小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

中華街「西成」

 ぽわとりぃぬです。今回は、大阪にある「西成」の話をしようかと思います。「西成」という言葉からみなさんはどんなイメージを思い描くでしょうか。多くは「怖い」や「ホームレス」でしょう。「西成」は東京の山谷、横浜の寿と並んで日本三大ドヤ街の1つとして数えられ、かつ日本最大のドヤ街です(文献によっては名古屋の笹島も含まれ、日本4大ドヤ街ともいわれます)。ドヤ街とは簡易宿泊所のこと。1泊1000円前後、安いところで500円です。主な利用者は日雇い労働者のおっちゃんたちです。

 つまり「西成」は、超端的にいってしまえば日雇い労働者の街であり、貧しい街です。そんなわけで「西成」には怖い、汚い、危ないといったイメージが付きまとっているわけです。そしてそれに沿うようにしてメディアで描かれています。あべのハルカスの隣、飛田新地のすぐそば、通天閣から歩いて行ける距離に「日本の最貧困地域」はあるのです。こうした側面も確かに現実ですが、しかしながら、「西成」は今、急速に変化していっているのです。かつて「ホームレスの街」だの、「日本の最底辺」だの言われたこの街がどう変貌して、どう変貌しうるのか。その1つの答えが「中華街」です。

 

 

 

 まずは現在の「西成」について書いていこうと思うのですが、ここからは「西成」という表記をやめます。括弧をつけることで区別してきましたが、やはり字面だけでは西成区という行政単位なのか、イメージ上のあの「西成」なのか分かりづらいですから。ここからはあいりん地区にします。みんながイメージする「西成」は、行政単位としては、あいりん地区になります。漢字で書くと愛隣。1970年に行政がイメージアップのためつけた名称です。そんな押しつけがましい名称は嫌だということで、現地の人はだいたい「西成」とかこの地域の旧称である釜ヶ崎を使います。確かにあいりん地区を耳にしたのは役所でぐらいだったような。あいりん地区という名称のいいところは範囲が明確に定まっていることです。なのでこっちを使っていきたいのですが、通称である2つより範囲が広いんですよね。といっても0.62㎢なんですが。

 さてそんなあいりん地区に私が初めて足を踏み入れた際の感想は、「思ったより静かだし、きれいだな」でした。確かに昼間から酒を飲んでうろうろしている人や段ボールにくるまっている人はいましたが、なんというかエネルギーのようなものは感じられなかったんです。15年くらい前に天王寺動物園へ家族旅行した時、天王寺公園に段ボールハウスがずらっと並んでいた記憶があるのですが、その時の方が迫力を感じました(年齢のせいかもしれませんが)。

 区役所の人に話を聞くと、2000年代初めの不景気でホームレスはあいりん地区でも急増したらしいのですが、それ以来対策を行い続けてきたそうです。また2012年より始動した大阪特区構想によってこの動きが加速され、違法賭博やら不法投棄やらも減少。現在進行形であいりん地区はきれいになっていっているというわけです。かつて日雇い労働者ないしはホームレスだったおっちゃんたちは生活保護を受給し、サポーティブハウスという福祉マンションで生活しています。またかつてのドヤは現在、ビジネスホテルへと改装されバックパッカーも利用する安宿へとリフォームされました。新今宮駅周辺のshinimamiyaとオシャレに横文字を使っているホテル群がたぶんそうです。たまに中国人旅行者の大型バスが停まっています。ちなみにドヤの部屋って意外と暖かいです。たぶん密閉されているからでしょう。窓はあるけど、レバーで少しだけ開くタイプのやつでしたし。

 

 

 先述したようにあいりん地区は0.62㎢、釜ヶ崎はその3分の1くらい。あいりん地区の中心の最もディープな所をそう呼びます。端から端まで歩いて5分ちょいくらいです。釜ヶ崎を歩いてみればわかるのですが、昼夜問わずどっかから歌声が聞こえてきます。特に夜の萩之茶屋商店街はそうです。どこから聞こえているかというと、たくさんあるカラオケ居酒屋からです。この狭いあいりん地区に100軒以上あるそうです。秋ごろに私も数えてみたのですが、79軒を超えたところで止めちゃいました。単に「居酒屋」としか看板に書いてなくても、いざ開店すれば歌声が聞こえてきたりして、ややこしくてやになっちゃいました。

 ここでカラオケ居酒屋という形態について説明しておきます。その名のとおり居酒屋とカラオケが合体した店ではあるのですが、スナックの要素も多めに取り入れられています。店はそこまで広くなく、席は10席超えるくらい。接客してくれるのは若い女性。ただしスナックと違う点は、ちゃんとしたご飯が食べられる点です。スナックはその名のとおり軽食、冷ややっこや乾き物など火を使わない料理を提供するのみです。しかしあいりん地区の場合、オムライスや焼き魚定食など、しっかりとしたご飯が食べられるのです。料金はどこも似たり寄ったりです。カラオケ一曲100円、生ビールが500円、色んなご飯物は500円から800円くらいです。あいりん地区的にこの値段設定は高めだと感じます。なんせ、あいりん地区では自販機の缶コーヒーが50円から80円で、スーパー玉出のおにぎりは1個49円、カラオケ居酒屋でない居酒屋では生ビール一杯250円ですから。客単価3000円前後のこの値段設定は生活保護を受給しているおっちゃんたちのギリギリを攻めているという語りも聞きましたが、真偽のほどは分かりません。

 

