小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

マサツグ様からミヤモトが削除されたのはなぜか

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1.はじめに

 本記事は、なろう小説『異世界で孤児院を開いたけど、なぜか誰一人巣立とうとしない件』(以下、『マサツグ様』)を題材に、商業アートにおける商品の側面を考えるものである。『マサツグ様』のウェブ版と書籍版とを比較し、それぞれの形式の差異について検討する。

 

 本記事のいう商業アートの形式とは、例えば今から少年ジャンプで連載を始める漫画家がいたとして、彼(彼女)が女の子を主人公とする漫画を描くことはほぼ不可能だろう。

 なぜなら、“少年”ジャンプだから。

 想定される読者が少年である以上、主人公は少年たちが憧れるような青少年であることが要求される。

 さらに、主人公が銀行に就職し散々苦汁をなめさせられ最後はパワハラ上司にすべてを奪われる、そんなストーリーも許されないだろう。

 なぜなら“少年ジャンプ”だから。

 両面宿儺や鬼が実在するようなファンタジー世界を舞台にハラハラドキドキの冒険をして正義は必ず勝つ。そんなまさしく少年がジャンプするようなストーリーが要求される。夜神月の最期は、惨めな敗北でなくてはならなかったのだ[1]

 

 本記事がいう商品の側面とはこういうもので、作品は読者のニーズ・媒体の制約をうけて規定される。そんな言われなくても知っている事実をわざわざ指摘するのは、サブカルチャー評論が作家論・社会背景論に偏りすぎだという私の問題意識による。

 

 続いて分析対象を選定した理由について。

 

 ウェブサイト「小説家になろう」に投稿され人気を獲得した小説は、書籍化する際に大幅修正されることが常である。この大幅修正こそが商品化のプロセスといえる。

 修正前(ウェブ版)と修正後(書籍版)を比較すればなろう小説の商品としての側面を明らかにでき、ひいては他の商業アートにも応用できると、本記事は考える。

 とりわけ『マサツグ様』という作品は、タイトルのとおりミヤモトというキャラ、およびそれに関係する俺TUEEEE描写が削除された。厳密に言うと削除ではないが、とにかく、これはウェブ版の魅力の大半を削る行為だった。

 なぜこの要素が削られそして代わりに何が追加されたのか。

 まずはウェブ版の『マサツグ様』と書籍版の『マサツグ様』について紹介し、先行研究を参考に考察する。紙幅の都合上、「小説家になろう」やなろう系についての説明は省略した。誠にごめんなさい。

 

(※サムネイル画像は、ガンマぷらすのマンガ版『マサツグ様』連載ページより引用)

 

 

2.『マサツグ様』の書籍化

 ウェブ版の『マサツグ様』は孤児院という目新しい舞台設定と徹底した俺TUEEEEによってサイト内で人気を獲得したが、それらはなろう内でウケる特殊なものだった。書籍化した際にそれらは削除されるかマイルドになり、代わりにキャラクターに深みが追加されストーリーに一貫性が持たされた。

 

2-1.ウェブ版の『マサツグ様』

2-1-1.『マサツグ様』

 改めて正式名称から。

『異世界で孤児院を開いたけど、なぜか誰一人巣立とうとしない件』は、ウェブサイト「小説家になろう」にて2016年2月29日から連載されている[2]ウェブ小説。作者は初枝れんげ氏。

 5話投稿時点(3月2日)で日間8位、2016年3月17日(28話投稿時点)には月間2位にランクインしていたようで、連載スタート時からサイト内でかなりの人気を得ていたようである。現在アニメ化こそしてないものの、コミカライズ、ボイスドラマ化、舞台化はしている。舞台版は劇団の旗揚げ公演だったらしい。

 

 ウェブ版のあらすじは以下だ。

 

 カースト底辺高校生の直見真嗣(なおみ・まさつぐ)は異世界からのクラス召還に巻き込まれてしまう。だが、呼び出した王様から早々に「こいつはへぼスキルしかないから不要」と切り捨てられ、誰もやりたがらない孤児院の運営を押し付けられてしまう。だが、そんな彼の持っていたスキルはもちろんチートだった上に、なぜか続々と孤児院には不遇だけど可愛い女の子たちが集まってくるのであった。

 彼は自分を頼ってくるいたいけな少女たちを「守る」ために、今日も周囲の権力者や権威、かつてのクラスメイトたちを蹂躙しつつ、孤児院の運営にいそしむのであった。

 

 このあらすじだけからでも多くのことが読み取れる。

 

  • 異世界が舞台のファンタジー(ハイファンタジー)であること
  • クラス転移(異世界に学校のクラスメイト全員が一斉に転移すること)であること
  • 主人公がチート能力(努力なしに与えられた圧倒的な力)をもつこと
  • ヒロインがたくさん登場するハーレム作品であること
  • クラスメイトを蹂躙し自身の強さを誇示する「俺TUEEEE」のストーリーであること

 

