クジラックスの『ろりとぼくらの』をアッサンブラージュする――エロマンガのエロい・エロくないを分析する②――
久しぶりにエロマンガをテーマに記事を書きたいと思います。
分析対象をクジラックスの『ろりとぼくらの』とした本稿は、エロいエロくないというよりかは、ヒットの分析となりました。なので正確には、以前投稿した記事の亜流として位置づけられます。
「エロマンガのエロいエロくないも分析できるよ」といって終わっちゃった前回に続き、今回は具体的に分析をしてみようと思います。なお、シリーズタイトルはこっちのがキャッチ―かもという判断で「エロマンガのエロい・エロくないを分析する」に変更。
さて、多くのエロマンガ好きがこぞって論評している『ろりとぼくらの』。どれも似たようなこと言ってて食傷気味なので、本稿は作品内容については一切語らず、『ろりともだち』がなぜここまでのヒットになったかについて、その周辺環境から考えてみたいと思います。
1.本稿の結論
本稿長いから結論を先に書いとくね。『ろりとぼくらの』がヒットした理由は、
- 東浩紀がツイートしたから(≒して話題になるくらいSNSが普及してたから)
- 「らぶいずぶらいんど」や「がんばれ便所飯くん」の1コマがネットで有名だったから
- 「ろりともだち」が周囲と同調しながらも独自性を確保していたから。
- 『ろりとぼくらの』が出版されるまでの間に、それまでの有名作家が活動休止するなどしてLOにて作家の不在が生じていたから。
この4つの複合。で、下の2つが本稿の持論。
2.〈特集 動くアッサンブラージュを人類学する〉
具体的な分析に入る前に、本稿の理論的背景について紹介。
〈特集 動くアッサンブラージュを人類学する〉。
査読雑誌「文化人類学」の2011年に組まれた特集だ。
現在ジェルの『Art And Agency』を邦訳中にして博士課程では前の席を陣取ってジェルの講義を聞いていたという内山田康先生を筆頭に、ラトゥールのアクターネットワーク論(ANT)に深みを持たせようという挑戦だ。
なので前稿で引用したジェルの理論と関連はしている。こっちも亜流といえば亜流。
ANTには深みが欠如している(内山田 2011a: 1)。アクターは今見えているネットワークとは別の次元で新しいネットワークを生み出す力を持っている。そんなアクターの諸力をも捉えるべく内山田が提出したのが「動くアッサンブラージュ」。
動くアッサンブラージュは
- アクターの一過的な配置である。
- アクターには、過去の交渉と仕事の記憶、未来の交渉と仕事への期待、新たな個別化へ向かう潜在性が内包されている。
- 他のアクターとの関係において潜在性が活性化し外延化すると新たなアッサンブラージュが出現するが、その際には関係の切断が起きる。
- 内包= アクターの過去と未来、それを動機づける潜在的な力。ANTに足りない深み。
- 外延= アッサンブラージュの空間的な広がり
- メインのアッサンブラージュとは別の次元で、部分的な別のアッサンブラージュも続く。
- 不変の本質を追求しない。影響しあいながら成長し、年老いて、死ぬ、その一生を記述する
内山田先生の文章って真似したくなるくらいカッコいいんだけど、勉強不足の俺には読み解くのが難しいんだよな。
ともあれ、本稿が参考にする「動くアッサンブラージュ」はこんな感じ。なお、アッサンブラージュは成長するし変化するしでそもそも動的なため、わざわざ動くという必要はない(内山田 2011: 1)。だから以下からはアッサンブラージュとします。
2-1. 特集論文が何をやっているのか
特集なので内山田を含め3本の論文が載っている。どれもアッサンブラージュを分析に用いた論文で、吉田(2011)はバリの仮面劇トペンを、森田(2011)はタイに輸出された日本のコンバインを、内山田(2011b)はインドの女神チェッラッタンマンを議論する。
このうち吉田と森田に共通するのがモノを主体にする視点。人が仮面を被って劇を演じているのではなく、仮面が人に演技をさせているとか、故障したコンバインが人を右往左往させているとか。
まあ、ANT知ってるなら聴いたことのある見方。
