小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

チ。あるいは、地、知、血、

 こんにちは、ヱチゴニアです。

 この記事は『チ。-地球の運動について-』という漫画の考察記事です。

 「サーチできにくくすることで、自分だけの意見を考えるきっかけに」してほしいとの考えから、作者の魚豊は本作を『チ。』と短く命名したそうです*1

 その思想に反するようで申し訳ないのですが、『チ。』について考えた事を書いちゃいました。

 

 最初に、本記事は単行本6巻までの情報をもとに書かれています。そのため、7巻以降の内容と食い違いがあるかもしれません。また、6巻までのネタバレを含みます。

 

 

 

 ガリレオは「それでも地球は回っている」と言ったとか、言ってないとか。古代エジプト人は「最近の若者は」とボヤいたし、ゲーテは全てのことを言った。それが本当かどうかは、場合によっては重要ではありません。

 『チ。』も同じです。本作では、地動説を唱える人々は苛烈に弾圧され、見つかれば拷問の末に殺されます。ここまで過酷な迫害は、歴史的事実と照らし合わせると正しくありません。しかし、『チ。』はフィクション漫画ですから、現実の歴史と合致しているかどうかを考えても仕方がないのです。なので、この記事では現実の歴史との比較は行いません。

 では、何をするのか。それっぽい考察記事を書くのに最も手っ取り早い方法は、対立軸を見つけ、比較することです。『チ。』に照らし合わせるなら、地動説者と天動説者でしょうか。残念ながら、しかし面白いことに、そんなに単純で二元的な話ではありません。

 私が思うに、本作の魅力の一つはこの点にあります。人間は「地動説者」or「天動説者」というように単純にラベリングできる存在ではなく、もっと多面的で、加えて、支配的な側面は刻一刻と変化するのです。そのことを『チ。』は克明に描き出しています。

 

 まず、1巻で主人公的なポジションを務める12歳のラファウ君は、当初、天動説を信じる優等生で、大学への進学も約束されていました。地球は宇宙の中心にあり、天が動くことは当たり前で、そんな常識を疑ったことすらなかった。しかし、釈放された異端者、フベルトとの出会いと別れを通して彼の認識は変化していきます。

 元来、ラファウは「"愛"に代表される無為な感情」に惑わされず「"合理的に生きる"」(1巻17頁)ことを信条としており「合理的なものは、常に美しいのだ」(同)と考えていました。だからこそ、「複雑な軌道計算とバラバラな星の集まり」(1巻23頁)で「あまり美しくない」(1巻41頁)と感じていた天文学を、フベルトに触発され地動説によって計算しなおし、そのあまりの合理性に、異端とは知りつつも美しさを感じてしまったのです。

 ラファウはその感動を忘れることができず、「感動は寿命の長さより大切なものだと思う」(1巻142頁)ようになります。そして、異端として捕まった際には、拷問で研究資料の在りかを吐かされ焚書されることを厭い、自死を選びました。自分の「命にかえてでも、この感動を生き残らす」(同)ためです。彼はこのことを「"愛"」(1巻143頁)であると言います。これは最初に"愛"を無為な感情だとしていた彼の態度とは正反対です。

 

 この感動が生き残り、引き継がれていくことは、おそらく本作のテーマです。彼の感動は、彼の死から10年後に、彼の残した研究資料と手紙によってオクジーへと引き継がれます。その手紙のタイトルは"ziemia"、すなわち"地"です。本作のタイトルでもあります。地はとまらずに、動き続けるのです。

 ラファウに地動説を教えたフベルトもまた、ラファウの養父のポトツキから地動説を引き継いでいます。そしてラファウから引き継いだオクジーとバデーニも、数十年の時を経てヨレンタやドゥラカへと感動を引き継いでいくのでしょう。

