントしてくれる。みんなも移住しよう。……なんてうまい話だけで終わらないのが本書の深みで、いきなりど田舎に移住するのではなく一旦県庁所在地に移住してみて様子を見てみろなんていう忠告もしてくれている。

 さて、とある地方の県庁所在地(非政令指定都市)で生まれ育った私が読んだ感想としては、やはり東京へのあこがれを捨てることはできない。これを言ってはおしまいだが、どこに住むのが適しているかはその人の資質による。著者はコミュ障を自称しているが、高知での暮らしはコミュ強のそれだ。正確に言うと、著者は薄く広くよりも狭く深くの人間関係が得意なようで、近隣住民から魚や野菜をプレゼントされる関係を築けている。そのように他者に生活に介入されるのが嫌だから、薄っぺらい出会いしかない都会に出たいのだ。また筆者は東京の仕事は無駄が多いというが、それは組織が官僚的なおかげである。打ち合わせのための打ち合わせ上等じゃないか。それで給料がもらえるんだろう。上司のハンコをいくつももらう必要がある? 責任取らなくて済むじゃないか。著者のように第4章で延々と田舎でやりたいことを書けるバイタリティがあるならまだしも、私のように受け身で怠惰な労働者は、東京という長いシステムに巻かれるほうが適している。

 また本書で紹介されている、草刈りや食品の加工販売といった田舎の仕事を著者は「複業でやっていく小商い」、「人づてに紹介してもらう」とオブラートに表現しているが、まさに本書で紹介されているようなど田舎で育った我が親の言葉を借りて表現するなら「中卒がやる拾い仕事」である。畑作業している私たちのところに軽トラで乗り付け「その杭まだ使うんか?」と言ってきたあの人みたいな仕事(石や鉄くずを集めて生計を立てている)をするくらいなら、私は東京23区で無駄な印鑑をスタンプラリーして消耗していたい。ちなみにこの質問に対し叔父は、「使う!」と即答して追い払った後「地面に打っておかないと盗まれる」と呟いた。

 本書のメッセージは「環境を変えれば人生上手くいく」であり、「田舎へ移住しろ」ではない。だが本書は田舎を楽園のように描いており、それに私は反対している。隣近所で個人情報を把握しあい、どこへ行くにも車が必要で休日のイオンは大渋滞。日に日に滅びゆく商店街で唯一生きながらえているのは町に1軒しかない風俗。自然が美しいのは冬と台風と夏と花粉以外の季節だけで、基本汚くて臭い。まともな就職先は公務員かJTCの子会社か拠点工場だけ。10時過ぎたら駅前でも真っ暗。行きたいイベントがあれば、まず車で大きい駅まで行ってローカル線を乗り継いで最寄りの政令指定都市までえっちらおっちら。まだ地方で消耗してるの?

www.gentosha.co.jp

 

 

10nies

ティーブン・R・コヴィー,1989→2004,『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』(=2013,フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社訳).

 

 今回はサジェスト機能でまっさきに「気持ち悪い」が出てくることでおなじみの「7つの習慣」を選んだ。気に入らない部下や同僚を蹴り飛ばすのに適した革靴を履いているサラリーマンが読んでいそうな本ランキングで殿堂入りしている(はずの)本書は、結論からいうと読んでおくに越したことはない。以下の3点がその理由である。

 まず1点目。日々の行動や中長期的なキャリアプランの設計において、純粋に役に立つ。いかに冷笑の立場をとろうが、本書の内容に根本的な欠陥を見出すのは難しい。というのも、記されている習慣の中身自体は、実行できたほうがよいものばかりだからだ。たとえば、著者本人が「『7つの習慣』の中でもっともエキサイティングな習慣であり、すぐに実生活で応用できるもの」(p355)と述べる第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」では、相手の話を聞く際、みずからの経験やそれによって築きあげてきた価値観(著者は「自叙伝」と形容している)を下地とするのではなく、発言内容をパラフレーズし、そのうえで内面を言語化することにより、相手に誠意が伝わり、コミュニケーションを「魂と魂の交流」(p361)へと昇華させることを説いている。自分の価値判断へ他人を巻き込み、そして思うような方向へ歩ませたい利己的な欲望の愚かさについて指摘したうえで、誠実な関係を築くような心構えを持つことを説く論旨は、従順に聞き入れるよりも闇雲に抗うほうが、付き合いたくない人間の態度と受け取られてもやむをえない。

 2点目は、成功するパターンを知ることで、失敗しそうな状況を推測できる。これは1点目よりも実用的な観点だろう。私を含む社会で生きるほとんどの人は凡人で、すばらしいカリキュラムを教えられても、それを十全に活かせない。しかし、そのようなカリキュラムと照らしあわせて「このままだとこのプロジェクトはうまくいかないな」と予測することはある程度可能になる。コミュニケーションがうまくいかなかったり、契約の折り合いがつかなかったりした時、うまくいかない案件から時間や人間関係の観点からみて、極力あっさり退却する試みを、手遅れとなる前に検討できるようになる。もっとも、この利点は第4の習慣「Win-Winを考える」が含意しているところだ。攻めだけでなく、守りにおいても本書の内容は含蓄に富む。

 そして3点目は、今後の人生で出会う「敵」の護身になる。「敵」とは、仕事でもプライベートでも、どんな内容であれ望まぬ方向へと他者を行動させようとする人、あるいは自身がもっとも高い利得を確保するために、相手の事情を考えない人のことを指す。著者は7つの習慣を小手先のテクニックとは峻別し、副題にあるように「人格主義」のもと、相手のことを尊重するための習慣と位置付けている。しかし、テクニックの高い人がやってしまえば、習慣にもとづく行為が人格主義なのか功利主義なのか、そんな見分けはつかなくなる。そして、テクニックの高い人ほど7つの習慣を(読んでいないにせよ)忠実に「実行」してくる。