重要なのは、それぞれの論文において内包と外延がどう描かれているか。仮面は過去の演技を内包している。コンバインは日本の畑の環境を内包している。それらが新たなアッサンブラージュのなかで出現する。日本製のコンバインがタイの畑を耕作して草が絡まった時、刃先のかたちに日本の畑作方法や植物の特性が内包されていたことが明らかになる。
そして、内山田の視点は、パーソンの差異と連続性。村の女神チェッラッタンマンとミーナクーシーとシヴァ神が、それぞれ独立した存在ではなく、互いに依存しあっていて、時に互いの分身となる。あと、同じミーナクーシーといっても儀礼の時間的経過でその存在を変態させている。
そんなパーソン同士の差異と連続のあり様を考察したのが内山田の論文。
つまり、先行研究を通覧してわかったアッサンブラージュを用いた分析の方法ってのは、モノと人、人と人、モノとモノの関係、それらの配置の持続と変化を記述するってこと。
その記述は不変の本質を追求するわけじゃないけど、世界の新たな理解ではある。
つまり動くアッサンブラージュを用いて分析すると何が得られるのか。
ANTの発展形なんだから、もちろんモノを主体に置いた世界が記述できる。これにより人間中心的な世界観では見えない部分が見れる。
そして内包と外延という概念はアクター同士の関係に動きを持たせる。これこそがアッサンブラージュの真骨頂で、アクターの変態を考慮に入れることができる。仮面は飾られている時と役者が被って踊ってる時では果たす役割が違う。でもこの差異は断絶したものではなく、時間的に持続しているし、空間的な移動も飛躍しない。
それと、偶然を考慮できるってのもある。
これが本稿での俺の裏目的なんだけど、動くアッサンブラージュを用いて『ろりとぼくらの』を分析すると、「ここまでブレイクしなかったもう1つの未来」が覗けると思うんだよな。
だって、潜在性とか別の次元でもアッサンブラージュが出現するとか言ってるから。
3.『ろりとぼくらの』のアッサンブラージュ
『ろりとぼくらの』というエロマンガそのものの意義はすでに語りつくされている。
最初が東浩紀で最近だと氷上絢一。
『ろりともだち』にどういう意義があるのかについては、現時点での最先端である氷上が上の感じにまとめてくれているので貼っておく。
だから今更繰り返さない。
『ろりともだち』のあらすじも作者クジラックスの制作姿勢も、そして主人公2人のロリコンを媒介としたホモソーシャルな友情も。
『ろりともだち』について内容も作者も語らないと縛りを課した時、他に何の道が残されているのか。
それは作品と作品の交渉の過程であり、LOという雑誌の変態である。
単行本は雑誌に掲載されたエピソードの集まりである。
各エピソードは単行本としてまとめられる過程で、一度雑誌の中という関係を切断している。
なにも『ろりとぼくらの』はある日突然出現したわけではない。それはLOとクジラックスの交渉の産物だ。両者は過去を内包している。クジラックスの内包については稀見理都のインタビューで明らかになっている。
まずは上記のインタビューからそれらを引用した後、作品と作品の交渉を記述しよう。
3-1.クジラックスのLOデビュー
クジラックスのLOデビューには彼の意図しない流れも重なっている。
彼のキャリアは「お守りはカッター。」が、2008年4月の少年ヤングサンデーの月例賞で佳作を受賞したことから始まる。大賞と入選に該当者がいないので、この作品が最高評価となる。当時のPNは烏賊川ホゑルだった。青年誌に応募した理由は「大学時代にぼんやり一般の青年誌を目指していたから」。
勢いで上京した矢先、少年ヤングサンデーが休刊。貯金が尽きかけていたのと、青年誌だと自由過ぎて何を描けばいいのか分からなかったので、LOに持ち込みをした。持ち込み先をLOとした背景には、「曲線を描くのが苦手」という技術力の要因と、「女子高生の集団に盗撮疑惑をかけられ女子高生が嫌いになった」というトラウマ要因と、「大学時代の友人が読んでいて単に知っていたから」だという偶然と、「もともとエロも挑戦したいな~」という気持ちが重なっている。
青年漫画を描きたかったのかエロマンガを描きたかったのかどっちやねんって感じだが、どちらもクジラックスというアクターの中に潜在していたといえる。それぞれがその時々のアッサンブラージュによって活性化、外へと現れた。
