小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

他者依存による自己の存在承認とその戦略《童貞という立場から》

 6年間の男子校生活を終え、大学に進学してしばらく経ったころ。

 人は環境の変化による価値の再構成時に自己の同一性が保てなくなるらしく、その煽りを受けたのか、あるいは頭が混乱状態にあったのか、真相は不明だがあろうことか僕は生まれてはじめて恋をした。

 結果はわかっていた。だが、自分の気持ちを素直に言葉として表現できたうえに相手へと伝わり、さらに相手がわざわざ僕に面と向かっての意思表明をしてくれたため、僕はきちんと満足できている(ただし直後にしばらく泣きつづけたが……)。

 それにしても、振られたにも関わらず満たされていたあの心情は、いったいなんだったのだろう。不思議なことに、程度の差はあれその“満たされた感じ”は、一貫して今に至るまで続いているのだ。

「元から変な奴だったとは知っていたが遂に二次元の女に飽き足らず三次元に手を出すに至ったか」

 過去の自分からの怒号が聞こえてくる。

 しかし過去の自分は知らない。この場合、僕は欲求を“女性という存在全般”に向けているのではなく“社会の構成員としての女性”に向けていることを。君(僕)だってあっただろう? どうにかして自分を認めてもらいたい、社会の糧になってもらいたいといった淋しさを感じたときを。当時の君はそれを男子校らしさという形式と実力主義の風潮によって懸命に抑えていたが、それでも意識の根底にはあったはずだ。

 その淋しさは、ついに自分が自分であるという生き甲斐の原動力となりつつある。

 今回のテーマは年末知識の大掃除企画として、歯の進化史やら腎臓の進化史やら珈琲の化学成分を有機化学の理解に役立ててみよう大作戦やら色々考えていたものの(そして途中まで書いている文章もそれなりにあるのだが)、いったんすべて白紙に戻し、心理学や戦略といった視座から恋愛について考えてみることにする。最終目的が自分の為なので、可能なかぎり体系化・知識の穴埋めを行ったが、もしかしたら根本的に抜けている部分があるかもしれない。その場合、どうかご指摘していただきたい。内容については僕自身初めて学ぶ分野なので、どこまで深く探れているのか不明なのだ。なお、心理学の面では「心理学とは何なのか 人間を理解するために(永田良昭著)」に、戦略については「戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する(梶井厚志著)」によっている。いずれも僕の愛好する中公新書であることを付けくわえておく。

 

 

 人と人が関係の形成あるいは決定を行うには、ただそこにいるだけではなく、関係を媒介する事象や問題、ものの介在が不可欠である。うち、それに関わるそれぞれの行動が互いの利害に関わる重みを大きくすると、相互の干渉・行動の統制を意図する行為が発生する場合がある。ここでは、介在する事象・問題・ものを「課題」と称する。課題が顕在するには、その状況で何が重要な課題であるかという共通認知の成立が前提となる。

             共通認知の成立→課題の顕在 

 

 対象となる相手および、相手と自分の置かれる状況に対してどのように働きかけるかという共通理解の形成は、当面する課題にたいする共有の理解を形成するものとしてコミュニケーションの成立を意味する。コミュニケーションとは、(相接する人々の間で)自他の関係に重要な関わりを持つ事象や出来事がなんであるか、更にそれに対して自分やその場にいる他者がそれぞれどのような対応をするべきかについて、しかるべき合意を形成する働きである。周知のとおり、自他の関係を円滑に維持する為に必要な条件でもある。

 僕は在籍する大学で、それぞれの学部の代表者による教育改善の為のイベント(FD)実行委員として様々な学部の人間が集まる場で話のまとめ役をしているのだが、これは教育改善に対してどのように働きかけるか、という共通理解を形成する為のコミュニケーションとして成立している。その場において難なく連絡先を交換できたことは自他の関係を円滑化出来た証拠でもある……はずである。

 

          共通理解の形成=コミュニケーションの成立

 

 コミュニケーションの成立は、換言すると課題についてどのような関心や態度、信念を持つかを決定することである。これはその状況にいかに対応するかという方向づけが為されていることと同義である。

 対応というのは第一に他者との関係を指す。自分と近似した考え方や能力を持つ他者を魅力的であるとみなし、自他がともに置かれた状況にたいして了解可能な認知を持つことで他人との関係性を維持することができる。自分と近似した他者を魅力に感じるという点でこれは対等な関係ともいえ、相互の好意に基づく魅力を見出す関係を形成する。