 ハイファンタジー、クラス転移、チーレム(チート+ハーレム)、俺TUEEEE。

 

 これらは『マサツグ様』が連載開始した時期になろう内で流行していた要素であり、ストーリー展開も「なろうテンプレ」を踏襲している。

 当時のなろうの異世界転移ものは、主人公は異世界転移直後にはその能力が顕現せず、周囲から無能と切り捨てられるのがお決まりだった。その後に最強の能力(チート)に目覚め、自由に異世界を冒険する。仲間にするのは主に女キャラ。富と名声と力を増やしつつ、他の異世界転移者や召喚者をギャフンと言わせる。

 筆者の趣味嗜好が干渉しているかもしれないが、こうした展開がお決まり(の1つ)だったのは確かである。あらすじが「もちろんチート」という言い方をしているのはこの点について作者と読者の間に暗黙の了解があることを示している。

 なろうでランキング上位に入りたいなら、あらすじにせよ本編にせよ読者の求める要素をあたかも現代文の記述答案のように過不足なく描写する必要がある。ハイファンタジーではあるがチートはない、でも俺TUEEEEはあるというような作品では部分点しかもらえず、ランキング上位に入るという観点からすると「不正解」である[3]

 

 しかしこうしたお決まりをただ守っただけでは没個性的な有象無象にしかならない。作者はお決まりを踏襲しつつも独自の要素を兼ね備えた作品を作ろうと苦心するのであり、『マサツグ様』の場合は孤児院経営という舞台設定と主人公マサツグの傲慢不遜な態度だったといえる。後者に関連する俺TUEEEE描写が過激だったために、なろう外からも『マサツグ様』は一躍脚光を浴びることとなった。

 

 

2-1-2.徹底した俺TUEEEE

 一なろう好きとして『マサツグ様』連載期の2016年から2017年を振り返ると、当時のネット上での「なろう系」への風当たりは強かったと思う(今も強いが)。当時は「なろう系」が書籍化され始めブームとなりつつあったが、一方で作品を吊るし上げバカにする風潮もブームになっていた。

 曰く、「読んでるやつも書いてるやつもキモくて金のないおっさん」、「何の努力もせず美少女にちやほやされるなんてコンプレックスが透けて見える」。

 これらについて個人的には単なる中傷にすぎないと思うが、『マサツグ様』はそれらを最も受けた作品の1つだった。

 

 見て思い出す人もいるかもしれないし、『マサツグ様』を語るなら触れないのは逆に嘘臭いと思うので、以下にコピペ化されなんJやはてブYouTubeにまで貼られ好き勝手言われた本作の俺TUEEEE描写を貼っておく。

 

 まずは、11話「聖剣の使い手(前編)」から。登場するリシュアエリンシーは本作のヒロインたちである。せっかくなので文字とヒロインの色を対応させてみた。サムネ画像を参照されたし。

 

「なんだよ、可愛い子連れてるじゃねーか。しかも3人とか、マサツグには似合わねーんだよ! おら、3人とも俺に寄越せ。文句ねーだろうな? ねえ、君たちもこんな奴より俺のほうが良いだろう?」

 

そう言って猫撫で声で少女たちに手を伸ばしたのである。

 

こうやってかつて学校でも彼氏がいるいないに関わらず、そのルックスで可愛い女性たちを食い散らかして来たのだ。

 

俺はすぐにそれを止めようとする。

 

・・・だが、そんな必要は全くなかった。

 

「ご、ご主人様ぁ・・・気持ち悪い人が近寄ってきます・・・」

 

「え?」

ミヤモトが何を言われたのかわからず、笑顔の表情のままで固まる。それはかなり間抜けな光景だった。

 

「マサツグ様、何なんですか? このゴミは? ゴミが私たちに話しかけてくるなんて、今日はおかしな日ですねえ」

 

「なあっ!?」

エリンの辛辣な言葉に、ミヤモトが口をパクパクとした。

 

シーも口を開いた。

「蛆虫みたいだからーあんまり私たちの視界に入らないようにして欲しいのー。視界に入るだけで不快なのー。マサツグさんさえ見えていればそれでシーは十分なのー」

 

 

 ヒロインたちから罵詈雑言を浴びせられているのがミヤモトだ。彼はマサツグのクラスメイトであり、親や先生からの評判もいいクラスカースト上位のイケメンである。だがその実態はいじめの主犯格であり、異世界転移前はマサツグをかなりひどくいじめていた「クズ中のクズ」(マサツグの発言から借用)である[4]

 そんな彼がヒロインたちから嫌悪感をもって拒否されるというパターンの俺TUEEEEであった。

 

 次話である12話「聖剣の担い手(後編)」においてもこの描写は続く。

 

「ち、ちくしょう! 返せ! 返せよ! 俺の聖剣を返せ!!」

そう言ってミヤモトが泣きじゃくりながら俺に迫ってくる。

 