LOが発したエージェンシーも描こう。LOは原稿が不足しており、持ち込み原稿の募集をかけていた。そしてこの時期、雨がっぱ少女群の「夕蝉のささやき」を載せた。エロシーンを確保しながらもエロマンガっぽくない内容の強烈なマンガだとクジラックスは読んで思った。この出来事はクジラックスの中にあった「自分はこの先エロマンガらしくない漫画を描くかもしれない」という予感を強化した。この時持ち込んだのは「まなでし!」という「普通のロリマンガ(本人の弁)」であり、LOではなくCOMIC RiNに掲載される[1]。PNはこの時点ですでにクジラックスだった。
ちなみにこの時の予感は「青年漫画のようにさえない男の心理描写を(悩み)から物語を立ち上げる」というかたちで顕在化する。実際に青年漫画がさえない男の心理描写に重きを置いているか否かという俯瞰の視点と、クジラックスが好んで読んできた青年漫画はそうだったという事実は対立しない。見る場所が違うだけだ。
3-2.2011年8月、「ろりともだち」掲載
本来ならLOを第一号から読み解いていきたいところだが、あいにくそんな時間も根性も品ぞろえの完璧な駿河屋も持ち合わせてなくてな。
それに四方八方に連鎖する大小さまざまなアッサンブラージュを記述し始めたらインクがどれだけあっても足りなくなるだろうし。
だから、アッサンブラージュの中心に「ろりともだち」を置いて範囲を限定しようと思う。
「ろりともだち」をアッサンブラージュで読み解くといった場合、それはどんな読み方なのか。繰り返すがそれは意味を読み解くことではない。「ろりともだち」が内包する交渉の過程であり、その後の外延である。
「ろりともだち」の1つ前にLOに掲載されたのは「学祭ぬけて」であり、1つ後に掲載されたのは「JSえっち講座 女児ルーム編」である。「学祭ぬけて」のほうは確かに「悩める男の心理描写」が描かれているが、作風はポップだ。「JSえっち講座」のほうは、ファンタジーというかコメディチック。ちなみに『ろりとぼくらの』での唯一のオールカラーにして、LOで巻頭カラーだった。
期間はそれぞれ8か月と5か月であり、3作のあおり文にはそれぞれ「帰還」とか「復活」とか「半年ぶり」とタイムラグの長さを示し、かつ掲載を期待していた文言がある。期待の背景には「がんばれ便所飯くん」と、「らぶいずぶらいんど」がある。「らぶいずぶらいんど」にて「要注目新人」と評されていることから、LOデビュー作「さよなら姦田先生」が高い評価だったことがうかがえる。
つまりこれがアッサンブラージュでいうところの縦のアッサンブラージュ。「ろりともだち」はクジラックスの時間的な持続を内包している。
で、横のアッサンブラージュが何かっていうと、それは空間的な広がり。LOにおいて、どのような関係を結んでいたのか。
ろりともだちのページ数は39。2011年8月号に掲載された20人(クジラックス、うさくん含む)のなかで最長の長さである。持ち込み原稿の基準が16P、32Pだと長いとされていることから考えるに、ろりともだちのページ数はかなり長い。
20人の内容を一覧にしてみよう
作者 |
タイトル(ページ数) |
あらすじ |
お姫様になりたい(8、オールカラー) |
女性上位の1対多乱交。 |
|
私立ローレグ小学校♡ 第2話(21) |
ビキニが制服の小学生に痴女られる。 |
|
魔法屋さん“時の牢獄”(21) |
時間停止した部屋の中で幼女をレイプする世にも奇妙な話。竿役バッドエンド。 |
|
ろりともだち(39) |
大学最後の夏休みに男2人で幼女レイプの全国行脚。 |
|
夏はおひるね(23) |
妹と汗だくセックス。 |
|
きっとくる(17) |
先生と生徒。レオタードの汗。先生は幽霊。 |
|
放課後は恋人(21) |
先生と生徒。生きてる先生。 |
|
M・S・5(マジでセックスする5秒前) (15) |
露出狂のおっさんが娘の友達を強引にセックス。 |
|
みさお。 |
旅恋 前編(17) |
少女と2人旅して温泉宿で。 |
Noise |
シンデレ(23) |
幽霊小学生と先生。 |
ことねシークレット(21) |
ことねちゃんが父親と運動会中にこっそり。調教系 |
|
すいーとみるくしぇいく 第4話(25) |
双子の妹2人に襲われるロリコン家庭教師 |
|
秘密の約束(31) |
スク水小学生とヒミツの遊び |
|
FIRST KISS(25) |
妹とセックス。高校生と小学生。 |
|