 そういえば、フベルトからラファウ、そしてオクジーへと引き継がれたものは感動や研究資料の他にネックレスがあります。ネックレスにはオリオンの三つ星が描かれており、中心星が塗りつぶされています。これはもともとは研究資料の隠し場所を示していたのですが、それだけではありません。中心星の名前はアルニラムと言い、アラビア語で「連なり、数珠つなぎにしたもの」という意味だそうです*2。つまり、このネックレスは地動説とその感動が引き継がれていくことを象徴しているのでしょう。

 

 

 話がそれましたね。登場人物が二元的には語れない、という話題に戻ります。

 ラファウの養父であるポトツキは地動説を研究していたことがあり、一度はそれがバレて前科を持っています。2度つかまれば命はなく、死を怖れたポトツキは、捕まって以降は悔悛し「神学に転向したり養子をとったり前科の印象を消そうと必死」(1巻108頁)になりました。その養子がラファウです。このような背景があったために、ポトツキはラファウを天文学から遠ざけようとし神学を勧めますが、それは失敗に終わり、遂には異端審問官のノヴァクに死刑をちらつかされて、ラファウが異端の研究を行っていることをリークしてしまいます。

 ポトツキは、ラファウが天文学を専攻するのを「撤回しない限り」「入学許可書にサインしないぞ」(1巻94頁)と妨害するため、当初はラファウの前に立ちはだかる凝り固まった天動説者のように思えてしまいますが、実際には違ったわけです。彼はラファウ(と彼自身の)命を心配したからこそラファウを妨害したし、なんなら彼は天動説者ですらなく、むしろ地動説者であり、ラファウの計算ミスをついこっそりと直してしまうシーンも見受けられます。ラファウをリークしたのも、初犯なら死刑にはならないということを念入りに確認し、彼を無事に釈放する手立てを整えることができたからこそです。それを理解してから読み直すと、ポトツキに対する印象も変わってきます。

 

 次にバデーニについて。

 ラファウの資料はオクジーを経由して「素行不良」で「思想上の禁忌」を犯したとして「田舎村に左遷され」(2巻87頁)た修道士バデーニの手に渡ります。

 彼の態度は基本的に傲慢で、自身を「慎重な知性と時に大胆な度胸を持ち合わせた…まさに完璧な英傑」(3巻4頁)であるとすら評する。しかも、「他の誰かの踏み台にされるのはごめんだから」(3巻6頁)と自身の死後には全ての資料を焼くと宣言します。彼は当初、「私がこれを完成/発表すること」(同)が重要であると考えていたからです。

 実際に彼はその傲慢さに見合うだけの知性があり、独自に惑星の軌道が真円ではなく楕円であることに到達し、研究の後に「地動説が完成した」(4巻50頁)と断言するに至ります。そんな知性こそが、彼の根本です。彼は研究内容の盗用をめぐって、仲の良かった友人と決闘し殺したという辛い過去がありましたが、それでも彼が前に進むのは彼が「神が人間に与えてくださった理性を自ら放棄したくないから」(4巻24頁)でした。そして、彼は世界を変えるために必要なものは「知」(4巻26頁)であると言います。地に続き、2つ目のタイトルですね。

 バデーニもまた、地動説を研究する中で変化していきます。彼は最初、「誰もが簡単に文字を使えたらゴミのような情報で溢れ返ってしまう」から「大半の人間が言葉を読み書きできないのはいいこと」(4巻8頁)と考え、下級市民のオクジーが文字を習い本を書くことに理解を示しませんでした。

 しかし、天動説者であったピャスト伯を説得する際に彼が展開した論理は、後にオクジーに「第三者による反論が許されないならそれは」「信仰だ」(4巻123頁)と指摘されているように、科学的な理念に基づいており、彼がもともと持っていた傲慢さから乖離していきます。ノヴァクから逃亡する前に彼は上記の理念について「その姿勢を研究に採用してしまうと、我々は目指すべき絶対真理を放棄することになる。そして学者は永久に未完成の海を漂い続ける。その悲劇を、我々に受け入れろと?」とオクジーに問いますが、これは問いかけの形を取りつつも、ピャスト伯の説得を通して既にバデーニの中では結論は出ていたはずです。だからこそ、彼はひそかに研究資料ではなくオクジーの書いた本を後世に残したのです。

