小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

植野直花から学ぶ負けヒロインの生き様(下)

5.おわりに

 以上、長くなったが植野の視点から物語を俯瞰した。ようやく前節で掲げた問い、すなわちヒロイン=植野は何に負けたのかについて答えが出せる。

  彼女は小学校時代の石田を中心とした島田や広瀬のいる人間関係をふたたび組み立てたうえで、自身と石田もその内で友好を取りもどせると考えた。植野が何度も言っているように当集団で硝子は阻害要因であり、彼女を排除することは至上命令だった。いうまでもなくこの関係性は作品世界においての現在である高校3年次の石田たちからみると過去であり、そもそも主要キャラクターの大半にとっては縁のないものだった。同じ小学校出身である川井や佐原も、島田と広瀬とは本編でまったく会話等の接触がなく、現行の石田が構築する関係とはそぐわない。事実、石田も島田たちとは積極的に関わろうとはせず、島田たちも石田をわざわざ助けておきながら「俺らいた事は秘密な!」*1(6巻 p.140)といって、関与したことを知られたくない様子を見せる。

 対して、石田が本編で築いたのは硝子を中心とする自らが小学校で壊してしまったありえたかもしれない友好的な関係である。成員は植野に「昔のあんたならぜってーつるまねーような奴」(3巻 p.130)と嘲われるような者も含んでおり、ほかでもない硝子がいる時点で植野が構想していた先の関係とは正反対だ。このなかに植野がいるのは島田と石田の和解を目論んだり、短大入学の際に有利となる賞へ出す作品を作るためだったり(5巻 p.90)、既述のとおり川井に誘われたりしていたからであり、硝子の影はない*2。しかし、映画製作をとおして成員は2年後の成人式でも写真を撮るような仲になった。結果的に完成したのは石田の求めた、硝子が一員にいる関係であり、植野が望む関係は作中では生まれなかった。

  つまるところ植野は関係の構築に失敗した(=負けた)のである。築かれた新たな集団で石田と肩を並べているものの、彼とは恋仲ではなく、植野は知人友人のひとりに過ぎない。では硝子は「勝ちヒロイン」になったのかというと、断言は難しい。告白しようとして失敗しているように(3巻 pp.177-184)、硝子も石田に好意を抱いていて、石田の硝子への気持ちも好ましいものではある。ただ、2者は交際していると作中で明言されておらず、親密度の被説明変数となる関係は読者の推測に依存する。これは植野が負けヒロインであることの反証にならず、むしろ複数の慕情を寄せられた者と唯一の恋愛関係を結ぶ登場人物の出現が負けヒロイン存立の必要条件ではないことを示す。

 負けヒロインを負けヒロインたらしめるのは要素へ分解可能な外見的特徴や言種ではなく、彼女が特定のキャラクターとの恋愛関係を中心とする複数の成員間における関係性構築を試みて、その企図に失敗することだといえる。『聲の形』では植野の想定する成員がおおきく異なっているため、その有様がより明白となっているのである。

  本稿では漫画『聲の形』を対象として、負けヒロインの成立過程を彼女からみた登場人物間の関係性を中心に考察した。属性を用いた帰納推論は後件肯定をはじめとする誤謬や恣意的な論議を招く恐れがあり、そうした不確かな考察を許容してしまう受け手を巻き込む共同体へも疑念をもって対峙する必要があるだろう。今回は「テクストそのものの内実と、そこで語られる物語を語ることに立ち返る」(大橋 2017:308)というゼロ年代批評を乗り越えた先にある課題について、負けヒロインに引きつけて取り組んだつもりだ。

 負けヒロインはキャラクターの一属性としてみなされるだろうし、それについては否定しない。しかし提示したように負けヒロインについて分析するにはキャラ単体へ言及するだけでは不十分で、恋慕の対象である登場人物との関係性の継起や、それに伴う他の人物との関係の変化にも目を配るべきだろう。この点は知覚される特徴以外のあらゆる属性においても該当する指摘かと思われる。

 関係を重視した分析を進めればおのずとキャラクターへの還元から逃れて、物語に焦点を立ち戻らせることが可能となる。こうした記述を経たあとで、負けヒロインは単なるカテゴリではなく登場人物の生き様として立ち現れてくるのだ。

 

kc.kodansha.co.jp

 

参考文献

Adam, Jean-Michel., 1984→1999, Le rēcit, Paris, Presses Universitaires de France(末松壽・佐藤正午訳, 2004, 『物語論――プロップからエーコまで』白水社).

東浩紀, 2001, 『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社

Barthes, Roland., 1971, Introduction a l'analyse structurale des recits, Paris, Editions Seuil(花輪光訳, 1979, 『物語の構造分析』みすず書房).

大橋崇行, 2017, 「ジャンルの変容と「コージー・ミステリ」の位置 ライト文芸から見た現代の小説と批評」西田谷洋編, 『文学研究から現代日本の批評を考える』ひつじ書房, 290-310.

しんかい37(山川賢一), 2014, 「東浩紀動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか――データベース消費編」, note(2021年1月6日取得,

https://note.com/shinkai35/n/n01e8e2ccebaa)

sora, 2014, 「第54話、硝子の手話を解読する(未完成版)」なぞ解き・聲の形ホームページ(2021年1月9日取得, http://koenokatachi.seesaa.net/article/406100616.html)

千田洋幸, 2017, 「ゼロ年代批評とは何だったのか 一九九五年と二〇一一年の「あいだ」で」西田谷洋編, 『文学研究から現代日本の批評を考える』ひつじ書房, 310-330.

 

大今良時, 2013-2014, 『聲の形(1)-(7)』講談社

本稿執筆時は電子書籍版を参照した。電子書籍版は全巻2014年発行。引用ページ数は紙本に準拠。


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*1:広瀬が植野に送ったメッセージ

*2:ただし映画の作成は硝子との親交を目的としておらず、メンバーは彼女を入れるつもりも当初なかった。自身は助監督(5巻 p.13)でありながらほぼ参加していないにもかかわらず、石田が加えるようかけあったことで硝子は参加している(5巻 pp.13-21)