小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

シュレーディンガーの負けヒロイン――箱へ入れるには負けヒロインが多すぎる!

 本稿は放射性元素を用意した密室にいる負けヒロインが、元素の崩壊を引金として室内の生命体を死に至らしめる仕掛けが発動した際、生きているのか死んでいるのかを考察する記事……ではない。同時に、生命の徒な科学利用を禁ずる倫理的訓話でも、量子が集合体状態の光子となる際、そこには勝ち量子と負け量子がいて、われわれの社会は原子レベルですでに構築されている可能性を論ずるポストモダン的白昼夢でもないことを、あらかじめ断っておく。

 では何を書きすすめるのかというと、ライトノベル『負けヒロインが多すぎる!』を題材として、負けヒロインとはいかなる存在でありうるのか、その問いへの答えと、答えるための条件についての考察である。シュレーディンガーだけにとんだ猫だましの序文となったが、なんてことはない。ただの読書感想文+αだ。肩の力を抜いて読んでほしい。なお、記事の性質上、本編の内容へ全般的に触れるので、その旨注意されたい。

目次

1.分析対象・分析方法

 問題関心と問いについては如上で触れた。本節では分析の対象とするテクストと、分析をする方法について述べる。

 タイトルをもう出しているが、『負けヒロインが多すぎる!』は雨森たきびによる、小学館のレーベル、ガガガ文庫から2021年に発刊されたライトノベルだ。当作は公募型新人賞の第15回小学館ライトノベル大賞(2020年募集)にてガガガ賞を受賞しており、著者のデビュー作となっている。ガガガ賞は他賞における銀賞(二席)*1で、同回の受賞作ではもっとも高い席次である。

 受賞に際して、当作はいかなる評価を受けたのか。ゲスト審査員*2カルロ・ゼン*3によると、「原稿としての完成度と、物語の完成度」が優れていた。前者は投稿作の時点で高いレベルを誇っていたことを指している。後者においては「キャラクターたちの関係が三角とでもいうべき構図で形成されてい」る比較的マクロなレベルと、「どのキャラクターにも、明確な不遇さがあるようでないバランス感覚」のミクロなレベルの双方に目を見張るものがあり、全体的には「予見可能性があるようで適度に緩急をつけてくる物語運び」が特長とされている*4。内容については後述するが、かかる講評は簡潔かつ適確に当作の美点を挙げている。

 本稿では書名にも掲げられている「負けヒロイン」と目されるキャラクターに着目して、彼女(たち)と、彼女(たち)が恋愛感情を寄せるキャラクターを中心とした他者との関係性を、物語内容の時系列*5に沿って追跡しながら、負けヒロインの在りようについて分析を試みる。ようは、負けヒロインと他のキャラクターの絡みを追っかけます、ということだ。分析方法とするのもおこがましく思えるほど、単純な作業である。

 だが、そのようなテクストさえあれば実行可能な分析こそ、冒頭で述べた問いと付随する条件について考える唯一の突破口となりうる。なぜならば「勝ち/負け」の判断を下すことが可能な事象において、勝敗の判定はいうまでもなく勝負が終了したあとになって、はじめて決定できるからだ*6。負けヒロインは「好意を寄せた相手とのあいだに望む関係の構築に失敗した(=負けた)」という言明に対する真偽以外の基準を要さない。われわれに課された営為は、関係構築の成否を判断すべく、ひとえにキャラクターのふるまいや所作を追っていくことだけなのだ*7

 このように、分析方法は非常にシンプルだが、当作における作業もまた然りとは言いがたい。なぜならば、負けヒロインが3名も出てくるのだから。

 

2.三者三様の負けヒロイン

 というわけで、ようやく作品本編の分析に入る*8。登場する負けヒロイン1人ひとりに関する描写の記述をいきなり羅列すると乱雑になってしまうので、先に相関図を提示しておこう(図1)。イラストが添付された3名のキャラクターの横にある「○‐×」は、いうまでもなく恋愛関係における勝敗を表わしている。

 図に盛りこんでいない登場人物も少なくないが、主人公、温水和彦と負けヒロイン3名、および彼女たちが慕情を寄せた異性と負けた同性キャラクターに絞って整理した。矢印で表した関係には、四角で説明しているものもあるが、個人間の関係性を強調するために改めて記している。

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図1 『負けヒロインが多すぎる!』における相関図

八奈見・焼塩・小鞠の画像は目次より抜粋

 文芸部部長の玉木と副部長の月之木は高校3年生で、2名以外の図内にいるキャラクターは高校1年生である。作品は「夏休みまで十日を切った」1学期期末試験の最終日から始まる。