 そして、バデーニは処刑される前のオクジーとの会話で、オクジーの書を残した理由を感動を伝えるためであると明かします。こうして感動は引き継がれていくわけです。また、彼はオクジーと出会ったはじめ、「聖書以外の歴史など私は気にしない」(3巻11頁)と言っていたのに対し、オクジーの書を残すことは自身には「何ら無意味で無価値だ」(5巻85頁)が歴史にとっては有益であると言います。

 このように、ラファウもバデーニも、登場当初に言っていた内容とは正反対の態度を取って、最期は処刑されていきました。『チ。』では登場人物の思想はどんどん変化していくのです。

 

 ここまでは地動説者側の人間に焦点を当てましたが、最期に彼らと対立する異端審問官であるノヴァクにも注目します。

 実は彼はラファウよりも先に、なんなら1巻の最初の見開きで最も最初に登場するキャラクターなのですが、拷問のシーンから始まるのもあり、まるで心無いサイコパスのような印象を受けます。しかし、物語の進行とともに実態は異なることが明らかになっていきます。ノヴァクもまた、多面的な人間なのです。

 ノヴァクは聖職である異端審問官ですが、前職は「血に汚れた」(1巻93頁)傭兵です。異端審問官に就いているのも司教に腕を買われたからと言われており、彼は信仰に篤いわけではなく、異端者の輸送に際して「だるい仕事の始まりかー」(2巻47頁)とこぼし同僚に咎められています。かといって、全く信仰が無いわけでもなく、自死を選んだラファウを前にして「は…」「は??」「ウ……ウソだろ?」「お…お前、頭、おかしいぞ。」「し、死ぬのか?」(1巻139頁)と盛大に動揺します。これはC教が自殺を認めていないため、その価値観とラファウの行動があまりにもそぐわなかったからでしょう。

 また、ノヴァクは出家はせずに家族を持ち、娘を愛しています。娘のヨレンタにバデーニとオクジー接触していたことを知り「ブチ切れて」(5巻11頁)しまうことからも分かるように、感情の無いサイコパスというわけでもありません。自身の異端審問官という職業も娘には明かせずにいる程度には繊細です。冷酷に拷問する彼と、娘を愛する彼は同居するのです。

 前述のようにノヴァクは最初に登場するキャラクターであり、加えて、1巻で死んでしまうラファウなどと異なり、その後の巻でもずっと登場し続けます。ある意味で彼は地動説者たちよりも重要なポジションに居ると言えるでしょう。しかも、彼は新人の異端審問官に対して「世界を今のままに保持する為に必要なもの」(4巻71頁)は「血」(4巻72頁)と説きます。地、知に続き、3つ目のタイトルですね。地はラファウが、知はバデーニが、そして血はノヴァクが。このように考えると、やはりノヴァクは単純な敵キャラではないと分かります。

 6巻までに彼が決定的に態度を変えることはありませんが、ラファウやオクジーとの出会いを通して、「何故、異端が現れるのか」と疑問を抱き、彼らと対話を行っていきます。その度に彼は顔に汗をたらし、何か内心に強い思いを募らせているようにも見えます。5巻と6巻の間には25年の隔たりがあるため、今後ノヴァクが再登場するかどうかは分かりませんが、もし登場するならば、おそらく彼は態度を変えているのではないでしょうか。

 

 

 このように、『チ。』は勧善懲悪のように地動説者が天動説者を倒していく物語ではなく、人々がその間を揺れ動く物語なのです。

 『チ。』ではカバー裏表紙でwikiからの引用が記載されています。1巻では地球が、2巻では火星、続いて金星、木星、水星、土星と6巻まで続きます。まだ記載されていない惑星は天王星海王星なので、この物語は後2巻程度で完結するのかもしれませんね。6巻からは第三章に突入します。第三章の時代では、C教の権威が少しずつ揺らいでいることが分かります。物語は急転し、地動説が活版印刷によって拡散されていく様相を見せており、目が離せません。