ふたりの罰ゲーム(23) |
小学生男女の露出セックス |
|
妹模様3(19) |
友達の妹と。 |
|
Yam |
委員長のお仕事(21) |
JSメガネ委員長と先生。献身的な委員長。 |
おとなになるまでは(25) |
妹とセックス。妹は二次性微期(小6)。 |
|
せいほうけい |
田中さんはいいひとです(19) |
無知な幼稚園児におじさんがエッチなことをする。可哀想ではない。 |
マコちゃん絵日記(14) |
マコちゃんがお菓子を食べる話 |
作者の順番がそのまま掲載順となる。
さて、こうして一覧にしてみることで「ろりともだち」が他の作品と共有している部分としていない部分がわかる。
共有しているのは夏をテーマにしている点だ。
そりゃ8月号だからね。たかみちの表紙イラストもスク水の少女だし、朝木貴行のビキニが制服の小学校はかなりぶっ飛んでるが、どの作品も登場人物は半そでだ。ただし、みさおの「旅恋 前編」は夏ではなさそうだし、またたいしょう田中の「ことねシークレット」も運動会と季節にズレがある。その他、Noiseの幽霊小学生、MOLOKONOMIの幽霊先生、バー・ぴぃちぴっとの世にも奇妙な物語風の話のように、怪談チックな話も夏の雑誌として定番のテーマである。
そして共有していない点だが、「ろりともだち」はリアリズムを追求している。こちらは改めて浮き彫りになった。レイプをテーマにした作品は「ろりともだち」以外にも掲載されていたが、ばー・ぴぃちぴっとは時の牢獄に閉じこもった竿役が人格崩壊するオチ。
たいしょう田中の「ことねシークレット」も父親が娘をレイプするという鬱展開なテーマだが、「ことね自身も性欲が強く、父にレイプされることで解消されている」という超次元の理屈によって鬱展開を阻止している。
レイプではないものの、「ろりともだち」のすぐ後に掲載されたほかまみつりの「夏はおひるね」は、暑い夏に縁側で汗をかきながら寝ているロリ巨乳の妹と流れでHするという夢のような話。
極論そもそもロリとセックスする時点でどれもファンタジーといえばファンタジーなのだが、「ろりともだち」の特異な点とは、「ロリとのセックスを現実で実践すること」を真正面から描いたことといえる。
3-3.2012年11月30日『ろりともだち』出版
LO2011年8月号に掲載された中で最長のページ数として雑誌内で存在感を放ち、そして夏をテーマにすることで周囲と同調しながらも「ロリとのセックスを現実的に描く」ことで他作品との差別化に成功した「ろりともだち」は、東浩紀にツイートされ、ネット上で話題になった。もっともその前から、「らぶいずぶらいんど」や「がんばれ便所飯くん」の1コマがネットに貼られて有名にはなっていた。
そうして出版された『ろりともだち』は発売以前からすでに話題となっており、発売日に山積みにした本屋もあったほどだ。
そんな『ろりともだち』の内容は以下のようであった。
作品タイトル |
LO掲載年 |
掲載順 |
ページ数 |
がんばれ便所飯くん |
2009年12月号 |
① |
27 |
らぶいずぶらいんど |
2009年7月号 |
② |
27 |
さよなら姦田先生 |
2009年4月号 |
③ |
26 |
JSえっち講座女児ルーム編 |
2012年2月号 |
④ |
9 |
ろりともだち |
2011年8月号 |
⑤ |
39 |
学祭ぬけて |
2010年11月号 |
⑥ |
29 |
学祭ぬけて番外編ニコニコ♪ゆなちゃん |
2013年1月号 |
⑦ |
13 |
ロリ裁判と賢者の石 |
2012年9月号 |
⑧ |
37 |
まなでし! |
COMIC Rin 2008年10月号 |
⑨ |
21 |
ろりともだち番外編 夏休みの少女達 |
描きおろし |
⑩ |
11 |
あとがき |
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単行本の掲載順=雑誌の掲載順ではないのはエロマンガの特徴だ。『ろりともだち』もまた時系列が組み替えられている。アッサンブラージュにおいてはこの順序に潜む意図を記述すべきである[2]。だがそのためには作者と編集の会議と出版社のマーケティングを知ることが必要で、今の俺にはできない。せいぜい「学祭ぬけて」のあたりからクジラックスが病みはじめてたことくらいしか知らない。