 第二に現実世界との関係を示す。この世界は当然のことながら近似的な者ばかりの社会ではない。現実に目を向け、態度の対象の性質をなるべく妥当な形で把握することで現実に指向させることも必要なのである。人々が直面する課題に対して合理的に対応するには課題の処理に有効な手段を持つ、つまり役に立つ人材が必要となると同時に効率的な命令系統が必要になる。この現実に適応した原理的な役割と地位の関係は仕事という形で一般化されている。

コミュニケーションの成立

          ⅰ(自分と近似する)他者との関係[対等な関係]

          ⅱ(合理化・効率化の為の)現実との関係[役割と地位の関係]

 自分と近似する他者との関係は、人のこころの内的な充足過程に対応する。この“心理的な親密さ”は自他の相互的な関係の中で芽生え、表現される“愛情”とも一致する。そのなかには、自他の関係にたいする相手の行動や関係への寄与とは無関係に、その相手を需要し支えようとする“存在の無条件の承認”や、ありのままの自分をさらけだす機会を持つ“自己開示の機会”が内包されている。一週間前にある場所で知り合った女性に、僕は無理を承知で抱きしめてもらうことを頼んだ。そのとき彼女は快く応じてくれた(と思いたい)のだが、この経験が今まで生きていたなかで、もっとも精神的に充足感のある機会であったことは間違いない。存在の無条件の承認! そこに真実の愛だとかそういったものはない……いやむしろないからこそ得られるこの充足感!! この瞬間、僕はそれまで存在しえなかった貞操観念を理解し、そしてその大部分を捨てることが出来た!!!

 

 ……おかげで今年のクリスマスイブはそれまでネタとしてでしか認識できなかった童貞の僻みをはっきりと認識した。しかし同時にその克服を確信し、心からの平穏を得ることが出来た。何をしなくとも一つの不満を持つことがなかったのである。これが聖人サンタクロースによる贈り物なのだとしたら、逆にこちらから金貨を投げ込みたくなるほどだ。ありがとうサンタさん。

  現実世界との関係は自分の技量が課題に役立つことを示し、自分が課題にたいして欠くことのできない仕事の仲間であると認められること、つまり社会的な関係へ関与することで満たされるものである。

 両者は相反する欲求であるが、必ずしも矛盾するものではなく、直面する課題において共通の理解を持ち、さらにその課題の解決の為に必要な技能を持つ人を中心とした共同的努力が認知された場合には、指導性を担う人々とそれに伴う人々の分化が正当性をもって生じる。

 

ⅰ=内包要素として存在の無条件の承認や自己開示の機会が挙げられる愛情。

ⅱ=自分の技量による社会的関与によって満たされるもの。

※両者は必ずしも矛盾するものではない。 

 

 現在続いているこの心境は、心理学で説明できることであった。女性による安心感を知ってしまった僕は、おそらく元の価値観に戻ることはないだろう。より高次の欲求、つまり一過性ではなく長期的な女性関係を持ちたいという欲求が、これからの自分における内的な目標であるようだ。しかし小・中・高と女性とはもちろんのこと、男性ともろくに関係性を結んでこなかった、いや結べなかった(小学校では中学受験があったのだ。中高では単に社会性が欠如していて、自分でもそれをよしとしていた)。この自分はなにをしていけばよいのか。

 自分のできうる方法を経験的に実践していくのも一つの手かもしれない。そちらの方が、もしかしたらてっとりばやいのかもしれない。しかし過去19年分の経験不足は、1年2年で埋められるものではないとも考えられる。しかも実感としてはそちらの方が濃厚であるように思われる。行動を起こすなら、できるだけ合理的で効率的な体系を知ってからのほうがよい。そしてその合理的で効率的な体系――つまり、自分が自分の自由意志のもとに取りうる行動を、将来にわたる予定を含めて記述したものを“戦略”という。

 戦略を立てるにはまずなにを知りたいのか、分析したいのかといった対象とその目的を決めなければならない。しかし、脳内に浮かぶ抽象的なイメージを具体にするのは容易ではない。今回は僕の個人的な対象と目的を挙げることにしよう。

 

