小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

人と会わなければ会話が弾む

 正確な割合は不明だし、関心としては二の次なのでわざわざ調べないけれど、感染対策としてオンライン講義を設けている大学は少なくないだろう。また、大学におけるオンラインの利用には劣るかもしれないが、テレワークが推奨されている企業も一定数ある。そんなことは飽きもせず全国の感染者数が読みあげられる日々に慣れたみなさんからすれば、不必要な情報共有にちがいない。

 ところで技術的には可能だった授業や会議、業務でのオンライン活用は、その革新性のわりには評判がよくない。特に大学でのウケは悪い。たとえばこんな言われようされとる。

  6月上旬には、対面授業を実施していない大学側を相手どった訴訟も起きている*1。訴訟とまではいかなくとも、オンライン講義による不満は幾度となく報道のネタになっている*2。なかには満足度以前の技術的な問題を指摘している報道もある*3。これは接続環境や教師の不慣れに対する指摘で、是非を論じる対象でさえない。がんばってとは思っているよ。こういうところでリモートにケチがつくのもったいないからね。

 世の中にはリモートへ移行できないものがたくさんある。実験、営業、接客、できるかと思ってやってみたら盛りあがりに欠けた飲み会。技術を部分的に用いる試みはあっても、場を共有しないと支障が生じたり、煩わしくてしかたなかったりするケースは枚挙に暇がない。というか、複数人で行うことの大半はそうだ。

 同じ場所にいる重要性ほど、それこそ共有する必要が薄くなった情報も珍しい。新聞記者や大学教員がいくらでも言及している。同感している人多いだろうけど、賛成できるって幸せもんですよ。だって場を共有する過程で排除される人たくさんいるし。

 

 え、排除しているつもりなんてありませんよ。むしろ教室や居酒屋から排除されているのは私たちですよ……。ここで考えてほしいのは、仮にひとつの場所で集まる際、いわゆる対面で会う時に、その場にいない――もっと身も蓋もない言いかたをすると、いないことにしたい――人たちのことだ。

 たとえば障碍者。ケースバイケースだろうが自立的な移動が困難だったり、長時間の拘束*4が難しかったりする場合、それだけで場への参入の障壁とされてきた。以前より障碍者の雇用*5は推奨されていたが、コロナウィルスの感染拡大によってテレワークを活用した働きかたが進む一環で、自宅での就労の可能性が広がっている*6*7。定型発達者が障碍者と同じ制約を被った結果、後者の雇用が促進される動きがみられるようになったことは、既存のオフィスが透明な壁に覆われていた事実を仄めかしている。

 医師の診断を必要とせずとも、場から排除される要素はまだまだたくさんある。産業医や保健センターのカウンセラーは、会議室や講義室を回って「あなたはペケ(手でバッテン)なので」といちいち判断を下さない。場から誰を排除するか決定するのは、あくまで場を構成する人間である。

 単純な話です。どうやっても精神が逃れられない、肉体や肉体に付随する情報へ下される評価。なんとなく気持ち悪いからイヤ。生理的に無理。学校であれ職場であれ、バラされたパーツごとに美的判断がされていく。その結果、「足切り」が決まっていくというわけだ。ネガティブな話を聞く気になれないなら、耳触りのよい事例を挙げよう。低くていい声だったので経歴すべて嘘だったけど報道番組のコメンテーターできました、胸がでかかったのでYouTubeの再生回数バカみたいに伸びました。わざわざ有名な例ではない「いや誰?」みたいな話でよければ、人生を思いだすと心当たり、あるんじゃないですか。私がそういう人でしたぁ~だったらなおよしだね。

 別になんでもかんでも容姿で決めるなというつもりは、毛頭ない。外見が上位になる価値体系を否定したいわけじゃない。ただ、本来ならば身だしなみだの顔の良さだのに左右されなくてもよかったことまで、ルックスによる選好が先行してしまう*8のは、もったいないというよりは問題視されてしかるべきだ。考えられる反論としては、いくら綺麗事並べても結局はみんな、ファーストインプレッションで決めますが? とかかな。いや、それ世間が勝手に言ってるだけですよ。

 人と人が出会い、五感をはたらかせる意思疎通ではさまざまなモノがエージェンシーを持ち、言葉よりも雄弁にシグナリングをしてみせる。剃り残し、ニキビ跡、毛髪の量や色、眉毛、鼻の高さ、化粧ノリ、ネイルのセンス、オーデコロンやオーデトワレの匂い、腹が出ているとか出ていないとか。他にも山ほどある。服装、身に着けている時計、バッグのブランド、メガネ……もう面倒なので省略するけど、とにかく言葉なんてダイソーに売ってる1本のペン程度の存在感しかなくなるほどの情報を、私たちはやりとりしている。対面であれば。