一番話題となった「ろりともだち」を真ん中に配置した意図。「らぶいずぶらいんど」でもなく「がんばれ便所飯くん」を先頭に持ってきた意図。「ろりともだち」と「番外編」の距離。タイトルを『悩める僕等がJSのキツキツおま〇こにカッチカチ大人ち〇ぽをズポズポ出し入れしてしまった件』から変更し、表紙イラストも変えた理由[3]。
だがこうして一覧にしてみると、「ろりともだち」以外はファンタジー的なことがわかるし、悩める青年から立ち上がってる物語って「がんばれ便所飯くん」、「学祭ぬけて」、「ろりともだち」の3つくらい。
もっというと「ロリコンとしての自意識」を描いたのって「ろりともだち」だけ[4]。また「ろりともだち」の持つ夏という要素はこの単行本に配置された際に非活性となっている。
もう少しだけ考えてみよう。
「凛としてしゃぶれ」を含まない『ろりとぼくらの』においてはむしろ「例外的」な作風[5]となる「ろりともだち」がここまで価値を持ったのはなぜか。
1つには、Twitterという新たなメディアの台頭がある。もう1つには「らぶいずぶらいんど」のと「がんばれ便所飯くん」の1コマが切りとられ2ちゃんに貼られており有名になりつつあったということがある。そして「ろりともだち」の質量とオリジナリティ。
そしてもう1つ。
4.LOの切断
東浩紀は確かに著面人だが、「動ポスを書いた哲学者がエロマンガをツイートすること」と、「された作品がバズってエロマンガ史に名を刻むこと」は直ちにイコールではないはずだ。
確かに「ろりともだち」、そして『ろりとぼくらの』を語る上では外せない出来事だ。他に似たような売れ方をしたエロマンガっていうと……搾精病棟ぐらいか?
氷上の評論に沿って疑問を言い換えよう。『ろりとぼくらの』もまたLOの一側面に調和しているならば、他の作品ではなく『ろりとぼくらの』が脚光を浴びたのはなぜか。
2014年にとらのあな秋葉原店Aで開催されたLOコミックフェアで「LOコミックス歴代TOP10」掲載された。累計販売数等を反映したランキングだそうだが、とらAなのか全国なのかは不明だ。
以下のリストがそのTOP10だ。参考までに出版年を付け足した。
順位 | 作者 | 作品(出版年) |
1 | 月吉ヒロキ |
『独蛾』(2008/2) 『夏蟲』(2005/9) |
2 | クジラックス | 『ろりとぼくらの』(2012/11) |
3 | バー・ぴぃちぴっと | 『小中ロック』(2009/5)『小中ロック2』(2010/4)『シェイカー』(2011/6) |
4 | 鬼束直 |
『morning view』(2014/3)『ポルノグラフィティ』(2011/1) 『Lovable』(2008/12) 『ワン ホット ミニット』(2007/1/24) 『Life Is Peachy』(2005/5) |
5 | 雨がっぱ少女群 |
『小指でかきまぜて』(2007/12) 『あったかく・して。』(2008/9) |
6 | 東山翔 |
『Nymphodelic』(2013/4)『Japanese Preteen Suite』(2010/3) 『Gift』(2008/11) 『Stand By Me』(2007/12) |
7 | 冴樹高雄 |
『児犯鬼』(2006/4) 『生オモチャ』(2010/3)『少女姦蔑所』(2004/12) |
8 | 完顔阿骨打 |
『ROUND SHELL』(2004/6) 『ROUND SHELL SECOND』(2005/6) |
9 | 嶺本八美 |
『きて!みて!イジって!』(2014) 『裏山のひみつ基地』(2009)『無防備年齢宣言』(2006) |
10 | あわじひめじ |
『J・R Junior Rape』(2007) 『ろり~はめはめ』(2013/5) 『未成辱』(2011/3) 『極!幼女 スゴロリ』(2005/4) |
町田ひらくがいねえあたりこのランキングを信頼していいか迷うんだが、とはいえ重要な資料ではある。
町田ひらくの全単行本を羅列してもしょうがないので『ろりとぼくらの』周辺に発表されたものだけを以下にピックアップする。
飼いね子(2011/12)
少婦八景(2014/7)
この2つだ。
ものの見事に2012年にクジラックスしかいない。
なんでだ?わざとか?