 主人公の温水は休み時間をやり過ごすなかで、校内のうまい水道水が出てくる蛇口を把握するほどのぼっちキャラだ。「クラスの『観察者』」を自認しており、本編以前のクラスメイトとの交流は皆無だった。そんな温水は八奈見杏奈が負ける瞬間に偶然、立ちあうこととなる。

2.1 八奈見杏奈

 それは、期末テストから解放された温水がファミレスでラノベを読んでいる時だった。

「杏菜、俺──」

「ううん、いいの」 

 八奈見は気丈に顔を上げると、立ち上がって自転車の鍵をテーブルに置いた。

「行ってあげて。華恋ちゃんが待ってるよ」

「……いいのか?」

「華恋ちゃんはいい子だもん。幸せにしてあげないと承知しないよ」

「ありがとう。俺、華恋に気持ちを伝えてくる」

「頑張ってね。振られたら、私が愚痴くらい聞いてあげるから」

「……悪い、杏菜」

 そう言うと袴田は飛び出していった。八奈見には目もくれず。

 しばらく立ち尽くしていた八奈見は、力無く腰を下ろすとポツリと呟いた。

「……謝らないでよ。馬鹿」 

 好意を寄せていた袴田草介が他の相手を好いていると知った八奈見は、彼の背中を押して自らの恋慕が一方通行だったと知る。ぽつねんと残された八奈見が飲食代を払えなかったため、温水が肩代わりしたことが発端となり、まったく接点のなかった2人の交流が始まる。実質的な初対面から八奈見はこれでもかとばかりに、自身と袴田の関係が如何程のものだったかを主張している。

「華恋ちゃんは大切な親友だよ。でも、でもね? 彼女、5月に転校してきたばかりだよ? ねえ、草介と私の十二年間って何だったんだろうね」 

 

「草介はね、私の幼馴染なの」 

 こいつ、なんか語りだした。

「子供の頃、草介がシロツメクサの指輪をはめてくれてね。お嫁さんにしてくれるって……。お嫁さん……」

 

「実を言うとね、秘密だよ。私、草介とお風呂に入ったことだってあるの」

「それも4、5歳の頃の話だよね」

 ところで、八奈見から袴田を勝ちとった立場にあたる姫宮華恋の内面に迫る描写は、まったくない。温水が「転校初日の自己紹介早々、『あーっ! あんたはあの時の痴漢男っ!』とか、袴田と喧嘩していた気がする」と回顧している以上の経緯は説明されず、温水が教室内で見かけるか、八奈見の会話に現れる程度の描写しかない。いわゆる勝ちヒロインから焦点をズラした書きかたは、本作において一貫している。

 他にもたくさんの面目躍如たる発言や描写はあるのだが、それらは本編で確認していただきたい。ここではひとまず、温水がたまたま八奈見が負けヒロインとなる瞬間に立ち会った事実を確認しておけば、それでよい。

2.2 焼塩檸檬

 先に述べておくと、次節の小鞠知花が焼塩よりも早く登場する。本稿では作品内で「負け」が確認できたキャラクターから紹介していこう。

 八奈見と焼塩檸檬の共通点としては、同じクラス(1年C組)に在籍していることが挙げられる。くわえて焼塩は温水と同中の出身だが、顔見知りでさえなかったようだ。つまり、温水からみると両者ともクラスメイトであるだけの赤の他人といえる。

 ただし、初登場が上で引用したファミレスでの一幕――ほかでもない好意を寄せる相手に振られるシーン――だった八奈見とは異なり、焼塩は意中の相手である綾野光希が温水と会話していたのをきっかけに、物語の中核へと関わっていく。

 憎めない笑顔で俺の肩を叩くと、綾野はその場を去ろうとする。

 その時、小麦色の影が視界に入り込んできた。

 現れたのは焼塩檸檬。机の上にこんがり焼けた腕が乗ってくる。

「光希! ちょっと待って」

 (中略)

「ねえ。温水って光希と友達だったの? クラス違ったよね」

 焼塩は長い睫毛を不思議そうにパチパチさせながら、俺の顔を覗き込む。

 温水が文芸部の部員と知った綾野は、出身中学と塾が同じだった縁で安部公房の全集を借りられないかと、温水へ頼みに来る。上の引用部は男子2人が短い用件をちょうど終えたところの場面である。

 焼塩が温水へ話しかけてきたのは、綾野が朝雲千早という同じ塾に通う女子に呼ばれたから。焼塩と同様、綾野のことを下の名前で呼ぶ朝雲の存在が、気にかかっていた。

「そ、そうなんだ。光希のやつ、やっぱ頭のいい娘の方が好きなのかな……」

 言って、二人の消えた先を不安気に見つめる。

 うん? 焼塩の奴、もしかして。

「二人とも同じ特進コースだったから、ちょくちょく一緒にいたとは思うけど。普通に友達だと思うぞ」

「だよね! 二人ただの友達だよね!」

 焼塩は青空のような笑顔を見せる。

 焼塩の綾野への好意に気付いた温水は、気を回して全集を借すついでに、綾野と一緒に文芸部を見学しないかと焼塩に提案する。二つ返事でOKした焼塩は、綾野とともに訪れた部室で、文芸部副部長の月之木古都から勧誘を受けた。この折、敗北は唐突に訪れる。