戦略における対象…社会の構成員としての女性

その目的…一過性ではなく長期的な女性関係を持つこと

 

 次に、その対象における戦略にはなにがあるのかを考え、自分の取りうる戦略を正確に把握する。そのあと、戦略の集合のなかからどの戦略を選ぶかを自分にとってどれだけの利益になるかを評価したうえで決定する。このとき、自分の利害に関係する相手の戦略も考えることで効果的な自分の戦略を見出せる……と、手順は納得できるのだが、それができれば苦労はしない。やたらめったら考えるより、参考文献に書かれてあることを参考にしながら、恋愛に当てはめていくのが賢明だろう。

 申し訳ないが、相手の戦略について書くのは準備不足と言わざるを得ない。女心となんとやらと言われるように、異性の心を推し量るのは並大抵のことではないのだろう。仮に完全に言葉に表せたとして、心をそのまま理解するというのは野暮というものである。以上のことから、今回は取りうる戦略の把握に重点を置くことにした。

 

  • 戦略的利害の生じる相手の選択

 そもそも自分と利害が一致すれば戦略的な軋轢は生じず、逆に直接利害関係が生じそうな戦略的な関係は好ましくない。心理学で参照したとおりである。よって、まず相手を選ぶには、同じ趣味や境遇の人物が良いということがわかる。また、これは裏返せば課題となる対象が解決してしまった場合に、新たな共通の課題を作らなければ軋轢を生む可能性をも示唆している。子育てや後輩の育成というのはそういうものなのかもしれない。将来的に絶えず変化するもの、あるいは一定期間ごとに対象を意識的に変える必要がある。たとえば学校という場は、同じ境遇の人物の集まりであるが、相手にその意識があるかは不明である。それよりかは、自分の趣味に通ずるイベントや集まり会へ能動的に参加したほうがよいように思われる。

  • インセンティブ

 インセンティブとは、ある主体から特定の行動を引き出すための対価である。人の行動はインセンティブによって決められているというのは、つまりインセンティブを変えることは人の行動を変えることでもあり、インセンティブを変えないかぎり人の行動は変わらないともいえる。同様に、人の行動からその人がなにを考えているかを判断する際にはやはり行動のインセンティブを考察しなければならない。

 行動にたいしてのインセンティブには一般に物や金を用いるのが一般的であるが、その手段には幅がある。たとえばそれらは与えなくてもよい。罰という形で相手の行動を禁止することも可能である。ただし、罰則をあまりに大きくすると、万が一誤って与えた場合の損失が大きくなってしまう。また、それらはいつ与えてもよい。将来的に見返りを用意してもよいのであるが、あくまでもそれは長期的な安定性と信頼関係の前提の下でのみ可能なことである。要はインセンティブにたいして相手が納得することが重要なのである。

 定期的にデートに誘い、相手の負担を自分が負担することは将来性のあるインセンティブである。また、相手の好みに合った服装や容姿に合わせることもインセンティブになりうる。勿論、コミュニケーションによって心理的な充足感を与えることも立派なインセンティブとなる。インセンティブを与える場合は相手の需要に応えることが重要だが、それが将来的に克服出来るように相手が不備に思っていることがなんなのかを注意するようにしよう。

  • コミットメント

 自分が将来にとる行動を表明し、それを確実に実行することを約束すること(コミット)における行為や約束の内容を指す言葉である。戦略的環境においてコミットメントすることが、必ずしも自分の立場を有利にするとはかぎらない。しかし、自分がコミットすることで、相手が自分にとってなにか好ましい行動をするならば、それは戦略的に有効とみなすことができるのである。

 コミットメントが戦略的に効果を発揮されるには、それが信頼できるものでなければならない。でなければ、相手の行動は期待外れになってしまう。信頼できるコミットメントとは、宣言通りに遂行されるとみられるコミットメントといえる。そのため、コミットメントを信頼できるものにするためには、当初コミットしたとおりの行動にたいしてインセンティブを存在させたり、損害を被ったりすることで、相手に知らしめる工夫が必要である。

 たとえば自分が先んじて戦略的環境を変える例として、第三者を使ったものがある。これは立場的に信用されない場合に第三者による情報伝達を用いることで相手の信用を得るというものである。部活に行きたくないとき、仮病を偽ってサボりたいものの、血色良好で自分から行くのがよろしくない場合に、知り合いの部員に彼は病気だと顧問にそれとなく言わせた経験はないだろうか(僕の場合知り合いの側である方が多かったようにも思えるが)。この場合の利用された哀れな知り合いの部員君こそが、戦略上の第三者である。