「いや、もちろん返すさ。ふう、まるで俺が弱い者イジメをしたみたいに思わるじゃないか。そうだ、ちゃんと説明しておこうじゃない。皆さん! 俺はいじめをしてるわけじゃありませんよ!!」

 

俺はそう言って周りにイジメではないと大声で説明をする。

 

「や、やめろよ! 俺はイジメなんて受けてる訳じゃねえ!い、いいから返せよ!」

 

「だからそう言ってるんだ。いじめなんて最低の行為を俺はしてる訳じゃないから。周りの人たちにも言っておかないと。皆さん! 断じて俺はミヤモト君をイジメて泣かせた訳ではありませんからね!」

 

「うわあ! やめろよおお!!」と俺を制止しようとしてくるミヤモト。

 

だが、俺は諦めずに「イジメではない」と念入りに宣伝する。

 

ふう、これくらいやっておけば勘違いはされないだろう。

 

「うう、ぐす、ぐす・・・許さねえ・・・許さねえぞ・・・マサツグ・・・。俺に公衆の面前で恥をかかせやがってええええ」

 

 

 読者のみなさんがどう思うかは知らないが、これらを見たJの者たちのリアクションは、「草も生えない」、「ミヤモトにいじめられたんやろなあ」、「なろうは闇が深い」といったドン引きの否定的なものだった[5]

 

 確かにここまで徹底的な俺TUEEEE描写は類を見ない[6]。またしても個人的な読書経験になるが、たいていの俺TUEEEEは、ミヤモト的ポジションのキャラが苦労しても勝てなかったモンスターを主人公が楽勝で倒す、あるいは直接勝負して圧勝するとかその程度。もしくはクラスのマドンナが主人公に乗り換えるとかで、俺TUEEEEが終わればフェードアウトするのがパターンだ。

 だがウェブ版『マサツグ様』のこうした俺TUEEEEは、ミヤモトだけでなく他のクラスメイト、または傲慢な異世界人に対しても行われる徹底ぶり。マサツグの俺様キャラを超える尊大な言動はヒロインたちが全肯定。やれやれ俺はまた世界の危機を救ってしまったぜそんなことに興味はないんだがなやれやれ、一方クラスメイト達や悪役は情けない目に合うという展開が続く。

 

 肝心のなろう読者からの反応はというと、引用部がある11話・12話への感想は2020年に投稿された雑なアンチコメもしくは丁寧なアンチコメしかなく、当時のリアクションはうかがいしれない。

 全体を通して連載当時の意見を探してみると、孤児院という設定が新しい、主人公が人間臭くて好きといった好意的な意見もあるが、「主人公の性格が悪い」、「ヒロインがマインドコントロールされているかのよう」、「某劣等生を彷彿とさせる」、「何でこれが日間一位?」といった否定的な意見も目立つ[7]

 こう言った感想欄は強い気持ちを持つ者だけが書き込むものであるために、サイレントマジョリティである「そこそこおもしろいので何となく読み続けている」ライトなファンの存在に留意しなければならないが、当時から否定的な意見は多かったようである。

 ……ただ……、上記の批判は「マサツグ様」に限った話でもなく、なろう系にはつきものの批判なんだよなあ。

 

 

2-2.書籍での『マサツグ様』

 書籍版『マサツグ様』1巻の後書きにて作者の初枝れんげが「ネットで多くの声(ご指摘)をいただいたので」「99パーセントくらい修正しました」と述べているとおり、書籍版とウェブ版はほぼ別物だ。

 

 全体としては描写がマイルドになった。ウェブ版の過激な描写は削除されるかマイルドになったのである。

 主な変更点は以下となる。

 

  1. マサツグ様の不遜な言動が柔らかくなり、虐待されていたというバックボーンも与えられた。
  2. ウェブ版に登場したクラスメイトへ、そして彼らへの俺TUEEEEが削除、唯一ミヤモトだけがかなりマイルドになって2巻で登場。
  3. ヒロインにもそれぞれ個性が明確に与えられた。

 

 もう少し詳しく書いていく。

 

①マサツグの過去について

 全体的にマサツグの不遜な言動はマイルドになった。相変わらず口は悪いが、治癒の名目でクラスメイトの口に薬草をねじ込んだりしなくなった。さらにウェブ版ではいじめられっ子のクラスカースト底辺だということくらいしか描かれなかったマサツグの生い立ちに追加がされた。それは彼が虐待を受けていたため家族や人間関係のあり方を知らないというものであり、そのために不遜な物言いをしてしまうと言動や性格への根拠となっている。同時にこれはマサツグが鈍感であることの根拠ともなっている。

 また、こうしたバックボーンにより、「自分と似た境遇であるヒロインたちの居場所である孤児院を守る」という行動原理がマサツグに生まれた。さらに孤児院の持つ家族の側面も強調され、物語を貫くテーマとして機能している。

 

