小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

ウィル・アイズナー『コミックス・アンド・シーケンシャルアート』を読む②

はじめに

 前回に引き続き、ウィル・アイズナーの『コミックス・アンド・シーケンシャルアート(Comics and Sequential Art)』を読んでいく。

 

sho-gaku.hatenablog.jp

 

 今回読んでいくのは第3章「TIMING」だ。本章でアイズナーはコミックにおける時間の表現について論じている。

 

時間(Time)とタイミング

 時間はコミックないしシーケンシャルアートに不可欠だとアイズナーは言う。彼によると時間は、持続という現象とその体験であり、錯覚的なものだ。人間の意識において、時間は空間と音と結びついており、その相互依存のなかで概念、アクション、運動や移動が意味を持つ。そして私たちの知覚がそうした要素を互いに関連させることで時間を測るのである。具体的に言うと、太陽の動きや作物の成長、あるいは時計である。時間が伝達されることで喜怒哀楽の感情も認識可能・感情移入可能となる。伝達の肝となるのは知覚の共通性である。

 そんな時間の諸要素を操作して特定のメッセージや感情を強化することがタイミングだ。時間とタイミングを考慮して作ったとき、コミックはリアルになる。両者の伝達は、音楽ならば実際の長さによってなされるが、コミックの場合は錯覚と象徴、そしてそれらの配置によってなされる。この時に決定的な要素となるのがコマ割りだ。第3章はここから、コマ割りの話へと展開していく。ただその前に、時間を構成する音をコミック上で視覚化させるデバイスについて話しておこう。

 

話し言葉を縁取る

 話し言葉を縁取る――Framing Speechは、私たちにとってあまりにも馴染みぶかすぎて、何を指しているのか戸惑ってしまうかもしれない。

 映画をはじめとする映像を媒体に用いる創作物と異なり、マンガが生得的に獲得しえない伝達手段。それが音だ。しかし、マンガのなかは「音」であふれている。セリフにかぎっていうと、声はフキダシ(Balloon)によって囲まれることで、声であることが認識される。フキダシは音を視覚化した装置なのだ。こうしたフキダシとアクション、キャラ、あるいはフキダシ同士の配置によってコマ内の時間の計測ができる。読者はフキダシに囲まれた話の持続から時間を無意識的に理解するとアイズナーは言う。

 フキダシは単に地の文やオノマトペとの区別だけでなく、台詞の内容を読者へより伝わりやすくするために、さまざまな形態へと変わる。雲状になれば思考、ギザギザになれば機械越しの声といった具合だ。アイズナーは「尊厳を与える('provide dignity')」ために、手書きではなく活字のフォントが動員されるなんて書いているが、現在の感覚ではピンとこない。すべて手で書くことが当然だった時代の話かもしれない。

 

時間を縁取る

 時間表現の議論でフキダシの話が出てきたのは、寄り道したように思えるかもしれない。だがそうではない。コミックの時間表現において命となるのはコマ割りとフキダシであるとアイズナーは言う。音の長さを視覚化したのがフキダシなら、コマは出来事の長さを示す。そしてタイミングを伝達する最も基礎的な装置がコマ割りなのだ。コマ単体ではないことに注意してほしい。

 コマ割りでタイミングを伝達するとは、読者があるページをぱっと見て、そこに連続するコマを辿ることで時間の長短がわかることだ。そしてその数とサイズがストーリーにリズムを作る。

 例えば、コマをたくさん使ってアクションを細かくするとその分時間が圧縮される。圧縮されるというのはアイズナーの言い方だが、つまりコマ数あたりの時間の進みが少なくなるということだろう。

 時間経過の比率はコマとコマの距離でも表現できる。コマ同士を近づけていくほど、それぞれのコマに描かれた出来事の時間差はゼロに近づいていく。コマの上に別の小さなコマが載っているコマ割りを見たことがあるだろう。この場合、下のコマの出来事と上の小さなコマの時間差はほとんど同時なのだ。こうした例がアイズナーのいうこれに該当するといえる。かくして「経過時間の遅延」が達成され、作品内の時間はゆっくりと流れるようになる。

 時間の様相はコミックにおいて不可避の構成要素だ。時間があることで出来事の連鎖にリアリティが生まれ、それによって共感を誘うことができる、とアイズナーは主張している。コマのサイズと数を変えることで新しいタイミングを創出することができ、読者に感情を生起させることができる。時間を表現することはコミックにおいて不可欠なのだ。

 

 

アペンディクス

10nies

 本章ではマンガにおける時間の処置が示されていた。映像作品とは異なり、対象とする時間をフルスケールで収めえないマンガだからこそ可能な表現方法にかんする記述は、みずから作品制作にとりかかってきたアイズナーが述べているだけあって、とても説得的だった。