 二人の間の微妙な雰囲気に気付いたのかどうか。月之木先輩はキョロキョロと二人を見比べたあげく、

「あれ。やっぱ二人、付き合ってないにしてもそんな感じなの?」

 なんか余計なことを言った。この先輩、意外とポンコツか。

「え、ややや、そんなんじゃないですって!」

「だから違いますよ。俺、彼女いますし」

 何気ない綾野の言葉に、焼塩の照れ笑いが一瞬の内に凍り付く。

 出がけの綾野に温水が確認したところ、「彼女」とはほかでもない朝雲だった。

 かなり端折ったが、焼塩に関する描写で把握しておきたかった2点は共有できたと思う。まず、焼塩の敗北を温水は偶発的に目の当たりにしていないこと。次に、焼塩へ決定的に「負け」の判定が下されたきっかけを、温水が間接的につくったことだ。もうすこし説明を加えておこう。

 前者は一見すると違和感を抱かれるかもしれない。上記のシーンの時点で、綾野が朝雲とすでに交際しているとはいえ、焼塩が負ける*9かどうかは、蓋然性の高低でいうと綾野本人の口から交際関係が発せられないかぎり、判断はつきかねる。よって、焼塩の敗北を第三者(むろん、焼塩本人も!)が知るためには綾野が話すのを聞くほかなく、直接尋ねないのであれば、偶然話すのを待つほかないのではないか。確かに、彼女がいるのかどうかを単刀直入に聞かないという条件を付けた場合、その結果がもたらされるのは偶然に委ねるほかない。

 しかし、綾野が自身の交際関係へ言い及ぶ可能性がある場の創発について考えると、第3者の意図が働く余地も多少はある。言い換えると、「問わず語り」が生じる可能性は高められるのだ。この点は後者にも関わってくる。焼塩と綾野が話すきっかけにと文芸部の見学を勧めたのは、温水だ。そして、部室で月之木が初対面の2名をカップルと勘違いしたため、件の敗北がもたらされた。

 綾野がわざわざ言わずとも、綾野と朝雲は交際しているという事象*10は、厳然と作品世界ですでに存在する。ようは、綾野が言おうが言わまいが焼塩は負けている。しかし、物語を進行させる主人公=温水がそれを知るためには、先述のようにヒロインが負けている事実を認識しなければならない。2人を誘った結果、部室で焼塩が負ける瞬間に立ちあった*11ことは、負ける契機を温水が(間接的にとはいえ)生みだしたといえる。

 これはあくまで実際のシナリオがそうであっただけで、温水が2人を誘い、月之木が恋人たちと勘違いしなくても、綾野が朝雲と交際している以上、遅かれ早かれ焼塩は負けたのではないか。そして、その瞬間に温水はいないかもしれないし、いたとしても偶然、居合わせただけのではないか。こう指摘するのはたやすいが、いっぽうで実際に起きたこと、つまりわれわれが読んでいるテクストでは、温水がきっかけで焼塩は負けている。「負けた」という言葉の指示する内容がいまひとつ判然としないように思われるかもしれないが、その様態の分析は、小鞠知花に関する記述を経たあとでも遅くない。

2.3 小鞠知花

 小鞠知花は、温水が物語の開始時点で幽霊部員となっている文芸部の部員だ。アクティブな成員が少ないという理由で生徒会に睨まれた文芸部の体裁を取り繕うべく、小鞠は温水に部活へ参加するよう告げる。

 小鞠は温水以上に人付き合いを避けている。慣れない相手にはスマホのメモ帳で会話するほどだが、文芸部部長、玉木慎太郎に対しては異なる反応を見せた。

「ホントか? いやあ、やっぱ小鞠ちゃんは見る目があるなあ」

 部長は笑顔で小鞠の頭をぐりぐり撫でる。

「ふぁっ!」

 月之木先輩が部長の手をパチンと払う。

「こら、あんた。完全に#MeToo案件よ。小鞠ちゃん、嫌なら私からちゃんと言ってあげるから」

「わっ、私っ!」

 小鞠は自分の大声に驚いたように顔を伏せ、

「あたまっ、い、嫌ってわけじゃ、ない、です……」

 顔を真っ赤にしてそう呟いた。

 

