こんにちは、エチゴニアです。お久しぶりです。
コロナによって世界は色々な変化を余儀なくされていますが、東京都の遊園地『としまえん』の閉園の準備も、そのかげでひっそりと進められてます。閉園については今年の2月に第一報が流れ、6月12日に公式ホームページで正式に発表がなされました。
この記事では、そんな閉園直前のとしまえんについて、正確には、その周辺について書きたいと考えています。
続きを読むこんにちは、ぽわとりぃぬです。エロマンガを研究するうえでつぎの2冊は必読です。永山薫の『エロマンガスタディーズ』と稀見理都の『エロマンガ表現史』。前者をエロマンガの歴史と社会的意義を考えた本と位置付けるなら、後者はエロマンガの技術的価値を考えた本と位置付けられるでしょう。
そんな両巨頭の肩に乗っかれば楽なのにもかかわらず、本稿でエロマンガのヌける/ヌけないを分析しようと試みるのは、私が常々、エロマンガに限らず作品を考察するときに鑑賞体験が扱われないなと思っていたからです。
ある作品を論じるといったとき、おおよそがその作品の社会背景や意味を探ったり、その作品の技術の高さを分析したりで、肝心の感情の動きが考慮されていない。『JOKER』でいうなら、弱者男性を描いたという社会的意義やホアキン・フェニックスの卓越した演技という技術的達成ばかりが盛んに語られ、その手前にあるはずの「おもしろかった」という感情は軽んじられている。ジョーカーをあのように描いたのもホアキンが役作りに励んだのもそれは面白い映画を作るためであって、社会的映画史的に意義ある映画となったのは結果論です。
私がそんなことをもそもそ考えている19年前にすでに、映画を題材に議論を展開していたのが社会学者の長谷正人(2001)です。彼によると、現代の映画をめぐる言説は、その作品の技術的達成や監督の才能といった「美学的読解」、もしくは内容やテーマを社会的文脈において分析する「政治的読解」という2つで構成されているというのです。長谷は、これら2つの言説は映画というフィクションへの没入を前提としているのであり、そのために多くの観客が娯楽として気軽に楽しんだという当たり前の事実を見損なっていると指摘します。そしてそういう気軽な楽しみ方とは、フィクションをフィクションと知りながらもあえてその嘘に乗っかって楽しむという「遊戯的コミュニケーション」なのであり、それは翻って我々の生きる現実もまたフィクションに満ちている(「黒人とはこういうものだ」というような)と気付かせてくれるというのです。
まずなによりその作品が娯楽としておもしろかったからこそみんなが考察を始める。ならばその源泉となる感情を見過ごしていいのでしょうか。
というわけで本稿では、エロマンガの「エロかった」を分析する、というか分析するためにはどうしたらいいのかを考えていこうと思います。
続きを読むここ最近活動していないので、小文化学会は冬枯れた野原のように息の根が止まってしまったと思ったそこのアナタ! ぶっちゃけ否めません。とはいえ〆るところはきちんと〆ます。来年がんばるために、せめて今年の足跡を留めておきたい。毎年恒例の「今年はこういうの読みました」を書いて、本年の活動はおしまいです。来年は読んでくださった方にとっても、我々小文化学会にとっても実りある1年にできるよう努力していきましょう。
続きを読むこんにちは、ぽわとりぃぬです。みなさんAVは好きですか。私は好きです。おおっぴらに言うのは憚られるものの、男子はみんな(最近では女子も少なからず)好きだと思います。今回はそんなAVのブームを題材に、カルチャーと社会の関係について考察していきます。夜中こっそり見るのが当たり前のAV。だからこそ、私たちの姿をグロテスクなまでに反映するのです。
テーマは「文系女子ブーム」です。2019年9月号のソフト・オン・デマンドDVDに「このところ、にわかにリリースが増えている『文系女子』作品(p51)」とあるように、現在日本のAV界においては、文系女子がブームなのです。この「文系女子ブーム」の背景にいかなる要因があるのかについて考えていきます。
こういう類の考察は巷にあふれています。個人的には、多くがカルチャーと(その要因とされる)社会背景とをあまりに直接つなげていると考えます。そこで今回私は、これらの考察が抱える問題点を乗り越えるべく、ブームと社会との間に「業界」という中間項を置いて考えていこうと思います。
続きを読む先日の「路上でクルージング@中村遊郭跡」はお天気にも恵まれ、無事に開催できました。来てくださったみなさん、ありがとうございました。今回はその報告をしたいと思います。
