小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

今年はこういうの読みました2019

 ここ最近活動していないので、小文化学会は冬枯れた野原のように息の根が止まってしまったと思ったそこのアナタ! ぶっちゃけ否めません。とはいえ〆るところはきちんと〆ます。来年がんばるために、せめて今年の足跡を留めておきたい。毎年恒例の「今年はこういうの読みました」を書いて、本年の活動はおしまいです。来年は読んでくださった方にとっても、我々小文化学会にとっても実りある1年にできるよう努力していきましょう。

 

  

 10nies

 安部公房,1970→2018,『けものたちは故郷をめざす』 新潮社.

 

 きっとみなさんも安部公房という作家の名前は聞いたことがあると思います。彼の著作で知っている作品を尋ねてみると、何が出てくるでしょうか。『砂の女』、『壁』、『他人の顔』といった、SFともアバンギャルドともちょっと違う、独特な小説が多い公房ですが、今回は無情なまでに現実を描いた作品を紹介したいと思います。

 時は1948年3月、旧満州。日本の暦なら春が始まってもいいころでも、中国東北部は容赦ない寒さが大地を覆っています。主人公の日本人の青年、久木久三は敗戦直後の混乱のさなかで出会い、そのまま残留したソ連兵の世話になっていました。脱走して、故郷へと戻る機会を伺いながら――

 

  「いよいよ明日に決まったぜ、南行きの列車が出るんだそうだ。」(7p)

 

 一番冒頭の台詞が、久三の決心を固めます。すんでのところで古巣の兵士たちに見つかってしまうのですが、咎めるどころか彼らは久三のために列車のきっぷを買ってくれました。「とにかく、うまく行きついてくれればいいがな……」(58p)という世辞のようなソ連兵の期待は、残念ながら裏切られることとなります。

 満州国の首都だった長春(1932-1945年は新京と呼ばれた)へ向かう途中、久三が乗っていた汽車は襲撃され、言葉を交わした汪木枕、またの名を高石塔とともに、広漠とした大地をひたすら南へと向かいはじめます。

 高石塔、とんでもなくうさんくさい男です。語るに落ちるといいますから、彼の言葉に耳をかたむけてみましょう。

 

  「通信工作員だから、いろんな言葉を話せるよ。日本語、朝鮮語、北京語、福健

 語、これだけはまあ区別なしにつかえるね。それに蒙古語とロシヤ語もまあまあとい

 うところだな」(63p)

 

  「汪さんは、どこまで行くんですか?」

  「どこっていうこともないさ、うん……行った先々で、新しい任務をもらうから

 ね……新聞記者なんて、割のいい商売じゃない。」(85p)

 

 どこから来たのか、何者かも分からない高と、南へ行くことだけがはっきりした久三との関係は非常に奇妙です。汽車襲撃の際に負傷した高は体調を著しく崩して、一時は生死をさまよいます。当然、そのあいだ旅路は立往生。減っていく食料、分厚い氷を砕くことさえできずに使いはたした弾丸、苦痛を和らげる阿片。もがくように進む2人は、離れたり合流したりを繰りかえし、最終的には日本にほど近い場所で再会します。どこで、どうそうなったのかは、ぜひご自身の目でお確かめください。

 本書は長らく絶版されていました。近年、文庫として再版され、手に入れやすくなりました。まったく実感は湧かないけれど、物語はただただ実感だけで構成されています。私は在来線の長旅のなかで読みましたが、乗っている電車が襲撃を受けるのではないかとひやひやしたぐらいです。公房は満州にいたことがあり、引揚船などの経験が本作にも活かされているといわれています。納得のリアリティですね。

 

  「証明書はもっています。」

  「証明書? ……そんなもの、いくらだって持ってるさ……このあたりはね、ちょ

 うど敵と味方の境い目なんだ。どっちを味方にするかもまだ決めておらんような連中

 に、証明書がなんの役に立つ。」(88p)

 

 誰が味方で敵なのか。どの選択が正しくて間違いなのか。不確定性に支配された物語は、遠い世界のようにみえて、実は私たちが生きる現代とよく似ているのかもしれません。読後感はけっしてよくありませんが、緊迫した読書体験を求める人に読んでほしい小説です。

 

 

 つおおつ

 片桐はいり,2007,『グアテマラの弟』 幻冬舎

 

 小学読者の皆さんはグアテマラと聞いて何をイメージするか。

 グアテマラと聞いて私がイメージするのは、かの名作戦略シミュレーションゲームハーツオブアイアン2」で何故か中米の国家の中で唯一中核州に初期プロヴィンスだけでなく隣国のエルサルバドルも含まれているため隣国を侵略することで高い工業力を得られるというイメージのみである。(ハーツオブアイアン2では、侵略した土地の工業力は中核州を除いて20%しか手に入らない。)

 さて、このエッセイはその顔面の対称性の高さをニコニコ動画等でしばしばネタにされる俳優、片桐はいりが国立大学の院まで出たにも関わらずグアテマラに仕事と家族を見つけた弟を訪れてそこで起こったよしなしごとを綴ったものである。

 片桐はいりの文章力がとりわけ優れているわけではない。しかし、彼女独自の行動力と簡潔な文章のお陰で、私たちはグアテマラの文化・国民性にじかに触れることができる。

 グアテマラの温泉は大浴場形式ではなく個室がメインであるということはこの本を読まなければ知ることは無かったはずだ。

 私を始め、読者のほとんどがグアテマラを訪れることはないからこそ、頭でっかちでない素直さでグアテマラを描写したこの本は貴重なのである。

 小学読者の皆も、この本を読んでグアテマラに思いを馳せて欲しい。

 

 

 ヱチゴニア

 南田勝也・木島由晶・永井純一・小川博司編著,2019,『音楽化社会の現在―統計データで読むポピュラー音楽』 新曜社

 

 「音楽」というトピックの広範さや著者の多さから、この本の内容が多岐にわたることは想像に難くないでしょう。それぞれの著者が専門的な分析のもとに、とても面白い結果を報告しています。ここでは、そのうち特に私の興味を引いた部分について軽く紹介させていただきます。

 私はメロディーに惹かれて音楽を聴くタイプなのですが、人から「どんな音楽を聴くの?」と尋ねられて回答に困ることが良くあります。色々なジャンル/アーティストの音楽を聴くからです。おそらく、この記事を読んでいる人の中にもそのような方はいらっしゃるのではないでしょうか。なぜなら、統計的には9%程度の人がこのタイプに属しているのですから。

 音楽の好みは4つのタイプに大別できるそうなのです。本書の中では、その4つを〈一点型〉〈二色型〉〈特化型〉〈分散型〉と名付けています。メロディーに惹かれて音楽を聴く人は〈分散型〉で、一人で音楽を楽しむことが多く、また、読書など活字文化を好む傾向にあるそうです。心当たりがあったりするでしょうか。

 なぜこのタイプが〈分散型〉と呼ばれているのか。それはもちろん様々なジャンルに嗜好が分散しているからなのですが、それは現在の音楽のジャンルがメロディーではない別の要素によって分類されているからなのではないでしょうか。そう考えたときに、私は長年の「どんな音楽を聴くの?」に即答できない事に対するわだかまりを解消できたような、スッキリした気分になりました。

 本書は少しく学術的な文章になっていますが、内容が身近なこともあり読みやすく、そして読み応えがある本です。もし音楽の文化に興味があれば読んでみる価値があるでしょう。