小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

スローな関係にしてくれ

 いよいよ明日が新元号発表ですよ!

 むっちゃドキドキしてきた……いや、それよりもみなさんはご自身の未知数な新生活のほうが、きっとドキドキでしょう。

 小文化学会としては大学新入生のみならず、2年生以上、院生の方も分け隔てなく、新たな交流を広げるきっかけに当会に入っていただきたいと考えています(別に4月でなくても、年中歓迎です)。

 こんなふうに言っておきながら身勝手ですが、興味を持ってくださっても「じゃあ具体的に何やるの?」と尋ねられて、返事に窮することがちょくちょくありました。ちゃんと考えろよって話ですよね。ちょうどいい機会なので、勧誘の代わりに述べておこうと思います。

  そもそも、なんで上記の質問が出るのかというと、既存のサークルとは違ってコンセプトが明確ではないからでしょう。時間がある方はいったん右欄にある月別アーカイブから過去の記事をみてください。いろいろな人が、いろいろな寄稿をしてくれています。これを見ると、興味があることについて書くサークルなのかな、と想像がつきますね。確かに、記事の執筆は活動内容のひとつに挙げられます。

 しかし、直前の投稿(http://sho-gaku.hatenablog.jp/entry/2019/03/30/120000)を見ると、なにやら街へ繰りだして工場やらなんやらを回っていますね。この時は私とエチゴ二アさんで行きました。他の会員とも、別の場所でフィールドワークをしたり、勉強会をしたりしました。slackを利用した読書会も、私は参加できなかったのですが実施されています。私の筆不精のせいで報告がまだですが、4月中に小学の紹介を兼ねて記事としてまとめられたら……まとめます。

 実際にみんなで集まるのか、それともネット上で個人が寄稿するのか。どちらが小学のメインなのかと聞かれれば、どちらもメインと答えます。実際に集まるにしても、決まったテーマを延々とするわけではありません。去年は暗渠のフィールドワークと、男性向け成年コミック(いわゆるエロマンガです)を題材としたそこそこ真面目な読書会をしました。既存のサークルの概念にとらわれていると、なかなか難しいのではないかと思います。

 また、場所も自由自在です。すでに記事で報告している首都圏の八王子、暗渠と読書会をした東海の名古屋、同様の内容で、違うメンバーによる読書会を関西の京都でも開催しました。サークルというと大学ごと、インカレにしても地域の壁を超えるのは難しいと思います。それを軽々と超える、現代の寒山拾得とでもいうべき活動を実践するのが小文化学会の特長というと、少し盛りすぎだな。寄稿はしても奇行はしていませんよ。

 ここまで具体的な活動をとおして小学の持つ魅力を紹介したのですが、変遷についても述べておきましょう。当会は違う興味を持つ人々が自由に興味を発信したり集まったりして、普通ならなかなか出会えない人同士が交流できるきっかけとなるのを目的にしていました。もちろん、これは今でも理念のひとつとして会員で共有されている(と思います)。ただ、実際にやってみて、現代のネットをはじめとした社会では、またちがった意味合いを持たせられるんじゃないか、と考えるようになりました。どういうことか説明していきますね。

 さきほどの活動内容や、いまさっき述べた目的を読んで「それはわざわざサークルの体裁を持たなくてもいいんじゃないか」と思った方もみえるはずです。ネットで個人間が勝手につるんでもいいし、わざわざ興味あるもの以外に触れるのはめんどい。記事を寄稿するなら個人でブログも開設できるし、半端な知識の学生なんかが集まってどうするの? ライターが書いたり、そういうライターのもとに集まればいいじゃない。

 こういった意見を否定・非難するつもりは毛頭ありません。実際、ネットメディアや有名人によるオンラインサロンは、その専門性やドメインパワーからみると、小学とは比にならない強さを持っているでしょう。では、小学が持っている「強み」とは?

 それについて考えるには、上記の関係の弱点をまとめる必要があります。たとえば、ネットの交流は気軽さが魅力ですが、同時に切れる時は簡単に切れてしまう脆弱性も含意します。ブログを個人で始めるのは、ややもすると継続するのが難しかったり、また知名度を上げたいという思いが先行して、故意的なネット炎上を起こしたりする場合もあるでしょう。別に本人がしたいのだから勝手にさせればいい、という話ではありません。オンラインサロンは情報弱者の搾取、というのが雑になるものの目立つ短所といえそうです。具体例はすでに複数のネット記事で取りあげられているので、ここでは省きます。気になる方は調べてみてください。

 これらを俯瞰したうえで、現在のネット社会の傾向としていえるのは個人や個人間の関係が消費の対象となっている、ということです。別にネットが台頭するまえからありましたが、どんどん激化している。SNSでのいいねのやりとりやどこの誰か、詳しくは知らないけれど言動が好奇心を誘引するから「ヲチ」する。その根源にある感情が好悪のどちらかは関係ありません。いずれにせよ、消費的側面を伴うからです。好いものであれば、交流をうみだせるかもしれません。でも、実際に会いでもしないかぎり、そこには責任や紐帯はないのです。結局のところ、ネット単体では消費以上の関係をつくるのは難しい。

 ネット炎上も、いうまでもなく感情が原因です。そしてより消費という言葉が適するでしょう。おもしろいことに、ネット炎上は当事者がみな消費している意識を持っている。炎上に加わる野次馬は暇つぶしに当事者を消費し、当事者もまた自身の名を売るために野次馬を消費している。ここには交流がないです。野次馬同士は手を組むかもしれないですが。とはいえ、喉元過ぎれば炎上の熱さは忘れられていきます。