「か、か、可愛いって。部長、言った、言って、くれた。……えへへ」

 ニヤニヤしながら小鞠が独りごちている。喜んでいるところ悪いが、むしろ当て馬にされてたぞ。

 しかし、傍からみると、玉木は同学年の月之木と親密な間柄のようである。

「おー、今日は随分賑やかだな」

 長身の男子が部室に入ってくる。多分、部長の玉木先輩だろう。ともあれ正直、助かった。

「慎太郎、部長が幽霊でどうするのさ」

 月之木先輩は作ったしかめ面で睨みつけるが、緩む口元が隠し切れない。

「悪い悪い、最近受験勉強で忙しくてさ」

 部長は先輩の肩に気安く手を置く。

 

「部長と副部長さんだっけ。あの二人、付き合ってるのかな」

「さあ。でも、それっぽい雰囲気だったけど」

 耳ざとく聞きつけた小鞠がスマホを俺たちに突き付けてくる。

『あの二人は幼馴染で仲良いだけ! 付き合ったりしていない!』

 ことあるごとに描写される月之木と玉木のやりとりに、挟まる余地はないように思われるが、小鞠も傍観しているだけではない。

 部長は人好きのする笑顔を浮かべて俺たちの方に来たが、勢い良く立ち上がった小鞠が意を決したように間に入る。

「あっ、あ、あの部長、こっ、こないだ借りた本、面白かったです!」

「もう読んだの? 嬉しいな。古都の奴、SF馬鹿にして読んでくれないからなあ」 

 言ってチラリと月之木先輩に目をやる部長。先輩は受けて立つとばかりに見つめ返す。

「馬鹿にしてるわけじゃないわ。慎太郎こそ、春樹とか嫌ってるじゃない」

「お前、ハルキストだったっけ?」

「そういうわけじゃないけどさ。こないだ貸した宇佐美りんも読んでないでしょ」「読んだ読んだ。推し、マジ燃えてたって」

 んー、なんだこれ。やっぱ出来てないか、この二人。

 呆れながら二人を眺めていると、小鞠が怖いもの知らずにも二人の会話に割り込む。

「あ、あのっ! 私、イーガン、好き、です! 中身、よ、良く分かんないけどっ」

「ホントか? いやあ、やっぱ小鞠ちゃんは見る目があるなあ」*12

 引用が続いてしまっているが、本編の記述を共有しておきたいので、もうすこし小鞠の恋の顛末を追っておきたい。小鞠が上記2名と決定的に異なるのは、告白によって自身の負けがもたらされた点である。そのきっかけは、作品の執筆を活動に掲げておきながら実際にはしていないと生徒会に指摘されたことを受けて、「缶詰*13」をすべく企画された合宿だった。

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図2 幕間代わりの豊橋鉄道渥美線。本作は愛知県豊橋市を舞台としており、合宿は田原青年の家で行われた。写真は合宿の際、集合場所となった愛知大学前駅にて筆者撮影(2018年9月23日)

 缶詰といいつつも、海水浴やバーベキューを楽しむ一行。小鞠の告白は、食事が一区切りついたあとで行われた花火がきっかけとなって、唐突に起きた。

 視界が戻ると、そこには花火を手に摑んだ部長の姿。顔をしかめながら、握りつぶした花火を放り投げる。

「小鞠ちゃん、怪我はないか!」

「だ、大丈──」

「痛いとこは?」

 部長は小鞠の手を調べると、最後にグイと顔を摑んで瞳を覗き込む。

「目は見えるな? 痛いとこないな?」

「は、はい。……な、なにも、ない、です」

「良かった……。顔に傷でも付いたらどうすんだ」

 (中略)

「たっ、玉木部長っ!」

 裏返った大声が夜空に響く。

 小鞠が大きく息を吸う音が俺にまで聞こえた。次の瞬間。

「す、好き、です!」

 突然の告白に時が止まった。

 作品途中で入部した八奈見と焼塩も含めた、文芸部の全部員が目撃した告白の返事は、すぐにもたらせれなかった。玉木が「少し考えさせてくれ」と言ったのだ。そんな様子に、月之木はいらだちを露わにする。

「……慎太郎。どういうこと」

「古都。どうって……いくらなんでもいきなりだったし」

 (中略)

「……だからさ。考えさせてとか、下手に気を持たせるようなこと言ったら可哀そうでしょ」

 手際よくハンカチを手に巻く月之木先輩。

「おい、古都」

「はっきり断ってあげるのが優しさでしょ!」

 手を握り、部長の目を下から睨み付ける。

「ちょっと待て、古都」

「何で! 何で断らないのよっ!」

 月之木先輩の訴えに部長は気まずそうに目を外す。

 月之木の言葉は語るに落ちるだが、玉木の煮え切らない態度にも理由がある。実は、玉木は「去年のクリスマス」に月之木へ告白して振られていたのだ。ただし、その内容は想像される告白とは程遠いものだった。

