小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

路上でクルージング@中村遊郭跡

 先日の「路上でクルージング@中村遊郭跡」はお天気にも恵まれ、無事に開催できました。来てくださったみなさん、ありがとうございました。今回はその報告をしたいと思います。

 集合した中村日赤駅から、最初に向かったのは素戔嗚神社。駅にいちばん近い遊郭の角になります。この神社、昭和8(1933)年に当地へ移されたのですが、境内でみられる灯篭や鳥居には遊郭とその経営者と思わしき人々の名前が刻まれています。年月日は大正12(1923)年が多く、遊郭大須から移転される際に関係者各位が商売の成功を祈願したことが窺えます。なかでも遊郭ならではのユニークな字面が、石灯籠で見受けられました。

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家内安全ではなく廊内安全

 さて、ここで今回のフィールドワークの無事を願い、境内を出るとさっそく旅路となる「水路」がみえます。

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かつてあっただろう橋のうえから遊郭をみる

 左手の木々を抱く素戔嗚神社にむかって道が斜めにのびています。奥にみえる「ウカイ病院」は、遊郭の正方形の街区内にあります。つまり写真を撮った位置は、遊郭の入口にあたるわけです。都市計画基本図で確認してみましょう。

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写真の位置は、道が斜めからまっすぐに変わる点にあたる

 素戔嗚神社から南におりていく「道」が、暗渠です。当然、小さいながら水路を渡るのですから、かつては橋があったと推測されます。ここでは痕跡は確認できませんでしたが、それはのちのお楽しみとしましょう。

 前回の記事で暗渠の特徴に、道をつくる以前の名残で勝手口が多いことを挙げました。中村遊郭でも、かつて利用されていた施設でそれが見受けられました。

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裏側ながらも立派な佇まい

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横からみると、細長い遊郭の町割りがよく分かる

 ずっと細い道を南へ向かっていると、かつて大人な商売で利用されたであろう建物がちらほらと。

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ドア前の上側にかつて灯りを設けていた痕跡がみられる

 中村遊郭は戦後、売春防止法が施行されるまで赤線地区に指定されていました。たいていそういう街は、そのあとも水商売がさかんな地域となります。戦後の売春宿が戦前の遊郭のような立派な建築をこさえることは、とてもできません。つくりも画一化していきます。特徴としては①ドアが奥まっている、②ドアの手前に赤く灯るランプがあることが挙げられます。売春宿が多い街を赤灯地区とも呼びますが、その由来は②の特徴なのです。

 次の角に近づいていくにつれ、道もだんだん細くなっていきます。

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暗渠のかほりがする道

 いきなりグレーチングのお出迎え、とってつけたような勝手口。コンクリートの舗装はわりあい綺麗ですが、ちょっと盛りあがっているのが普通の小道と一味違ったポイントとなっています。

 次の十字路の直前、急に暗渠がカーブしました。

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正面の道がずっと歩いてきた暗渠

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橋があったので垂直に交わる。左手赤いコーン隣の石に注目

 橋のはの字もありませんが、無言の証人が100年近く経った今でも路傍に立っています。ちょっと近づいてみましょうか……

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単なる置石ではないオーラを放つ

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大正12(2は不鮮明で推測)年3月と刻まれている

 大正12年というと、中村に遊郭が移った年です。そして当地で営業が開始したのは4月。3月にこの橋ができたということは、かなり急ピッチで造成工事が進んだのだと思われます。

 さて、ここから南の暗渠を西から東へ歩こう……としたのですが、道になっていませんでした。

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土地の境界としては健在のようだ

 なんで暗渠じゃないのにこの微妙な空き地が堀の跡だと推測するのか? それは古い都市計画基本図が教えてくれたのです。

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赤で囲んだ点線にご注目

 これは昭和30年代初頭の中村遊郭跡地です。フリーハンドなので汚くなってしまい申し訳ないのですが、囲まれた点線が上の写真を撮影した地点から伸びる暗渠になっています。ではこれは、小川を表しているのかというと、そうではなく、町の境界線です。妙に綺麗で、しかしどこか中途半端な境界線は堀に由来しています。そのため、現在でも堀の位置が確認できるのです。

 1本南の道を歩きつつ、駐車場で堀の現状がどうなっているのか調べてみました。

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駐輪スペースの奥の隙間が堀跡。右手前のコンクリートの盛りあがりもポイント

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図中央のいまいち噛みあってない駐車場で撮影した

 先ほど提示した昭和30年代初頭の地図だと、「賑」の少し左にある郵便局の跡地にあたると考えられます。カーブがついた小道が、いま歩いてきた道から伸びています。小さいほうの駐車場になっていますね。見た目は大きな駐車場ですが、土地の扱いとしては、ふたつの駐車場(アパートの駐輪スペースも含めればみっつ)になっているかもしれません。

 さて、暗渠をちょっと覗くつもりで立ち入ったのですが、ここで思わぬ隙間を見つけました。

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苔むした空洞が洞のようにあいている

 これ、埋められた堀なんじゃないかなと思います。中がもうちょっとみえればよかったんですが、あまりポッカリだと塞がれてしまうので難しいですね。苔の生え具合や目視でそこそこ深さがあるようだったので、そう推測しました。ちょうどふたつの駐車場のあいだです。いまでは堀はすべて埋められてしまったので、なかなか見られない隙間ですね。