 より露骨な消費が、一部のオンラインサロンです(当然ながら全部が全部そういうわけではない)。月毎に新聞の3倍ぐらいの金額を支払わせたり、タダ働きをさせたり……。参加したい人を止める道理はありません。しかし、これをもって交流や人脈構築、経験値アップができると考えるのは、あまり賢明ではないでしょう。

 消費、という言葉に違和感を持つならばファストな関係と呼称しましょう。元来の地縁や血縁、職縁に基づくつながり、うっとうしいと感じることありますよね。目に見える傾向として大都市圏への人口集中や未婚率の上昇が確認できるのですが、それをひきおこしている要因こそ、ファストな関係志向があると考えられます。

 それ自体が悪ではありません。むしろ、そういった関係を持てるなんて、前近代では考えられなかったのです。地縁に代表されるようなつながりが希薄な現代人でも、寂しさは覚えます。そういった寂しさを紛らわせたいのは自然な感情です。簡単に他者と関係を持ち、また切れるのは現代の長所といえます。使える際には、気兼ねなく使ってもいいのです。

 とはいえ、弊害も少なからずあります。ちょうど1年前の記事でも触れましたが(http://sho-gaku.hatenablog.jp/entry/2018/04/01/043004)、ファストな関係の構築をするために、しばしば人々は独自の思考を捨て、ただ特定のイデオロギーや言説を垂れ流す機械になってしまいます。また、経済至上主義下では関係を構築する際にお金が必要になることがあります。逆にいえば、関係を持てる間柄でなくても、お金さえあれば持った「気になる」ことが可能です。あまり良質とはいえないサロンにお金を払う方は、もしかしたらそういう動機で入っているのかもしれません。ただ、お金が先行している以上、それが深い紐帯になるとは限らないし、通常では低いでしょう。あんまりな例ですが、性風俗を想起していただければ納得できるかと思います。

 ファストな関係の対義には、スローな関係があります。地縁コミュニティなどが該当するわけですが、小学も時間をかけて、興味のある分野を自己呈示したり、一緒に探検、勉強したりして関係を構築できる空間が、目標のひとつです。独自性があるように思えますが、別にこれは既存のサークルでも行われているでしょう。

 では、小学はどうやってスローな関係をつくる空間を形成したいのか。実はここで、ファストな関係の基盤となるネットを利用しているのです。いうまでもなく、この記事が寄稿しているのはブログですし、ネットでの読書会(電子感想戦という名称です)は、もはや説明する必要ありません。会員がいる地域も三大都市圏にばらけています。いろんなところでリアルの活動をしているのは、そのためです。集まりにくいけど、日程さえ合わせればどこで集まっても人が来る。

 集まる人も、会員だけではありません。フィールドワークは会員のみでしたが、勉強会はチラシなどを用いて参加者を集い、実際に会員ではない方も参加してくださいました。これに参加したからといって、小学に入会する必要はありません。ファストな関係の利点を発揮しているわけです。

 ただ、あえて小学はファストな関係に始終しないようにしています。どのカテゴリであっても、執筆者が小文化と認識していれば寄稿できるようにしているのは、その意識が根底にあるからです。掲載されている記事には、もしかしたらあなたが眉をひそめるような内容があるかもしれない。実際、会員も各々が各々の書いたものすべてに興味があるわけではないでしょう。それでよいのです。こういった空間自体が、小文化といえると考えています。

 ところで、ここでファストな関係といっているものは、先行研究に照らしあわせると、その長所のみに焦点をあてたらグラノヴェッターの「弱い紐帯」と重なる点があるでしょう。ただ、弱い紐帯を適当に乱造したところで、それは自己満足でしかありませんし、当時の「強さ」を参照するにしても、現代のネット社会では橋渡しなんてするまでもなく、仲介者を必要せずとも関係が構築されます(これはよいことだと思います)。つまり、小学はネットワークが展開される空間というよりも、ある種の公共財的な利用を期待できるのではないか、と青写真を描くようになりました。これが、小学の「強み」です。

 しかし、あくまでそれは青写真です。というのも公共財を公共財たらしめるのは投資と投資をするしないに関わらず平等に利用できることですが、残念ながら現在の小学には投資が足りていないし、利用者も少ないです。ここでいう財、投資とは比喩で、「財」の「投資」は、「小学の活動」に「参加」することとなります。「小学の活動」? 先に挙げたようなものです。

 たいていこういう類の活動で問題になるのは、互酬性と投資への意味付けです。前者はいわゆるフリーライドです。後者は小学で活動なんかして意味あるの? という疑問そのものです。

 投資が足りない、というのは、まさしくそれらの課題に因るものです。参加してもらえばそれが小学という公共財の持続につながるので、あまりフリーライドが問題とはならないのですが、その活動を具体的にする人が、正直なところあまりいないのです。

 小学で具体的に活動していくということは、ネットでは構築されにくいスローな関係を構築するということです。ネット社会への抵抗、といっても過言じゃない……はずです。学生院生が未熟な部分を自認しつつも、切磋琢磨していく。実際に集まる際の開催地までの交通費や食費をのぞき、参加自体には年会費等いっさいかかりません。どの大学に所属しているか、どの地方在住かも関係ありません。はじめはファストな関係からでもいい。ちょうど4月から6月にかけて、いくつか新歓めいた活動を各地でする予定です。参加できる方はまずそちらに参加して、小学を体験してみてください。ネット上でも、電子感想戦のような取り組みを行う予定です。もちろん、いきなり記事を寄稿したい、フィールドワークや勉強会を開催したいというのも大歓迎です。物好きな会員が、きっと参加するでしょう。

 これからの小学をつくるのは、あなたです。よろしくお願いします。