「確か……。グチグチと私をディスったあげく。行き遅れたら俺がもらってやるから心配すんな、とかなんとか」

 もしかして部長の言ってた告白ってそれなのか。思ってた以上にひどいぞ。

「で、何て答えたんですか」

「おととい来やがれ、とかなんとか答えた気が」

 先輩はいまいち会話の流れを摑めないのか、怪訝そうに俺を見る。

「温水君、それがなんなの?」

「あー、そうなりますよね。そんな告白はちょっとないですね」

 玉木部長、見た目に反してそんな感じか。お勧めのラブコメでも貸してあげようかな。

「……告白?」

 月之木先輩が低い声でつぶやいた。

「はっ!? あれが? あれが告白のつもりっ?!」

 かくのごとき思い違いを経て、玉木と月之木は互いの誤解を解き、幼馴染から恋人となった。この際、玉木は小鞠を振り、彼女は明確に負けたのだった。

「部長が考えて、くれた。私と、つ、付き合うこと真剣に考えて、くれた」

 小鞠は泣きそうな顔でニマリと笑う。

「えへへ……ちょっとの間だけ、月之木先輩に、勝った」

 小さな背中が震える。萎んだ火の玉がチリリと音を立てて落ちる。

 小鞠は落ちた先をじっと見つめたまま、かすれた声で呟いた。

「泣く、から……ど、どこか行って」

 消えた花火のこよりを持ったまま。消えそうな声で。

「お願い……」

 実際の時間でいうと、小鞠が告白して振られるまで2時間もないだろう。1時間さえ経っているか定かでない。この間、引用部で確認しているが温水は玉木と月之木の双方から、2人の仲が他者の想定するようにはなっていない経緯が明らかとなっている。そして、これらの流れをふまえて玉木と月之木が恋仲となったのは、すでに述べた。

 かかる展開により、温水がさらに負けヒロインの成立へと積極的に関わっていることが分かる。男子便所で玉木からこれまでの彼と月之木との関係を聞いたあと、八奈見にけしかけられて宿泊先から飛びだした月之木を追いかけ、玉木の話を伝える形で彼女の錯誤を訂正しようとしなければ、文芸部部長と副部長はすれちがったままだったかもしれない。それは小鞠も自覚しているように、彼女が勝った世界を想起させ、持続させうる事態である。

 合宿そのものは温水が提案したものではなく、むしろ月之木が先導しており、負ける場の創発という点において、小鞠のケースにおける温水の存在感は、焼塩の時よりも小さいといっても過言ではない。そして、小鞠の告白はまったく予期せぬ事態だった。こうした出来事の偶発性の点においても、告白という事象自体に想像が及ばなかったという意味で、部室に訪れた焼塩と比べて、温水の想定から外れる出来事だったと思われる。

 しかし、温水が玉木と月之木の双方から、小鞠の告白を受けて2人の間柄について話を聞いたこと、ひいては話を聞ける立場にいたことは、小鞠が負けヒロインとなるにあたって重要な条件であった。温水が同じ場で負けるのを「蚊帳の外」から観測した焼塩の事例とは異なり、温水が当事者たちの関係のなかにおいて成員へ働きかけた結果、小鞠の負けは成立したのだ。

 

3.勝負の要件――観察者としての主人公・温水

 作品内容の追跡がずいぶん長くなったが、ともかく3人の負けヒロインがいかにして負けたのかを把握することができた。これらの記述をふまえて、冒頭で提示した「負けヒロインとはいかなる存在でありうるのか」という問いへ答えよう。ただし、すでに併記しているが、本稿においてより重要なのは、答える際に必要な条件の考察であると、先に述べておく。

 まず、前者の問いへの答えは、ある人物と、当人物への恋愛感情を抱く複数人とによる関係において、特定のキャラクターが自らの望む関係、すなわち恋愛感情を抱く相手との相互思慕が成立しなかったと客観的に判断できる場合に、かかる判断を下す第3者が、そのキャラクターを規定する際に用いる範疇、と定められる。

 この答えは、拙稿*14の内容(「負けヒロインはカテゴリではない」)や本稿の冒頭で確認した事柄といっけん矛盾するようだが、それは皮相的な判断である。負けヒロイン*15という範疇の内包がすでに定められて、その範疇の外延としてキャラクター名を列挙する作業が恣意的なのだ。そのなかで提示した「ポップカルチャー作品を構成する様々な要素=カテゴリを起点ではなく終点に置きなおす作業」こそ、本稿で行った営為といえる。カテゴリが恣意的だからといって、そのようなものはまったく存在しないという視座は、それこそ自らの主張に偏重しすぎている。