②クラスメイト、ならびにミヤモトの削除について

 ウェブ版にはミヤモトだけでなく他のクラスメイトへの俺TUEEEEが存在する(ex.27話、28話)。それだけでなく傲慢な貴族を蹂躙したりとたくさんあった俺TUEEEE描写は書籍版ではほとんどすべて削られている。4話のトリタへの俺TUEEEEも悪人への成敗のようなかたちに流用され、書籍においてトリタの名前は一切出てこない。

 唯一18話・19話のギルドマスターのドランとその部下ゴズズへの俺TUEEEEが移植されているものの、キャラと大まかな展開(マサツグのギルドマスターへの失礼な態度にゴズズがキレるがマサツグに返り討ち)が一致しているのみで、前後の展開もふまえるとほぼ別物といっていい。

 

 なによりネットでの「炎上」に一役買ったミヤモトは1巻においては削除された。11話・12話の描写は書籍版では見れないのかと思いきや、2巻の後半においてミヤモトが登場。真の聖剣の担い手はマサツグでミヤモトは運び手でしかなかったという12話のエピソードが移植されている。ミヤモトの性格は変わらず自己中で幼稚だが、いじめの仕返し云々は削除され、ギャグっぽい仕上がりとなっている。

 ミヤモトへのマサツグ、ヒロインによる罵倒もマイルドになっており、さらにその罵倒は翻って2巻前半部のマサツグ自身の振る舞いにも当てはまるものになっている。前半部までのマサツグもまた自分以外見えていない未熟な人間であり、そのせいでヒロインたちを苦しめてしまっていたのである。

 さらに、ウェブ版ではその後72話まで道端に捨てられていた聖剣も、書籍版では数十ページ後に2巻の敵である死神を倒すために使われる。書籍版のミヤモトは未熟なマサツグを映す鏡であり、また俺TUEEEEもストーリーと関連付けられているのである。

 

③ヒロインたちのキャラについて

 メインヒロインはウェブ、書籍両方とも、リシュアエリンシーの3人である。

 リシュアは、孤児院に捨てられていた元奴隷のケモ耳少女。

 エリンは、元エルフの森の王女。故郷をバルク帝国に焼かれたエルフ王家最後の生き残り。

 シーは、孤児院の庭の井戸に封印されていた水の精霊神。

 

 と、このようにそれぞれ設定がされているものの、ウェブ版ではキャラとしての掘り下げはなかった。またヒロイン同士も描き分けも明確でなく、語尾を伸ばすという特徴がシーにあったのみである。ウェブ版において彼女たちは、マサツグを称賛するいわゆる「さすおに」の役割しかない。当時の異世界転移・転生ものでは主人公と親しくなることでチート能力の恩恵を受けヒロインもまたチート級の強さを持つという展開もテンプレで、そうした描写が彼女たちにもあることはあるが、専ら「さすおに」用のキャラである。

 そのために「マインドコントロールされているかのよう」と批判されるのだが、なろうにおいてヒロインに求められるのはまさにこうしたヒロインなのである。

 

 一方書籍版においては、エリンツンデレ属性、シーに駄女神属性が追加されている。リシュアは精神年齢が高めになったようで、鈍感なマサツグとツンデレなエリンを俯瞰で眺める言動が見られるようになった。

 各ヒロインそれぞれマインドコントロールされているどころか明確な自我を持っており、マサツグと対立するシーンが存在する。とりわけエリンはバルク帝国に復讐するという目標があり、3巻はこの復讐心が物語の発端となっている。

 さらにウェブ版も書籍版もマサツグの一人称小説であるが、書籍版はストーリーの途中に、ヒロイン視点で物語が描かれるパートが存在する。そこで彼女たちは自身の胸の内を読者にだけ語るのである。

 

2-2-1.ストーリー

 一話完結的だったウェブ版とは異なり、書籍版は家族(愛)というテーマのもと1巻ごとに小テーマが貫かれている。ただし1巻は、キャラの紹介や舞台設定、後の伏線といった土台固めの描写が多く、テーマが最初から最後まで貫かれているとはいいがたい。これはまあ、1巻目だしそういうもんだよねって感じ。

 それもふまえた上で、各巻のストーリーについては、サクッと表でまとめた。

 

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 マサツグが一貫して、世界の平和という大きな物事よりも、孤児院・ヒロインの安寧という小さな物事を優先している点を覚えておいてほしい。

 以上が、ウェブ版と書籍版の主な差異である。これら差異が生まれた原因についての分析を次章にしておこなっていく。

 

 

3.分析

 最初に断っておくと、こっから先は机上の空論である。

 

 なぜなら筆者は初枝れんげ氏やTOブックスの編集者にインタビューしておらず、また書籍の制作現場に居合わせてもいないから。

 データを集め参考文献を引き引きしてできる限り妥当なことをいうつもりだけど、肝心の当事者の声が欠けている以上、本記事はどこまでいっても独り相撲。

 

 ただ本記事にとって救いなのは、著者の初枝れんげ氏が自身のYouTubeチャンネルにてなろう小説講座を行っていることである。まあ、ていうか、だからこの小説を題材にしたんだけどさ……。