 翻ってオンラインでの会話を思いだしてみる。画質は基本、みんなそんなによくない*9。顔は分かるけど、視覚と聴覚以外で情報を得ることはできない。身長さえはっきりとしない。この仮設的な「場」でのファーストインプレッションなんて、話す内容で与えるほかない。カメラをオンにするとどうしても「ノイズ」が含まれるが、大方の人の接続環境やセッティングは、それを統制するはたらきを意図せず行う。

 こうした空間で充たされない何かがあるとすれば、それは会話以外に他ならない。話すことが難しければ、チャットで構わない。とにかく、書き/話し言葉によるコミュニケーションが足りていないのだ。逆に言うと、話す内容に満足していれば声だけでよいはずだ。通話をしたことがある人なら、誰でも納得するにちがいない。

 言葉による、もっと言うと言葉だけによる場を築くことにもっと注力してもよい。今回は物理的な場へ加わる際の身体的条件を中心に触れたが、やりとりにおける権力性へも目を向けるとより一層、対面の場が孕む危険性が分かる。教員や上司の一挙手一投足、たとえば逸らしたい意見への冗談、笑い声、もしくは感情的行為への、他の成員の安易な同意――従っておくと、とりあえず丸く収まり、場において権力を有する者への簡易的忠誠を示すことができる――といった魔術的なシークエンスは、オンラインだといくぶんか統制される。発話者以外がマイクをミュートにしないと、収拾がつかないからだ。

 ここで、過度な言語によるコミュケーション賞賛を窘めなければならない*10。具体的には3点の指摘が考えられる。まず、オンラインでやろうが対面でやろうが変わらない状況も少なくない、ということだ。大人数で行われる座学や講演を想定してもらえばよい。大講義室なんかで眠気と戦いながらナンタラ概論を受けていた時、「これ、教科書読めばいいじゃん」という感想がよぎった方もいると思う。対面の時点で会話が発生していないということは、裏を返せば積極的なコミュケーションに付帯する、本稿で挙げた障壁もまた然りといえる。

 2点目は、むしろオンラインにすることで発言しにくくなるのではないか、という点*11。これはノンバーバルな会話様式がかえって功を奏する側面でもある。コメントを腹に抱えているんだけど、自分からは言いだせない……誰しも直面した経験があるだろう場面を救ってくれたのは、ほかでもないあなた自身の所作だった。しかし、こういう「いいはなし」が発生するには、場で一定の権力を有する者が目敏く発言したそうなメンバーを見つけ、発話権を与えるやさしさを持っていることが前提条件となる。しかも、そういう人が多そうな場でなければ、わざわざ振ってくれないだろう。自発的に発話する人がいるならば、そんな配慮する必要ないからだ。つまり、そういう行為が起きる場は、例示した人間を排除する条件が、もとよりあまり発生していないからだ。理由は様々だと思う。排除したらみんないなくなっちゃうようなメンバー構成とかね。

 3点目は、ごもっともなんだけど、何をほざこうが人は言葉以外の要素をたくさん使って会話しているということ。これは拙稿への反論といえる。それを踏まえて今回の主張の趣旨を説明しておくと、「人と会わないことで会話が弾んだ」という事実からタイトルの言明が浮かんだ、というわけではない。つまり、帰納的ではなく、演繹的な推論なのです。冒頭で言えよって話だね。もうちょっと素直になると、拙稿はそうあってほしいという希望である。批判する前に、発言内容とは無関係なファクターで人を排除したことがないか、と胸に手を当てて考えてみるきっかけにしてほしいのだ。

 言葉だけのやりとりは冷たいようで温かい。言葉のうえで理解し、相手へと適切に返答できればそれでよい。逆に、身体を伴うやりとりは温かいようで冷たい。そもそもやりとりに参加できるかどうかの決定権が、究極的には参加する当の本人から奪われている。最後に予防線めいた一定の譲歩を付けくわえると、対面でのコミュニケーションが可能ならば、できるに越したことはない。ただしそれは、あくまで会話内容を第一に優先する不文律を共有していればの話。まあ私は無理だと決めつけているし、だからこそ画面越しで集う「場」のメリットに、もっと気付くべきだと思っていますけどね。

*1:

www.asahi.com

*2:

mainichi.jp

*3:

japan.cnet.com

*4:ここでの「拘束」とは自宅以外で長時間にわたり飲食や休息、生理現象の実行が制限されるという意味

*5:厚生労働省の雇用対策や国の法令では「障害者」表記であることを注記しておく

*6:

news.tv-asahi.co.jp

*7:

mainichi.jp

*8:わざとじゃないです

*9:照明とかカメラにこだわっている人がいたら、それは素晴らしい努力だと思う

*10:この点については、LEDs,ぽわとりぃぬ両氏のコメントによるところが大きい。無礼ながら文末脚注で謝意を申しあげる

*11:この点は特にLEDs氏の指摘を反映している