 とはいえ、単に作品=事例を変えて内容を淡々と読みこみ、整理するだけでは同工異曲だろう。『負けヒロインが多すぎる!』を分析することで、いかなる知見が得られたのかを考えた時、答えとして挙げられるのが、さきほど下線部で強調した「客観的に判断できる」というポイントである。

 われわれが任意のキャラクターを負けヒロインと認識する際、その判断は誰が下しているのだろうか。いうまでもなく、作品の受け手となるわれわれ自身だ。いっぽうで、同一のキャラクターに対して負けヒロインではないと認識する集団がいるとする*16。この時、両者のあいだで争われるのは、任意のキャラクターが負けヒロインか否かだけではない。というより、もともと「負けヒロイン」という用語の定義が異なるから、そのような事態が発生するというべきだ。もしくは、そもそも負けヒロインというカテゴリそのものが不適とみなしている場合も想定できる。

 整理しなおすと、「Aは負けヒロインではない」という主張が提起される場合、2つの理由が考えられる。①上の主張をする者にとっての「負けヒロイン」の定義に、Aが該当しない、または②主張する者にとって「負けヒロイン」というカテゴリは存在しない。以上だ。より具体的な理由はまだ考えられるが、どれも①、②のいずれかの具体例とみなせる。主張する者がAを選好しており、自身の好きなキャラクターが「負けヒロイン」と称されるのに納得いかない。「負けヒロイン」というカテゴリをなにかしらの理由で好ましくないと感じ、キャラクターの認知においてそのような言葉を使いたくない。「は? そもそも負けていませんが?」。云々。

 本稿で掲げた定義は、賛否両派の応酬で生じる不毛な論争と袂を分けられる点において、有効である。属性や主観的判断に依拠せず、作品内容に従って定められるカテゴリ。そして、どんなにもっともらしくとも、当定義による判断から個々人の主観が排除されていない事実も含意している。「任意のキャラクターが恋愛関係において負けている」ことと、「任意のキャラクターが負けヒロインである」ことは、別の相の事象なのだ。当作でもっとも分かりやすいのは、焼塩の例だろう。

 なぜこんな面倒な話をしているのか。それはわれわれ受け手が負けヒロインを判断する以上、物質の理化学的定義のように、特定の事物の在りようとそれに対する定義が即自的に一致する望みは、限りなく低いためである。作品世界で把握できる事実――任意のキャラクターが恋愛関係において負けている――のみで導ける以上の帰結――任意のキャラクターは負けヒロインである――に辿りつこうとするのだから、当然といえば当然だ。前者のコンセンサスを得るのも難しいなかで、後者の議論で共通見解を得ようとするだけ、無駄かもしれない。

 当作はほかでもない主人公の温水が、八奈見や焼塩を「負けヒロイン」という言葉で指示している。この点が、上掲の類の問題において非常に示唆深い。

……八奈見杏菜。そう、こいつこそ『負けヒロイン』だ。

 

「へえ、温水君。割と気が利くね」

「別に普通だろ。ほら、負けヒロインには優しくしないと───」

「───マケ?」

 ……ん? なんか俺、油断してヤバいこと口走らなかったか。

 

 キャンプ場の洗い場で、焼塩は泡だらけのスポンジを握りしめながら乙女チックに星を見上げる。

「星空の下、身を挺して助けてくれた最愛の人に告白! エモいねー! これからは女の子も攻めの時代──」

 言い終えるなり、一気に上がったテンションが急降下。スポンジが皿の上にポトリと落ちる。

「……そうよね。待つだけじゃダメなのよね。ホント、思い知ったな……」

 何故こいつら負けヒロインは自分で自分の傷口を開くのだ。俺はやりきれない気持ちでゴミ袋の口を縛る。

 温水による作中での「負けヒロイン」というタームの使用は、ふたつの点で有意味といえる。一点目は作中のキャラクターがすでに特定のキャラクターを負けヒロインと指示していることで、分析を円滑に進められる(という割にまったく円滑ではなかったが)。二点目は負けヒロインと指示するために、ヒロインが負けたという結果を得なければならないことが明らかとなっている点だ。

 後者の結果を得る過程で、八奈見、焼塩、小鞠の順で意図せず温水が各人の敗北へとより深く関わるようになっていった様子は、すでに確認したとおりである。まったく環境を調整せず、偶発的に立ちあった八奈見の敗北。好意を寄せる相手と共に同じ場へ招きいれたことが契機となり、唐突にもたらされた焼塩の敗北。同じ部活の部員である三者のなかで、他の二者とのやりとりにより、間接的にもたらす形となった小鞠の敗北。単に温水が各ヒロインと交流するだけでは、特に焼塩や小鞠の負けは作中の形で起こらず、よって当作のような物語も生まれなかっただろう。いっぽう、焼塩が思いを寄せた綾野は朝雲と交際を開始したし、月之木と玉木は好意を打ちあけられなかっただけで、ずっと以前から相思相愛だった。