 ただし、彼は時間の経過を描出する方法に始終しており、単線的な描写を不当前提においているきらいがあるように感じられた。この指摘は後説法や先説法といった鳥瞰的な類ではなく、マンガは時間の経過よりも配置においてアドバンテージを有するとみる、虫瞰的あるいはテクニカルな視点により発せられている。

 経過と配置は、含意するところにさほど距離はない。どちらも物語内容をテクストへと仕立てあげる際の技法である。ただし、後者は前者よりもテクストを効果的に伝えることに寄与し、時間を想起させるだけでなく、時間の流れにおいてキャラクターがどのような感情を覚えたかを、読者に検討させるはたらきを持つ。

 具体例を挙げてみよう。図1はぐりえるも「初デートの君と、初エッチの君と」の一部だ*1。デートのあと、彼女の部屋に移動した初々しいカップルが、はじめての性行為に至る過程を細かく描いた作品となっている。このなかで、コマ割りは過去の出来事と、現在の出来事が男性キャラクターのなかで重ねられていることを示唆している。右上の時計、左下の女性キャラクターのバストアップ。彼女の対照的な表情。本作は全編をとおして以下の見開きによる構図がとられており、アイズナーも後章でふれている、ページ全体をひとつの巨大なコマとして利用するテクニックが、遺憾なく発揮されている。

図1 作品は遊園地でのデート後、彼女(彩奈)の家へ彼氏(公哉)がお邪魔するところから始まる。よって左ページが作品内で流れる時間に準拠しており、右ページは公哉の回想となる。

 客観的な時間の流れにリアリティを持たせる以上の作業を、マンガはしている。そして、これはマンガの描写にリアリティを持たせるだけでなく、マンガをとおして読者が追体験するキャラクターの主観的な時間の流れさえも、手触りのあるものへと精度を高めていく。実際、私たちの日常とはフィルムを回す映写機のように次から次へと時間を流すのではなく、何を見ても何かを思いだしてばかりだ。映像作品であっても回想シーンを挿しはさめば、かかる描写は可能である。しかし、ページ全体が先に情報として視覚により感知されるマンガでは、いちいちカットを分けるよりも過去と現在の対応をより鮮明に描ける。これこそ、マンガの有する時間の配置というアドバンテージだと私は考えた。

 

ぽわとりぃぬ

 コミックにおける時間表現を扱ったのが本章だった。時間という勝手に流れていくものをコミックは編集しないといけない。その圧力は映画や音楽よりも強いし、なにより次のコマに何を書くべきかという具体的な次元の考え事の助けになるだろう。本記事では割愛したが、「縦長のコマを連続させるとパニックのドキドキ感が増す」といったコマの形それぞれの機能も紹介されている。ただ、その中に出てくる「慣習的なコマ(Conventional Panel)」とは、きっとコマ割りの基本になる形のコマのはずなのに、どんなものかの説明がない。おそらく3段組みの1段分の大きさで、横長の長方形だと推測する。

 10niesも指摘しているように本章でアイズナーは時間を単線的に描写することを前提としている。ただし、これを前提だと思うのはコミックではなく漫画を読んで育った私たちだからこそかもしれない。本書を下敷きにマンガ論を書いたスコット・マクラウドによれば、日本の漫画は同じシーンの局面を並べて描くことで時間に間をもたせてムードを作るという特徴がある。これは西洋にはない東洋の「間の芸術」だと彼は言う。

 具体例をあげよう。きいの『群青ノイズ』より「トイレの小花ちゃん」から抜粋した。

 

男性器が描かれた絵を貼るとめんどくさいことが起きるかもしれないと思い、断腸の思いで黒く塗りつぶしました。元の絵は是非単行本を買って見てね。

 

 本ページにおいて時間が単線的に動いているのは男性器が映っているコマの間だけだ。それ以外のコマは間を持たせてムードを作る機能があるといえる。言い換えると、男性器のコマの時間経過とそれ以外のコマの時間経過とは重なっているのだ。男性器をぬりゅぬりゅするのと、小花ちゃんのつま先立ちとうるうる目、はぁはぁと荒い息は同時進行している。男の興奮した表情も同様だ。

 極端に言えば、このページは慣習通りに右上から読む必要さえない。真っ先にぶち抜きの小花ちゃんが男性器をぬりゅぬりゅさせている絵を読んだっていいのだ。1つの空間の様々な局面を描くことでムードを作るこうした演出は日本の漫画に特有だとマクラウドは述べている。時間の感覚は文化によって様々だ。マンガにもまたそれが表れている。

 

*1:ぐりえるも, 2020, 『私が全裸になった理由』pp.168-169。初出はCOMIC快楽天2019年5月号増刊COMIC X-EROS #77