集合した中村日赤駅から、最初に向かったのは素戔嗚神社。駅にいちばん近い遊郭の角になります。この神社、昭和8(1933)年に当地へ移されたのですが、境内でみられる灯篭や鳥居には遊郭とその経営者と思わしき人々の名前が刻まれています。年月日は大正12(1923)年が多く、遊郭が大須から移転される際に関係者各位が商売の成功を祈願したことが窺えます。なかでも遊郭ならではのユニークな字面が、石灯籠で見受けられました。
さて、ここで今回のフィールドワークの無事を願い、境内を出るとさっそく旅路となる「水路」がみえます。
続きを読む皆さん、春ですね。ぽわとりぃぬです。新入生、新学年、新入社員といった新たな環境をよろめきながらも歩き始めた頃かと思います。あらゆる繋がりがリセット/更新されるこの時期、何か新しい楽しさはないかとネットをポチポチしてみたりもするでしょう。
そうしてうっかり当学会に辿り着いてしまったあなたに、本稿では、小学が開催したエロマンガ読書会の活動報告をしたいと思います。我々は去年の夏から秋にかけて、勇敢にも旧帝大にエロマンガを持ち込み、計3回読書会を行いました。結果的には女性も参加してくれ、また新たに会員となってくれた方もいました。
小文化学会はこのようにメンバーの探求心に寛容です。というより、あなたの自由な探求が小文化学会を作るといえます。本稿をとおして小文化学会の雰囲気を感じていただければと思います。
続きを読む
多くの大学では春学期の講義が開始したころだと思います。いかがお過ごしでしょうか。私は残された長期休みのひとかけらを心惜しく過ごしております。
春学期の講義が始まったということは、多くのサークルで勧誘活動も始まったということを意味します。きっと夕飯やその他オリエンテーションで、新たなメンバー獲得に精を出しているはずです。いやはや、青春ですな……
などと爺くさい静観を決めている場合ではありません。何を隠そう小文化学会、今年の9月で丸3年を迎えるのに、これまでほとんど新たな会員の方に入っていただけていないのです。胡散臭い神様の教えや販売ノルマがある洗剤の類を押しつけていないのに。これは由々しき事態と言わざるをえないでしょう。
去年も似たようなことを思い、3回ほどどなたでも参加可能な読書会などを開きました。結果、何人かの方に加わっていただき、それ自体はとても楽しかったです。しかし、新年度早々の記事(http://sho-gaku.hatenablog.jp/entry/2019/04/01/120000)にも書いたとおり、小文化学会という誰もが使える「公共財」は、今のところ活動を継続するための投資者がまったく足りていません。
手前味噌になってしまいますが、あえて活動の範囲をあいまいにして、あらゆる小文化の愛好家が交流できるプラットフォームになる可能性を秘めた当会が、このまま両手で数えられる程度の人間の記憶に残るだけで終わってしまうのは、なんとも忍びないです。新入生にしろ、上級生にしろ学内の部活、サークルや諸々のクラスで関係を構築して、それで別にいいだろなんて思っているのかもしれない。確かにそれでも不足なんてない。ただ、ちょっと突っこんだ言いかたをすれば、それだけで消耗するのはやめようぜ? と申しあげたいのです。
もうひとつ。試食コーナーで一口大の食品をつまむような情報の享受でいいのか? ってことも。書は捨てなくてもいいので、街に出ましょう。他人の画像や感想で知った気になった世界なんて、リトルワールドが本物に見えるぐらいちゃちですから。
偉そうな前口上を並べるだけ並べて、ようやく本題に入ります。小文化学会に入会してください。あなたが常日頃、興味関心を抱いているけれど、身近にいる人とは話しにくいな……と思っていることを、ぜひ当ブログや当会会員と共有しませんか。
もちろん、単にハム無線で闇雲にモールス信号を打つように勧誘してもしかたがないので、とりあえず一緒にフィールドワークをしてみましょう。小学でいままで行ったフィールドワークといえば、暗渠をめぐるクルージングです。今回は、ぜひ皆さんとクルージングをしたいと考えています。
舞台は名古屋市中村区。中村区で暗渠、というとピンときた方もいると思います。そう、中村遊郭跡地です。現在でもかつての廓建築が残り、また現役の花街でもある遊郭跡地。その街区はあの吉原遊郭を真似ています。記事として掲載した八王子の田町遊郭もその一例でしたが、中村遊郭は規模が段違いです。ちゃんと正方形の堀も整備されていました。遊郭跡というと、豪華絢爛な外装に目がいきがちですが、堀跡の暗渠を辿るのが、旅の主題です。
実は昨年の春、会員たちと1回歩きましたが、その時はいまいち辿りきれなかったので、今回はそのリベンジを、皆さんのお力添えを共にして実行したい所存です。一緒に自分の脚というオールを使って、探検の航路を進んでみましょう。
日程は4月27日(土)
午前10時半集合です。
史上最長のGW。スタートダッシュは小学の新歓で決まりだ!