 彼女たちが負けヒロインとなるには、判断を下すに値する出来事が要件なのである。当作の場合、温水の行動がその誘因となっており、温水本人が根拠となる出来事をもって彼女たちを負けヒロインとみなしているので、かかる条件が明確になっていた。単に負けたという事実だけでなく、負けた事実を判断できること。それがもうひとつの答えといえる。

 

4.結語、あるいは観察者になるということ

 あらためて、本稿における問いと答えをまとめておこう。

 「負けヒロインとはいかなる存在でありうるのか」という問いに対しては、「ある人物と、当人物への恋愛感情を抱く複数人とによる関係において、特定のキャラクターが自らの望む関係、すなわち恋愛感情を抱く相手との相互思慕が成立しなかったと客観的に判断できる場合に、かかる判断を下す第3者が、そのキャラクターを規定する際に用いる範疇」と答えられる。

 次に「『負けヒロインとはいかなる存在でありうるのか』という問いに答えるために、いかなる条件が必要なのか」という問いに対しては、「単に負けたという事実だけでなく、負けた事実を判断できる出来事が描写されていること」と答えられる。

 くどくどしい文章を読まされて、こんな結論で落胆されただろうか。そんなのあたりまえだ! さっさといえ! ……実際に論じられている負けヒロインに関する言表へ目を移すと、どう負けているのかを論じることなく、美的判断の濫用と主観の密輸入による批評が多数を占める。各々の関心に基づき、彼女たちの素晴らしさを説くことを否定するつもりは毛頭ない。だが、プレゼンとしての主張から一歩踏みこんで、「素晴らしさ」はなぜ、どのように構築されたのかを考えないことには、自身が負けヒロインに対して抱く関心の根源も分からないまま、閉じた主張を繰りかえすだけになってしまう。

 「萌え」の一言に尽きる感想であっても、本稿のように1万字を超える分析であっても変わらない事実がひとつある。それはどちらも、作品および作品内部のキャラクターの観察者であるということだ。どれだけリピートしても、思慮を巡らせても、本編の内容は変わらない。作品で描写された事実だけが、われわれの知りえる世界である。

 とはいえ、われわれはキャラクターが各々1人称として生きている世界を俯瞰できる*17。作品世界という状況を、あたかもひとつづきの実験のごとく眺められるため、本稿のような分析も行える。

 ただ、やはり、作者でないかぎり、人々は作品そのものを手中に収めることはできず、各キャラクターへ付与する属性や評価も、解釈にすぎない。どのキャラクターとも異なる、第3者の視点で起きた出来事を観察できるだけ。記号は非-物語として作品を超越しているのではなく、各作品を受け手が観察した結果、得られた共通項を手引きとした際の成果物である。その内実を語れば語るほど、話者の個別具体的な作品への依存度は高まっていく。観察者であった自己を、無意識のうちに体現するようになる。

 こうして生みだされた語りや分析が、作品制作に活かされることは注7で指摘した。この生産と消費の再帰的な営みは、必ず生産物に後続するはずの消費活動が前者を凌駕するような錯覚へとつながった。作品の分析が他の作品へと活用されることに慣れた結果、受け手は観察の範囲を見失ってしまったように思われる。青髪のキービジュアル、キャラクター紹介での「幼馴染」の3文字を認めるや否や、「負けヒロインだ!」と反応することの奇妙さに、もっと敏感になってもよい。引用したように、この作品でも「萌え要素」といえるティピカルな描写は少なくない。重要なのは、そのような描写を前後の連関や個々のキャラクターという行為の総体から取りだして、要素としてみなさないことだ。仮にそれが定式化した記号としてみなすことが妥当でも、かかる描写がされたキャラクターの言動を追っていけば、単なるカテゴリではない、様態としての負けヒロインが浮かびあがってくるだろう。

 あまりにも自明すぎて忘れてしまう事実、すなわちわれわれは物語の観察者であることを、『負けヒロインが多すぎる!』は再認識させてくれる。温水が各ヒロインへ抱いた所感、彼女たちとの関わりで起きた出来事こそが、受け手がキャラクターへ抱く美的判断であり、範疇の画定を行うにあたっての要件なのだ。この感覚を保つためには、特定のキャラクターが他のキャラクターといかなる関わりを持ち、結果としてわれわれは観察の対象とした特定のキャラクターにどのような判断を下すのかを、一歩引いてまなざす必要に迫られる。

 温水は作品内部にいながら、物語の観察者としての受け手の立場に近しい態度を取っていた*18。くわえて、作品内のキャラクターという立場により、自らの行為によって特定のキャラクターに起きた変化を間近で見て、その結果に判断――この場合は「彼女(たち)は負けヒロインだ」――を下している。われわれが立ちいれない領域にまで入りこみ、ヒロインたちの勝敗に関わることをもって、温水の存在は単なる登場人物に留まらない存在であるといえよう。