それがわざとでもないらしい。なんせコミックLO持ち込み大賞初代受賞者である雨がっぱ少女群は『あったかく、して』を最後に活動休止。原作者を伴って雨と棘名義で『少女熱』を発表するのは2015年のことだった。
2008年にコミックLO持ち込み大賞レギュラー賞を受賞したバー・ぴぃちぴっともまた2011年の『シェイカー』を最後に一般向けに重心を移したようだ。前述した世にも奇妙な物語風の「魔法屋さん“時の牢獄”」は単行本未収録となっている。
ロリ凌辱が作風だった冴樹高雄も2010年の『生オモチャ』を最後に単行本出しておらず、同人活動に集中している様子。
2011年8月号のLOにおいて「ろりともだち」はクジラックスの1年ぶりとなる復帰作だったが、同じく復帰作家第二弾として「ろりともだち」の次に掲載されたほかまみつりが単行本を出版するのは2016年。2010年の『放課後つーしんぼ!!』から6年の間隔がある。
つまりLOは「ろりとぼくらの」周辺の時期に、その代表的な作家が相次いで不在となっていたのである。現在から振り返れば1年も短いが、雑誌の厚みが一定でないLOにとってこの事態はかなり大きかったはずだ。
ただし、この不在は段階的であった。
「さよなら姦田先生」が載った2009年4月号には上記のランキングに入った月吉ヒロキ、バー・ぴぃちぴっとに加え、町田ひらく、EB110SS、オオカミうお、Noiseという有名どころや、ほかまみつりも載っている。
「らぶいずぶらいんど」の2009年7月号には東山翔、完顔阿骨打、雨がっぱ少女群、冴樹高雄、バー・ぴぃちぴっとのそうそうたる顔ぶれ。ちなみにほかまみつり、オオカミうお、Noiseも載ってる。完顔阿骨打は久しぶりの掲載で、冴樹高雄が載せたのは凌辱だった。クジラックスが載った中で、この号が一番層が厚い、つまりライバルが多かったと考えられる。
「がんばれ便所飯くん」の2009年12月号には嶺本八美と鬼束直、バー・ぴぃちぴっと。ほかまみつりはいなかったが、オオカミうおとNoiseはいるぞ。
「学祭ぬけて」の2010年11月号には鬼束直とバー・ぴぃちぴっと。ほかまみつりが載ってて、オオカミうお、Noise、EB110SS。
これが「ろりともだち」の2011年8月号になると、先述のリストみりゃわかるけど、バー・ぴぃちぴっとしかいない。Noiseとほかまみつりはいるがオオカミうおはいない。でも雑誌自体は一番分厚い。
「JSえっち講座 女児ルーム編」の2012年2月号には、あわじひめじと冴樹高雄。凌辱の2人だね。あとここまでくると荒草まほんが載ってたりと、2009年4月と比べてだいぶ顔触れが変わっていることに気づく。
「ろり裁判と賢者の石」の2012年9月には、クジラックスを除き上記のランキングに載った作家はいなくなった。ちなみにNoiseは載ってるし、朝木貴行の「私立ローレグ小学校♡」が最終話をむかえた。代わりにというか、藤坂リリック、無道叡智など今も見かける名前が登場している。
「『学祭ぬけて』番外編 ニコニコ♪ゆなちゃん」が載った2013年1月号には、東山翔とあわじひめじ。無道叡智に加え、冬野みかんに山崎かずま。ここまでくると世代交代した感が強い。
当たり前だが同じLOといっても掲載作家は常に変動している。休止していた作家が復活し、またその逆もある。不在といえど完全な不在はないし、完全な充実もなかった。