 まずはそれを読み解き、「マサツグ様」を執筆するにあたって守らねばならなかったルールを明らかにしていく。

 

3-1.なろう小説の特殊性

 「初枝れんげの小説家になろうチャンネル」では「小説家になろう」で小説家になるためのノウハウが紹介されている。現在までにアップされている動画群から、具体的な作文技術と書籍化へのテクニックに関するものは除き、初枝れんげ流の執筆ルールをまとめてみた。

 例示として1つ以下に貼っておく。

 

youtu.be

 

 まずなにより重要なのが、なろう読者の特性である。彼らはとにかくストレスフリーな作品を求め、主人公に強く感情移入している。なろう小説に求めるのはキャラクターの挙動、ヒロインの可愛さ、成り上がり、スキル説明などである。また、文章中に挿絵があるのを好まない。

 

 そんな彼らの需要に応えるうえで絶対NGなのが以下の5つ。

 

  1. 異世界ファンタジーか恋愛のジャンルで書く
  2. 敗北は絶対NG。例外があるとすればプロローグだけ
  3. 難しい表現はNG。ライトノベルよりもさらに平易な文章が良い
  4. 風景の詳細な描写は極力省略する。退屈は敵
  5. 主人公のライバルは「不要」

 

 理由はそれぞれつぎのようになる。①だけ毛色が異なり、この2つのジャンル以外は人気がないので書籍化デビューが遠のくというもの。

 ②~⑤に通底するのはもちろんストレスフリーだが、③と④は「読むのがめんどくさい」というストレスを減らすためである。地の文は中学生レベル(怒鳴るにルビを振るレベル)の語彙で完結明瞭に短く描写すべし。なろう読者の半数は「船頭多くして船山に上る」の意味が分からないとのこと。

 ②と⑤がストーリー上のNGで、なろう読者は主人公の敗北や挫折、障壁になりうる存在を許さないし、苦労する展開も好まない。戦闘で敗けるのはもちろん、王様などの権力に屈する「精神的な敗北」もNG。ただし例外として、プロローグで敗北・挫折するのは後々挽回することが「なろう様式美」として周知されているので可[8]。同じ理由で、主人公の試練となるライバルも不要。そのような対等な存在は許されず、かませ犬的な役割しか求められないのである。

 ストレスフリーであるために、主人公以外のキャラを描写するときにも注意が要る。彼らは主人公の評価を上げる存在でなくてはならない。とりわけヒロインには特別の注意が必要で、すごく敏感な読者層に「配慮」して、主人公以外の他の男と会話すらさせず、もっと言えば同席さえさせないほうがいい。「コメント欄がえらいこと、クレームの嵐」になるそうだ。また倒された敵キャラを安易に許して再登場させてもいけない。ストレスを嫌うということは反面、悪者や気に入らないやつをぶっ飛ばしてスカッとしたいという積極的な欲望を持つことでもある。敵キャラは情け容赦なく倒すべきであり、そうしないと「コメント欄がクレームの嵐」になる。

 

 「最初のころはテンプレにいい印象を持っていなかった」

 「趣味全開で書いた『異世界ライミング』は一番伸びなかったけれど、自分的には一番面白くて好き」

 「主人公を称賛するシーンを徹底して書くようにしたらブックマークが驚くほど伸びた」

 

というこぼれ話もふまえると、初枝氏が自身の欲を制御し読者ニーズを分析したうえで『マサツグ様』を執筆したと考えられる。氏の作品一覧を見ればわかるが『マサツグ様』と最新作の『追放うれしい』だけかなり作風が異なり、この2作品だけが書籍化している。

 

 

 さて。

 この初枝氏のなろう分析は、素人目に見てもなろう小説の法則を明らかにしたと思える。というよりむしろ、初枝氏の仕事を矮小化するつもりはないが、なろう読者・作者がすでに漠然と知っていた理論を言語化したともいえる。

 実際に「先生の動画を参考になろう小説を書いたらランクインできました!」的なお便りも初枝氏のもとに寄せられているそうである。

 

 改めて『マサツグ様』を読むと、キャラクターの振る舞いやストーリー展開がルールに則ったものであるとわかる。マサツグが誰に対してもタメ口であるのは②に従っているからだ。11話にてヒロインたちがミヤモトへの過度な拒否感を示したのは、敏感な読者層に配慮したもの、同時に敵キャラへの容赦のなさを表したものだと考えられる。

 得意気に見せびらかした聖剣をマサツグに奪われてしまったミヤモトの間抜けさは、まさに⑤のかませ犬である。ミヤモトのかませ犬としての活躍はすさまじく、この後クラスメイトの大半がマサツグの味方になったことで孤立し、邪神に魅入られパワーアップするがマサツグに倒されるという展開になる。