 特定のヒロインが負けヒロインかどうかを確かめるには、先へ先へと物語を開いていくほかない。仮に確定する以前の描写の端々から察することができたとしても、それは単なる予見に留める必要がある。すべての読解、つまり一連の実験ともいえる関係構築の過程が終わって、カテゴリについての思案が始まっていく。

 

謝辞

 本稿について有益なコメントをくださったぽわとりぃぬ、LEDs両氏に感謝します。

 

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*1:小学館ライトノベル大賞』にて確認。ガガガ賞は銀の色文字で表記されている。2021年8月9日参照 https://gagagabunko.jp/grandprix/index.html

*2:小学館ライトノベル大賞では第3回以降、毎回1名の小説家、漫画家をはじめとするクリエイターがゲスト審査員として選ばれている

*3:小説家。代表作は『幼女戦記

*4:『第15回小学館ライトノベル大賞終結果発表!!』より。2021年8月9日参照 https://gagagabunko.jp/grandprix/entry15_FinalResult.html

*5:当作は章と章とのあいだに挟まる、2ページ分のいくつかの挿話以外は基本的に時間の進行どおり物語が展開するため、物語言説をそのまま読んでいけばよい

*6:換言すると、負けヒロインは記号と称されるような、事例に依拠せずに定義され、観察者が決められるカテゴリではない。筆者は以前、キャラクターの属性が機械的に策定される現象の難点に触れた。以下の記事を参照

sho-gaku.hatenablog.jp

*7:この視座に立った場合、結末にたどりつく前にキャラクターを「負けヒロイン」とみなすのは矛盾ではないかという指摘が想定される。しかし、タイトルの案出やキャラクターへの言及は、かかる営みを終えたあとでなされる行為であり、言明への真偽は示されている。このフィードバック的な確認は、負けヒロインという性質から演繹的な物語構築を可能とする。たとえば、当作は投稿時のタイトルが『俺はひょっとして、最終話で負けヒロインの横にいるポッと出のモブキャラなのだろうか』であり、出版社による販売時の戦略を抜きにしても、もともと「負けヒロイン」という言葉で指示される性質のキャラクターを前面に押しだした作品と、作者本人も意図していることが把握できる。この背景は「今作で負けヒロインことマケインの魅力を少しでもお伝えできればと願っています」というあとがきの記述からも明らかであろう

*8:本節の「」にくくられた文章は、本編からの引用である。分析に用いた電子書籍には紙本のページ数が記載されておらず、やむなく引用した旨を明示するのみとなった。なんとかしてくれ楽天Kobo

*9:読んでいただいて分かるとおり、「振られる」ではない

*10:より厳密に形容すれば「関係」

*11:温水が負ける瞬間を観測しようと計画して、焼塩と綾野を同じ部室へ居合わせたわけではない旨は、強調しておいたほうがよいだろう。ここでいう「観測」とは、通過時刻とルートが分かっている衛星を待つのとは異なり、現れるか分からない虹色現象を待つのに近い。虹色現象が必ず発生するかどうかは分からないが、発生しうる条件は知られている。同様に、焼塩と綾野を同じ場に置くと、焼塩の敗北が必ず発生するかは分からないが、「彼女ってひょっとして朝雲さん?」と確認しているように、温水にとっては焼塩が綾野、朝雲を含むトライアドな関係を無意識に構築し、そのなかで負ける結果はある程度予想できた。温水は能動的に焼塩が負ける場面を見てやろうと画策したわけではないが、負けが発生する背景(≒条件)はある程度知っていたのである。これは温水が2人の距離が縮まるようにと部室に誘ったという経緯の裏返しといえる

*12:本節で最初に引用した箇所へとつながる

*13:出版社の締切に間に合わせるため、編集等の監視下に置かれた状態で部屋にこもり執筆を行うこと。自主的な場合も含む

*14:sho-gaku.hatenablog.jp

*15:具体例として挙げているのであって、他のあらゆる記号(いわゆる「萌え要素」)も議論の対象となりえる

*16:あくまで仮定に留まるが、あらゆるカテゴリにおいて誰もがその範疇に賛同することは、誰かひとりが賛同しないよりも蓋然性の低い事象といってよいだろう。逆も然りである

*17:叙述トリックなど情報が限定されている場合もあるので、必ずすべてを知りえると断言はできない。しかし、どのような形式・ジャンル・媒体であっても、世界の総体としての作品を享受できる受け手は、作品内の登場人物と比較して特権的な立場にいる

*18:ライトノベルを読むという趣味も、かかる類似性をいっそう強めている