 道に戻って東へ進むと、遊郭を南北に突きぬける目抜き通りにぶつかります。

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昼間なので人通りは少ない

 ちょっと道を逸れて暗渠に面した路地へ足を運びました。

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小道に店が並ぶ

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 遊郭の南の辺に面しているため、そういう雰囲気を持ったお店や居抜き物件がありました。

 みっつめの角にさしかかるあたりで、お寺がみえてきました。

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現在でも参拝する方がいる

 白王寺というお寺で、別名を中村観音といいます。別名からわかるとおり、本尊は観世音菩薩です。ここでは無縁仏供養をしており、その「無縁仏」が誰かというと、遊郭で働いていた遊女です。郷里を離れ、頼る身内もいない彼女たちは厳しい労働環境のなかで、亡くなったり自殺したりすることが多かったようです。こうした無縁仏を供養するお寺は、各地の遊郭の近くにはつきものです。いわゆる投げ込み寺ですね。江戸吉原の浄閑寺飛田新地には寺はないものの慈悲供養塔と慈母観音があります。こうした歴史を、遊郭を歩く際にはないがしろにしたくありません。

 ところで、このお寺の斜向かいには古い映画館があります。

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看板も屋根も歴史の深さを醸しだしている

 ちらっと見えるポスターの肌色から察しがつくかと思いますが、中村映劇は成人映画館です。いまでは本当に数が少なくなりました。東海北陸レベルでみても、片手で収まるほどしかないのではないでしょうか(ほかに私が知っているのは金沢にある1館だけです)。それだけでなく、名古屋市内のミニシアターでもいちばんの歴史があるそう。映画館も性産業がさかんな街の振興に一役買い、そしていまでも営業を続けているわけです。

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お馴染みの斜めった道

 みっつめの角に着きました。奥にみえる黒いお店は大人のお風呂屋さんですね。現在でもこの地区は、名古屋随一のソープ街になっています。その様子はまたのちほど。

 ここから暗渠に戻れる……と思いきや、またもや舗装されていませんでした。残念。

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水路に流れるのは緑のカバー

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けっこうな長さで続いていた

 ワンブロック歩いたあとも、敷地と敷地のあいだに砂利道が続いていました。

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南から北方面をみる

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今度は北から南

 古びた室外機や砂利道をみるに、埋められてからだいぶ時間が経っているようです。
 ここから、ふたたび堀のうえを歩いていきます。

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うってかわって道幅が広くなる

 最後の角に差しかかりました。

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遊廓から斜めに伸びる道

 北の辺を東から西へ向かいます。つまりスタート地点の素戔嗚神社へ戻っていく形となります。

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古い木造アパートの奥で、マンションの建築工事が進む

 ただし、この道も南北を走る目抜き通りを境に通れませんでした。

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真西へ向かうと、神社にぶつかる

 堀をたどるのは終わりにして、ここから遊廓のなかに入っていきます。

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いまではデイサービスの送迎車が並ぶ

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改修工事をしているようでした

 「松岡」は市の都市景観重要建築物に指定されている、遊郭の雰囲気を現在に伝える貴重な建物です。かつての遊郭がデイサービス……時代の流れを感じますね。
 なんらかの指定を受けていれば建物が壊される心配はない、というわけではありません。松岡の向かいにあった「料亭稲本」(ここも近年はデイサービスを行っていました)も、松岡と同様の指定を受けていましたが、去年取り壊されてしまいました。遊郭建築はこれからますます貴重なものになっていくでしょう。

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稲本の門。中国風のエキゾチックな様式と赤い配色が特長だった

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更地になった稲本跡地

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「べんがら亭」が壊された稲本。他にも老人向けの施設がいくつかみられる

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遊廓中心部にはスーパーとソープ。ここでしかみられない組み合わせ

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別の業種が入っている場合もあるようだ

 

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健在の店舗ももちろんある

 ところで、入口が新しくても使われている建物自体は、遊郭のころから変わっていません。上のソープも、横からみるとこのとおり。

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細長い構造が残っている

 中村遊郭の娼家には共通するスタイルがありました。それは中庭です。どうやら当時、ここのトレンドだったようでほとんどの建物が中庭を持つ構造となっています。

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上記と同じ基本図より。各建物にあいた穴が中庭

 ただ歩いているだけではその様子は窺えません……が、ありがたいことにど真ん中に周囲を見下ろせる建物があります。そう、ピアゴです!

 免許も持っていない人間が、駐車場までえっちらおっちら向かいました。

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写真手前の真ん中の建物が上掲の蕎麦屋。娼家を利用していることが分かる

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華美なソープの入口とのギャップがおもしろい

 中庭の様子が分かりますでしょうか。物干しができそうなスペースで、実際シーツかなにかを干しているのもみられました。中村遊郭は珍しく遊女が男の相手をするスペースと暮らすスペースが同一である店舗が多かったので、物干しができるつくりが必要だったのかもしれません。

 暗渠だけでなく、遊郭建築の妙までみられたのでよかったです。風は強かったですが、船は追い風が強いほうが進むし、今回はそういうことにしておきましょう。こうした実際に街を周るフィールドワークは今後も実施する予定ですので、お気軽に参加してください。それでは!