 ケモ耳美少女(リシュア)が服を脱いでお嫁さんにしてほしいとお願いする1話目。5話目におけるステータスオープン。こんにゃくや紙、石鹸を「発明」する内政チート、ポーションを作る際の知識チート。ドワーフや妖精、のじゃロリ魔王といった当時人気の美少女キャラ群。彼女たちがチョロインであるという簡便さ。かつてのクラスメイトへの徹底的な俺TUEEEE。終盤で王になるという成り上がり......。

 ウェブ版の『マサツグ様』は初枝氏が読者ニーズを読んで、なろうでウケる要素を多く詰め込んだ作品だった。外部の目には奇妙に映るストーリー展開やキャラの言動は、なろう読者の特殊なニーズに応えるものであった。AMAZONのレビューに散見される「書籍版は良くも悪くも角が取れて魅力がない」というネガティブな評価は、なろう読者の落胆ともいえよう。その意味で本作は優秀な作品である。

 とくに「マサツグ様」の不快さの効用は、飯田(2016 : 106-108)によるデスゲームものの分析が説明になる。デスゲームのグロテスク・理不尽な描写で覚えた負の感情を、読者は誰かと共有したくなるのであり、ウェブ小説はそうした毒を持っていたほうが売れやすいという。初枝氏がどこまで計算していたかは知る由もないが、コピペ化され散々叩かれた「マサツグ様」の11話・12話はまさしくこの効果を生んでおり、この点から見ても優秀(もしくは幸運?)であるといえる。

 

3-2.ラノベの形式

 いわゆる創作論的な指南書となろう小説の距離感についても初枝氏は語っている。一話ずつ投稿するなろうにおいては、読者が期待する展開を各話ごとに確保する必要がある。したがって苦戦した後に勝利するよりは出オチで倒す方がよく、例えばハリウッド脚本術に示されるストーリー構造をそのまま当てはめるのは難しいという。ただしライトノベルを執筆する際には有用性があるとのこと。ちなみに、ウェブ小説独自の方法論として飯田(2016 : 40,65)も同様のことを指摘している。

 また初枝氏は、書籍化において「起承転結・序破急になってませんね」「緩急をつけなおしましょう」と言われる、ウェブ版をそのまま書籍に持って来るとバトルシーンが短すぎ/長すぎるために全体のバランスを取ることも普通にあると、なぜか第三者目線で語っている。

 さらに別動画にて初枝氏は、最新作『追放嬉しい』においてウェブ版と書籍版の読者ニーズの差をふまえて主人公の性格をマイルドにしたことも明らかにしている。さらに書籍版のマサツグを実験的な意図をもって成長させてみたとも語っている。

 

 これらはつまり、ウェブ版の『マサツグ様』がラノベの形式へと編集されて書籍化したということである。書籍版をざっと読んでみるだけで、なろう小説の鉄則である③と④が破られていることがわかる。前章にあげた差異もその表れと考えられるが、そのような変更を要請したラノベの形式とは一体どのようなものであろうか。

 

 ここで一旦、ウェブ小説とラノベは同じなのか問題について本記事のスタンスを述べておく。

 10代が読むラノベと異なり30代の男性が読むウェブ小説だが、飯田(2016: 112)は電撃やMF文庫などが販売する文庫サイズの方を「狭義のラノベ」、『マサツグ様』のようなウェブ小説やライト文芸、ボカロ小説を「広義のラノベ」として分類している。一方で初枝氏も「なろうorラノベ」の対立軸で捉えている様子なので、本記事もこれらにならいウェブ小説はラノベの延長線上にあるとして、紙媒体においては同じ方法論で作られるものと考える。

 

 飯田(2012)は「ベストセラー・ライトノベル」にのみ焦点を絞り、経営学の手法を用いてラノベの商品としての側面を明らかにした彼自身は本書を「文芸評論であり、文化批評の書(p22)」[9]と位置付けているが、本稿は先行研究として参考にする。

 飯田が明らかにしたのは、いかにして優れた商品は顧客のニーズを満たすかである。ラノベにおいて優れた商品とはベストセラー、顧客とは若いオタクとなるが、彼らがラノベに求めるのはつぎの4つ。

 

「楽しい」「ネタになる」「刺さる」「差別化要因」

 

 つまりは、読んでいて楽しくポジティブな感情になる、友達との会話のネタになる要素がある、読み終わっても胸に残るものがある、そしてその作品でしか読めない固有なものがある。そんな作品を求めているのだという。

 また、キャラの魅力を演出する際にはギャップが重要であるとしており、ラノベにおいて良いキャラとは外見と中身のギャップが激しく、時間経過により変化、成長するキャラであるという。モデル並みのルックスだが実は隠れオタクで、ストーリーが進行するにつれてオタクをオープンにしていった『俺妹』の桐乃はこの演出に則ったものである(ibid : 第Ⅱ部 第一章)。

 

