小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

『図書館の魔女』と地下水道

 こんにちは、暗渠が大好きなヱチゴニアです。これまで何度か暗渠を探索する記事を書いてきましたが、今回は少し趣向を変えて、小説の中に登場する暗渠についてです。

 2017年末の記事でわずかに触れましたが、暗渠は文学作品の中にときどき登場します。こういった文学作品を読み込むときの最もシンプルな方法論として対立軸に注目するやり方がありますが、例えば、暗渠は開渠であった頃と時間軸上で対比されることが多いものです。

 さて、今回は髙田大介による小説『図書館の魔女』を取り上げて、その中で暗渠がどのような役割を果たしているのか考えてみます。ただし、長い作品であり、全体を俯瞰 すると1つの記事におさまりが悪くなってしまうので、文庫版の1巻と2巻のみに言及します。ちなみに、続編の『図書館の魔女 烏の言伝』にも暗渠は登場します。暗渠という舞台装置が好きなのでしょうかね。

 

 

 まず、物語の中で主人公たちは一ノ谷という都市の王宮の城内に暮らします。城内には『史上最古の図書館』である高い塔という施設があり、それが主人公たちの属する場所であり、陣営です。主人公たちの生活は城内で完結し、城外の庶民が暮らす市街と気軽に関わることはできません。このように生活圏として隔絶されていた城内と城外を横断し、隔離構造を壊す舞台装置が、地下水道として登場します。

 地下水道について説明する前に、一ノ谷という都市について軽く説明しておきます。一ノ谷は現実世界のコンスタンティノープルに似ており、『東大陸最西端の都』の商都で、東西の人種や文化が入り混じり、『世界に冠たる王都の中の王都』となっています。その地理的な要因から一ノ谷は千年以上の昔から栄えているのですが、治世が常に安定していたわけではなく、古代の記録は失われている部分もあります。地下水道も人々のそのような古代の遺構の1つなのです。

 物語を読み解くときに何かの対立軸に注目することはよくある方法であると言いましたが、一ノ谷という都市は王宮/市街という生活圏の対立とは別に今/昔という時間的な軸を発見することが可能です。もちろん一ノ谷にあるほとんどの構造物は「今」のものなのですが、何よりも重要なのは、主人公たちの属する高い塔や、王宮の離れにある彼らの住処が「昔」のものであるということです。高い塔は『史上最古の図書館』という紹介からも古いものであることが分かります。主人公たちの離れの住処も古い建物なのですが、さらにその中にある井戸は『離れの建物よりもずっと古い』もので、なんなら『王宮の大聖堂よりも古い、城壁のうちでも一番古い遺構の一つ』となっています。このように主人公たちの陣営が「昔」に属していることは、おそらく偶然ではありません。主人公たちの陣営である図書館は、古代からの文献を守ってきたであると同時に古代の文献を紐解き読み取る組織でもあります。

 そんな彼らが「昔」の遺構である『千年も前の地下水道』が一ノ谷に埋まっていることを発見できたのは必然といえるでしょう。彼らは都市の表層に残るかすかな痕跡を、古代の文献を読み取るかのように読み取ります。そこに『文字として書かれていないことも読み取る』という彼らの特技がそのまま表れています。

 このように必然的に発見された地下水道という舞台装置は、都市を地上/地下という2層に対立させます。これは単純に今/昔を地理的なレイヤーに移行させた対立軸ではありません。地上にも高い塔や離れの井戸に代表されるような昔の構造物はありますし、市街地の一部の人々は地下水道の一画を今も利用しています。そして、地下水道は王宮と市街を物理的につなげることによって、この対立を崩壊させるという役割を持ちます。物語は、対立軸を作り、また別の対立軸を発生させ、別の角度から元の対立軸を解除していく、という流れを持つことが多いのですが、これは典型例といえるのではないでしょうか。

 

 ここまで軽く『図書館の魔女』の中での地下水道の話をしてきました。冒頭の方で暗渠は開渠であった頃と時間軸上で対比されることが多いと書きましたが、実は『図書館の魔女』ではこの対比は行われません。というのも、地下水道はもともと開渠ではなかったし、千年前の当時をそのまま知る人は物語の中に既に存在しないからです。逆に他の多くの小説は、暗渠をその内部まで含めて空間的に意味を持たせるように記述することはできていません。ここに『図書館の魔女』の特異性はあります。ファンタジーな世界観ではありませんが、架空の世界を作り出したことによって、枯れた水道の中を通るという大胆な表現が可能になっているのでしょうか。

 何より、水道の内部を通るという大胆な行動は、現実においてもまず不可能です。だからこそ、私は『図書館の魔女』に惹かれる部分があります。ひるがえって創作の中で地下水道を通るという発想は決して珍しいものではないかもしれません。しかし、ファンタジーではない世界観の中でリアリティーと説得力を保ったままこの構図を実現させることは難しいのではないでしょうか。少し強引に結びつけるのであれば、リアル/ファンタジーという対立の中にあった暗渠の外部/内部という対立を、『図書館の魔女』は上手く破っていると言えるでしょう。架空の世界なのにファンタジーではなく、むしろその概観はひたすら現実に迫っている、という点にこの小説の真髄がある気がします。