 もっともよいのは実行する側へまわることだが、本当の人格主義者なら積極的に他者と干渉するよりも、むしろ他者と距離を置くほうを選ぶだろう。主義主張はさておき、たいていの場合、生きていくにはそんなわけもいかないので、我々は他者と干渉を続ける。その際、7つの習慣を読んでおけば「人格主義者」を見分ける術を持てる。身を守るために、一読を勧める。

fce-publishing.co.jp

 

ヱチゴニア

冨樫義博, 2022, 『HUNTER×HUNTER 37』, 集英社

 

 4年間の沈黙を破り、遂にハンターハンターの新刊が発売された。

 漫画、それもジャンプに載っているような王道のバトル漫画では、たいていの場合、主人公が存在する。ハンターハンターの場合、主人公はゴンだった。

 しかし、時に漫画の主人公は移り変わることもある。単行本32巻までは巻頭の登場人物紹介の欄でゴンが「この物語の主人公。」と明示的に説明されているのに対し、33巻では「この物語の主人公。」という一文が削除され、34巻以降ではテンプレ的な紹介の後に「帰省中。」と書かれており、実際に物語には1コマも登場しなくなる。このことから、この漫画の主人公がゴンではなくなったと判断できるだろう。

 そして、最新の王位継承編では今のところ主人公は存在せず、群像劇の様相を呈している。作者本人がインタビューにて王位継承編では「漫画の1エピソードにどれだけの登場人物を出せるのか?」ということに挑戦していることを明かしており、既刊の範囲で王位継承編50話には200人以上のネームドキャラが絡んでいる。加えて、まだ単行本になっていない最新の10話でも20人以上のネームドキャラが新たに登場した。まさに有言実行であり、1話当たり平均3,4人の新キャラ参戦によって読者は混乱に突き落とされている。このような状況でも、薄いとは感じず、むしろ濃いストーリーが展開されていることは、作者の力量を強く示しているだろう。

 さて、そんなカオスの最中である37巻だが、その内容は既に4年前に週刊少年ジャンプに掲載されていたものなので、私は(比喩ではなく)100回以上読み直しており、ストーリーという意味での目新しさは無かった。むしろ、私が最も意表をつかれたのは、その表紙である。

 37巻の表紙はモレナ=プルードというキャラクターが単独で描かれている。なぜ私がこの表紙に意表をつかれたのかというと、今のところモレナがあまり活躍していないからだ。絵のタッチが少年漫画っぽくないという点でも特徴的な表紙だが、ハンターハンターに限って言えば、今までもこんな感じなので個人的には意外ではなかった。前述のように、王位継承編では200人以上の膨大なキャラクターが登場している。その中から、現状あまり活躍していないキャラクターを選出し、単独で表紙にした、という点が何より意外だったのである。

 王位継承編の始まった33巻から表紙を見てみると、33,34,36巻では今までのエピソードでも既に登場している人気キャラクター達が描かれており、また35巻では王位継承編であることを示すように王位を争う14人の王子達+αが描かれており、表紙としていたって王道といった感じだ。この流れから、いきなりモレナ=プルードが表紙になることに、私はやはり違和感をぬぐえなかったのだ。

 だからこそ、この表紙は今後モレナが重要人物になっていくことを示していると考えられるだろう。モレナは荊冠をいただいており、私はキリスト教には詳しくないが、受難のモチーフなのだろうか。いずれにせよ、ファンとして今後の展開に目が離せない。まぁ、そもそも休載中なのだが……。冨樫義博先生の健康を祈りつつ、2022年を終える。

www.shueisha.co.jp

 

つおおつ

佐々木チワワ,2022,『「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認』,扶桑社

 

 どこからともなく発生し、漫画『明日、私は誰かのカノジョ』の登場人物「ゆあてゃ」の大流行が中興の祖*1といっていい「ぴえん系女子」について体系的に記述したのが本書である。

 

 ぴえん系女子は、TwitterTiktokSNS上での活動が主で、現実世界で彼女らが集積するのは「トー横」「グリ下」「ドン横」(それぞれ東京、大阪、名古屋の繁華街の特定のスポットを指す)という自然発生した極めて限られたエリアしかないという特性上、その生態系を部外者たる我々が網羅的・体系的に把握するのは極めて困難である。

 

 著者は2000年生まれで、ぴえん系女子がたむろする「トー横」や歌舞伎町エリアに出入りしている。著者の特異な所は、幼稚園から高校までをお茶の水女子大学附属で過ごし、慶應義塾大学総合政策学部在学中といういわゆるエリートであり、「ぴえん」という語彙に象徴されるように言語化スキルに乏しいのが一般的であろう「ぴえん系女子」の中で一定の言語化スキルや先行研究等を参照する知的作法を身に着けている所である。

 

 そんな著者が「ぴえん系女子」や「トー横」の歴史や定義を整理しているのが本書になるが、ぴえん系女子がこぞってお金を使うホストクラブ・メンズコンカフェ・ボーイズバーで働く男性側の苦悩についても第四章・第五章で触れている所も興味深い。

 

 著者のような同じ年代・服装・思想でぴえん系女子と思いを共有できる人間でないとぴえん系女子のナラティブを引き出すのは不可能であり、その特性をいかして本書だけではなく著者が「ぴえん系女子」のその後を追跡してくれることを願うばかりである。

https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594090265

 

*1:あるいはブーム終盤の打ち上げ花火かもしれないが