 ベストセラー・ライトノベルがこれら読者ニーズをいかに満たしているかについて飯田がおこなった具体的な作品分析の中から、本稿は『IS(インフィニット・ストラトス)』分析(ibid : 170-186)を参考にする。なぜなら『IS』が「バトルラブコメ+本妻不在型ハーレム」として分類されており、『マサツグ様』と近しい構造といえるからである。

 

 『IS』がどのようにして上記4つのニーズを満たしていたのかというと、まずラノベでは希少なロボットバトルをテーマにしたことで「差別化要因」をクリア。さらにバトルとラブコメというエンタメの常道をおさえつつ、萌えを徹底的に追求したヒロイン全員から愛される「ウハウハハーレム(p172)」をつくりだす。これにより「楽しい」「ネタになる」を調達。最後にヒロインと主人公の関係性を変化させることで「刺さる」を提供するのだが、その際に使われるギミックがバトルである。したがって、バトルラブコメはラブコメが主、バトルが従となる。

 一方、本妻不在型ハーレムであるがゆえに、主人公は恋愛に対し鈍感であらざるをえない。必然、フラグが折られまくるため恋愛のヤキモキがなくなり退屈になってしまうので、ヒロインの一人称による内面吐露パートを用意し代替させる。

 だが、この形式のラノベの構造的弱点はまさにここである。主人公が本命を選ばないため負けヒロインが発生せず、「刺さる」を調達することが難しいのだ。本妻不在型ハーレムには選ばれなかったことへの悲哀が存在せず、いつまでも同じようなパターンのドタバタを繰り返すジリ貧なのである。『IS』はこの困難に対処するべく、バトルで代替する、ひたすら新しいヒロインを登場させるという2つの方法を取ったが、飯田(2012 : 184)によれば本質的な解決にはなっていないという。

 

 飯田の分析に照らせば、書籍版『マサツグ様』の差異の理由がわかる。「楽しい」と「ネタになる」はウェブ版ですでに俺TUEEEEと「ウハウハハーレム」で、「差別化要因」は孤児院という舞台設定で満たされている。残る「刺さる」を満たすために、ストーリーに家族(愛)というテーマが貫かれたのだと考えられる。

 また復讐に燃えるエルフの王女エリンにツンデレ、水の精霊神シーにポンコツの側面が追加されたのはキャラにギャップを付与するためであった[10]。マサツグが成長するのもキャラとしての魅力をより強くするためと考えられる。

 あくまでこう分類したものの、エリンのツンデレは「楽しい」し、シーのポンコツぶりは「ネタになる」。家族(愛)もまた「差別化要因」となりうる。

 

 もう1万字も書いたし結論が言えないこともないが、飯田自身が分析における定量的なリサーチの不足とジャンル分類の恣意性を認めており(ibid : 22,49,310)、また私自身も読んでいて、肝心の読者の感情を「グッとくる」等の一言で表す雑さが気になった。

 そこで最後にラノベ教則本を引用して論を補強したい。

 

3-2-1.ラノベの作法

 ラノベの魅力はキャラクターである。キャラを魅力的にするためには「憧れ」と「共感(読者が親しみやすくなるような欠点)」が必要で、とくに女性キャラの場合は「萌え」が最重要となる。どちらにせよ「ギャップ萌え」を使えば魅力が大きく増す。例えば、『俺妹』の桐乃はその典型である。

 ……これらは参考にした2冊両方ともが強調していたルールであり、飯田の論と例示作品までもが重なるので、もはや守って当然なのだろう。

 

 ラノベにおいてストーリーはキャラの「目的」と「本質」から生まれる。目的とそれを目指す理由を作りこめば、ストーリーに強い説得力と方向性が生まれる(ライトノベル創作倶楽部(ed) 2013: 52)。ただし面白いストーリーは細かく分けても10パターンしかなく、一見新しく見えるストーリーも、これらのうちの複数を組み合わせてそのように見せかけているだけである。奇をてらうのはどこか1つに留めるべきで、それ以外は王道パターンで進むのが読者にとって一番心地よい(榎本 2010 : 86-89, 第7章)。

 書籍版『マサツグ様』に当てはまるのは、

 

「どたばた日常」「少年(少女)の成長」「ハーレム&逆ハーレム」「戦争物語」

 

の4つと考えられるので、メリット・デメリットを表にまとめた。

 

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榎本(2010 : 146-149,150-157,178-181)より作成

 

 注目してほしいのはデメリットである。「少年(少女)の成長」と「ハーレム&逆ハーレム」のそれは続き物である『マサツグ様』ではあまり問題とならない。それよりも、「どたばた日常」と「戦争物語」のそれが相補的なことに注目してほしい。言い換えると、孤児院を舞台に設定した以上ストーリーが不可避に小さくなってしまうので、マサツグ達はスケールの大きな争いに巻き込まれたほうがよいのである。マサツグが世界より孤児院を優先する理由も、ストーリーがこうした組み合わせであるからで、彼が孤児院を「目的」にすることでストーリーがむやみに大きくなるのを防いでいるといえよう。虐待されたというバックボーンはそれを支えるための「本質」であった。