 そしてこの林立するカラオケ居酒屋の何よりの特徴は、そのほとんどが中国人経営であることです。8割以上が中国資本らしいです。中国出身者の経営する不動産会社が商店街の空き店舗を買収していったのだとか。カウンターに立っているきれいなお姉さんも日本語が少し片言です。そういえばカラオケ居酒屋の名前には漢字二文字のものが多く、それが理由かと思わされました。このきれいなお姉さんは故郷のつながりで集まった経営者や留学生だそうです。

 きれいなお姉さんがいるし、カラオケがあって楽しそうで派手だということで、割と繁盛しているように見えます。お客さんにはあいりん地区のおっちゃんだけではなく、普通のサラリーマンもいました。あいりん地区的には高いですが、北新地なんかと比べれば安いからでしょう。聞き取りによれば、日本橋からオタク系の人も来ているそうです。あと僕が見たときには女性もいました。つまりカラオケ居酒屋はあいりん地区の外部から人を呼び寄せているのです。

 ちなみに、私が行った際のデンモクの履歴はこんな感じでした。内山田洋とクールファイブ五木ひろし石原裕次郎中島みゆき長渕剛浜田省吾吉幾三、チューリップ…etc。ミスチルを歌う人もいましたけど、演歌が多かったです。まあ履歴なので、1人が何回も歌ったとは考えられるでしょうけど、雰囲気は伝わるかと思います。

 

 では、いつからこうなったのでしょうか。どうやら今から30年ほど前、1988年頃は日本人経営の店が多かったらしいのです。それが格差とかで北新地にいった方が儲かるからと空洞化してしまったそうです。そのエアポケットに参入してきたのだそうです。2012年頃から徐々に数を増やし始めて、今では100軒を超えるまでになりました。もはや飽和状態にあり、パンクして潰れる店も出てき始めています。現状を逆手にとって日本人経営であることを掲げる居酒屋もあります。

 つまり、かつて日本人経営であった居酒屋の空き店舗に中国人経営のカラオケ居酒屋は参入してきたのです。ちらっと先述したように、カラオケ居酒屋が密集しているのは萩之茶屋商店街や動物園前一番街商店街です。ここで問題となったのがカラオケの騒音でした。相次いで流入してきた中国資本は当初異物のようなものとして受け入れられたらしいのですが、このカラオケ騒音のクレーム処理は、地域と関係を結ぶきっかけとなったそうです。営業時間のコントロールや商店街組合への加入、店舗の2階部分を福祉住宅として貸し出すなどした結果、新しい金の流れや人の動きが生まれたのです。

 

 

 2019年1月8日の産経新聞によれば、目下あいりん地区周辺に中華街を作る構想が持ち上がっているのだそうです。具体化に動き出しているのは中国人経営者ら約40人で構成される「大阪華商会」だそうです。彼らは大阪で万博が開かれる2025年に向けて、あいりん地区の最寄り駅であるJR新今宮駅付近の商店街に100店舗以上の中華料理店を集める計画を立てているそうです。あいりん地区の立地の良さに加え、2022年には新今宮駅星野リゾートが開業します。つまり今から準備して訪日外国人の需要を狙っていこうとしているのだと考えられます。この計画の背景となっているのがカラオケ居酒屋の急増とそれに伴う競争の激化というわけで、つまりカラオケ居酒屋という業務形態はもはや頭打ち状態なのです。ここへ来てカラオケ居酒屋もまた代謝を迫られているのです。

 記事によれば、商店街の人たちの姿勢は懐疑的だそうです。カラオケ居酒屋が林立したことにより商店街は様相が一変しました。それだけでなく、ごみの不始末や客引き騒音などのトラブルも発生。今の商店街はそれらが行政の手により最近ようやく改善されたところなのであり、商店街が生き残るための変化として中華街は受け入れられないといいます。一方の中国出身者は、協議会を立ち上げて計画の具体化に入りたいとのこと。

 

 

 3月末にはあいりん地区のランドマークであったあいりん総合センターが老朽化により封鎖され、仮移転されます。カラオケ居酒屋という形態は、かつてまだカラオケボックスがなかったころの風景だという人もいました。カラオケというのは、当時は知らない人の前で歌うものだったのです。また長くあいりん地区に関わっている人は私に、この地域を「昭和」だと言い表しました。その人曰く、道端で立ちションしたり痰を履いたりするおっちゃんというのは昭和の日本にはありふれていたし、商店街の感じも懐かしい。

 まるで昭和で時が止まっているかのような、ある種ノスタルジックなあいりん地区の景色は、これから加速して失われていくでしょう。急速に変わりゆく「西成」は、将来中華街になるのか否か。個人的にはその可能性は低いと思います。ではどうなるのかといわれても正直わかりません。ですがシンプルに考えると、このまま少しずつ場所の力を失いきれいな街におそらくはなっていくのでしょう。本稿でお伝えしたかったのはそれ以外の選択肢も提案されているということです。

 

 

参考文献

・白波瀬達也(2017)『貧困と地域―あいりん地区から見る高齢化と孤独死中公新書

  あいりん地区の過去と現在がすごくきれいに整理されていておススメです。

・水内俊雄、キーナー,ヨハネス(2017)「『跳ねるベッド』から『安楽ベッド』への変身 大阪市西成区」『都市の包容力―セーフティネットシティを構想する』,pp1-11,法律文化社

産経新聞 “西成「中華街」にイメチェンへ カラオケ居酒屋急増の現状 中国出身者提唱” https://special.sankei.com/f/society/article/20190108/0001.html 

2019年2月17日閲覧