だから「『ろりともだち』が注目を集めたのは他に有名どころがいなかったからだ」と単純に言うことはできない。
それでも「ろりともだち」以降にLO作家の顔ぶれが少しずつ変わり始めていたことは確かだ。その変態の変わり目に『ろりとぼくらの』は噛み合ったと考えられる。
5.おわりに
いかがでしたか。
意図せず自分史上最長となってしまいました。
結論は先頭に書いた通りだけど、あの4つのどれか1つが欠けてたら、これくらいのヒットはあり得なかっただろうな。だってアッサンブラージュが変わるわけだし。
逆にいうと、アッサンブラージュの変態次第で今後『ろりとぼくらの』が陳腐化する可能性も大いにある。それを引き起こすのは知るかバカうどんかもしれないし、絶世界少年かもしれないし、みんなだいすきかもしれない。はたまた来月LOに載る新人作家かもしれないし、あるいはクジラックス本人かもしれない。東浩紀かもしれない。氷上絢一かもしれない。新しい法律かもしれない。茜新社かもしれない。それとも全く別次元で連鎖しているアッサンブラージュかもしれない。ひょっとしたら本稿かもしれない。
内山田がチェッラッタンマンをテーゼの中で問うたように、本稿は数多ある『ろりとぼくらの』論のアンチテーゼではない。それらの論評が前提として圧縮した事実を解凍したというのが本稿の意義。
至らなかった点としては、人間の意図を描けなかったこと。意図っていうと理性的人間すぎるな。怠惰とかうっかりとか移り気とかそういう不安定さをも描けるのがアッサンブラージュだから(吉田 2011: 27-28)。
ま、そういうわけで。
本稿もまた『ろりとぼくらの』のアッサンブラージュの一部となりました。
ということはこれで、作者の俺も。
敬称略で挙げさせていただいた方々も。
なにより読んでいただいたあなたも。
みんな、ともだち。
〈参考文献〉
内山田康(2011a)「序:動くアッサンブラージュを人類学する(《特集》動くアッサ
ンブラージュを人類学する)」『文化人類学』76(1), pp1-10.
――――(2011b)「チェッラッタンマンは誰か?:関係的神性、本質的神性、変態す
る存在者(《特集》動くアッサンブラージュを人類学する)」『文
化人類学』76(1),pp53-76.
吉田ゆか子(2011)「仮の面と仮の胴:バリ島仮面舞踊劇にみる人とモノのアッサンブ
ラージュ(《特集》動くアッサンブラージュを人類学する)」『文
化人類学』76(1), pp11-32.
森田敦郎(2011)「モノと潜在性:タルド的視点に基づく機械の民族誌の試み(《特
76(1), pp33-52.
[1] 2008年10月号、探したけど見つかりませんでした。
[2] なぜならアッサンブラージュはジェルの理論が土台の一部だからだ(内山田 2011a: 1)。ジェルの芸術論は作品に込められた意図を重視する。
[3] 作品の多数決からいってこっちのタイトルのが内容には近いと思う。
[4] ちなみにLO2013年1月号の裏表紙曰く、「ろりともだち」は単行本収録の際に大幅加筆修正されたらしいけど、どこが変わってたんだろう?セリフの「今一」が「いまいち」になってるくらいしか発見できなかった。
[5] その意味では「がいがぁかうんたあ」の模倣犯も重要なアクターだ。彼の犯行を促進した「がいがぁかうんたあ」は「ろりともだち」にも辿り着く。このような経路が新たに作られれば作られるほど「ろりともだち」は現在進行形で傑作となる。