 

 ただやはり『マサツグ様』の一番強い要素は「ハーレム&逆ハーレム」である。マサツグは、ヒロインたちだけでなくエリンの仇敵である女帝や果ては聖剣にまで惚れられる。そこに潜む困難と『マサツグ様』の対処はすでに論じたが、一方で榎本(2010 :155)はハーレムものに役立つ発想として「主人公にだけいい目をさせる」展開を提案している。読者は主人公に感情移入するのでそれ以外のキャラがいい目に合うと損をした気になるからであるという。

 これと「マサツグの成長」という視点から見れば、書籍版のミヤモトが持つ役割が明らかになる。ウェブ版と同じくかませ犬ではあるが、単なる俺TUEEEE要員ではない。書籍版のミヤモトは「マサツグにいい目をさせ、かつ成長を促す」役割として再設定されているのであった。

 

 

4.おわりに

 本記事の問いと答えを簡潔にまとめると、

 

「『マサツグ様』からミヤモトが消えたのは、ウェブ版の彼がなろう読者の特殊なニーズを満たすキャラだったから。2巻でマイルドになって登場したが、その際には書籍版の展開・ニーズに沿うキャラへと変貌していた」

 

となる。換言すると、書籍化した『マサツグ様』はよりマスな層に向けた作品になるべく成長や家族といった王道のテーマを追加したので、ウェブ版のミヤモトが入る余地は無くなってしまった、となる。

 

 以上、本記事は商業アートの商品の側面について、なろう小説とラノベを事例に考察した。

 その結果明らかになったのは、読者のニーズを前にすると作者の意図は後景化するという関係。ストーリーはすでにある類型の組み合わせであり、それにキャラが従属すること。それでも作者のオリジナリティが無くなるわけではないということ。

 また、分析の過程で知ったストーリーのパターン、キャラづくりの鉄則は他の商業アートにも応用できるはずだ。

 アドルノはジャズの即興演奏を題材にポピュラー音楽が規格化されたパターンの組み合わせでしかないことを明らかにした。本記事はそのなろう・ラノベ版といえるが、作者のオリジナリティをまだ信じている点が異なる。

 同じストーリーの組み合わせで似たようなキャラを配置したとしても作者が違えば作品も異なり、一方はおもしろいのにもう一方はおもしろくない。

 本記事が扱いきれなかった問いはまさにこれである。

 その他、電子と紙という物質的な違いも取りこぼしたし、何より一番大事な作家の日々の実践について言及が一切ない。初枝氏の動画もラノベ教則本もこの地道な努力について最も多く述べている。

 したがって当然ながら、本記事を読むだけではもちろんのこと書いたからといって、小説家にはなれない。

 

参考文献

榎本秋(2010)『ライトノベル作家になる』新紀元社

飯田一史(2012)『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』青土社

飯田一史(2016)『ウェブ小説の衝撃』筑摩書房

ライトノベル創作倶楽部編(2013)『新・ライトノベルを書きたい人の本』成美堂出版.

 

 

 

[1] あくまでも例えであって、アラレちゃんや空条徐倫など女主人公のジャンプ漫画は存在するし、こんなルールが存在するかについて筆者は集英社に確認もしていない。

[2] 作者が設定を変更していないため今でも「連載中」と表記されているものの2020年8月9日を最後に更新されておらず、実質連載終了いわゆる「エタった」状態といえる。

[3] 本記事は作品の形式を明らかにするのが目的であり、おもしろい・おもしろくない、質の良し悪しは分析の対象外である。限られたパターンの「正解」がランキング上位を独占する状況にうんざりして、「不正解」を積極的に探すなろう読者も大勢いる。

[4] クラス転移ものにおいて、イケメンはこう描かれることが多い。「勇者」の称号を与えられて得意になるもののチートスキルを得た主人公には勝てず、徐々に本性を出すとか没落していくとか。

[5] 包囲殲滅陣とよっこらふぉっくす、肉の両面焼き、キンキンキン太郎、また俺なんかやっちゃいました?、黙れドンと一緒によくネタにされていた。

[6] なんだか妙にクセになった方は素質があるので是非4話も読んで欲しい。

[7] 余談だが、この中にあった「廚二病が水戸黄門暴れん坊将軍やってハーレムつくってるみたいで、すごく新鮮(笑)」という感想はまさになろう小説の本質を突いた至言。

[8] 逆にいうと、主人公を窮地に追い込むことができるのはプロローグにおいてのみである。

[9] 飯田はライトノベルが時代や社会に対して何らかの力・価値を持つと直感的に信じ筆をとったそうだが、それらを定量的に示す根拠がないという意味で本書は学術書ではないとのこと。

[10] 単なる孤児かと思っていたリシュアも、3巻終盤にて獣人の王の末裔であることがちらりと明かされた。おそらく4巻にて掘り下げられる予定だったと考えられる。