 逆に相手にコミットしてもらう場合もある。これは一般的に「約束」だとか「契約」と呼ばれる。相手の自由意志によるコミットメントに、なんらかのインセンティブを与えることができれば、コミットメントは成立する。多くの場合、そのインセンティブは不確実性の解消であって、たとえば長期的な繋がりを得るために一回にかける費用を高めたり、相手に捨てられないように自分にしかできない価値を付加したりするのが良いと思われる。

 当然のことであるが、相手の行動の予想に依存するコミットメントは完全ではない。精度の不備を埋めるにはやはり情報収集が必須であり、逆に情報収集が未徹底である場合には避けるべきである。その場合、相手が本当にインセンティブにたいする成果を出しているかが不明瞭となってしまい、信頼関係が揺らいでしまう。インセンティブを与える場合は双方に観測可能で客観的な基準が必要であることもある。

 コミットメントに関する最大の例は結婚である。大金をはたいて荘厳な感じの場を用意するからこそ、双方は信頼性を保つことができるし、高額の結婚指輪を買えば、別れたときの自分の不利益を示すことができるのである。恋愛においてコミットとは、それに反する行為を取りえないと相手に示すことともいえるだろう。

 戦略的に相手に合図(シグナル)を送ることで自分の立場を好ましくする戦略的行動をシグナリングという。相手に自分がある行動にコミットしている(する予定である)ことを納得させるために起こすもので、直接コミットすることが出来ない場合の間接的な代用と捉えても良いだろう。コミットメントにも通じるが、シグナリングが効果を発揮するには2つの原則がある。

 第一に、シグナルは自分の行動をコミットしたい相手に認識可能なものでなければならない。相手がなんであるか識別出来ないものに、意味をこめることはできないからだ。第二に、シグナルを発生させるにはコストをかけなければならない。相手がシグナルと認識したとしても、それがコストのかからない、とりあえず出しているものならば信頼されない。

 また、シグナルを送る際は場合によって対応を変えるべきである。例えば相手が合理的に戦略を考えると信じられる場合、コストの低いシグナリングを積極的に出してみるべきである。また、シグナリングにかかるコストが相手に明確に理解される手段を用いるべきである。最後に、受け手のシグナリングの前提となる信頼を失う行動は避けるべきである。

 告白という行為は相手を慕う気持ちをコミットすべくシグナリングを行う。言葉にはコストがかからないので、花束といったコストをかけることにより、そのシグナルにおけるコミットメントを強調する。ただし、シグナルが強化されたといって相手が応えてくれるかどうかはまた別の話である。

 返品を受けつけることは、そのシグナルを強化する手段の一つである。どこぞの家電量販店が宣伝するように、返品を受け付けることは品質を保証するシグナルとなりうる。相手に固執したり、それといった言動をしたりすると、自分を受けとる相手には自分という商品の品質に疑いがかかってしまうので絶対にやめておこう。

  数々の恋愛攻略サイトがネット上に飛び交うなか、その経験則でしか語れないサイトの多いこと多いこと。そんな情報が、貞操観念をついこのまえ理解した僕に通じるわけがないのだ。価値観は人によって異なり、経験を踏まえないと不明なものは不明でしかないことを、恋愛攻略サイトは知るべきである。幸運なことに、恋愛は世の中一般に溢れているもので、一般測があってもよさそうな現象である。今回は心理学という観点から部分的に捉えてみたが、これも物事をたった一面からしか見ているのにすぎないのである。しかし恋愛を知るのではなく恋愛を成功させることに焦点を絞ればまた話は変わってくるはずである。

 ここまで女性との密な交流に興奮したノリで書いていて、正直「うわキモッ」とドン引きされている方も多いだろうが、もしそうであるならば、自分が彼女を作ったときの詳細を教えてほしい。この文章は僕の経験を本で得た知識に当てはめたものなのだから、それに対抗する形で自らの経験を話してほしい。最初に述べたとおり、今回学ぶ内容は、僕自身初めてのことだらけなのだ。

 諸君からの意見を期待する。

心理学とは何なのか - 人間を理解するために (中公新書)

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戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)

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