小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

おじろく・おばさについての論文紹介

 11月22日の文フリ東京のブースにいらしてくださった方、本当にありがとうございました。私、つおおつも文フリで1万円弱冊子を買ったのですが、最近何かと忙しくほとんど読めていない状況で、恥ずかしい有様です*1

 

 忙しかったのにも訳がありまして、11月18日に会社を設立、それまで個人でやっていたいくつかの小さな事業を法人に移しました。また10月は売上が明らかに減ってしまったため設立後すぐ新型コロナウイルス融資を日本政策金融公庫に申請、12月8日に担当者の方と面談をし、なんと翌日に可決を頂け、昨日14日に借用書にハンコを押して郵送した次第です。財政自体はそこまで危機的ではないのですが、法人化に伴う圧倒的書類の量に忙殺されておりました……。

 

 閑話休題。今回はおじろく・おばさと呼ばれる人々・慣習にまつわる研究の整理をしていきたいと思います。

 

 

1.おじろく・おばさとは何か
 長野県南部、南信州地域の一部では16-17世紀ごろから、結婚も許されず、世間との交際も禁じられ、一生涯戸主のために無報酬で働かされる人々が存在し、これらは「おじろく」「おばさ」と呼ばれた。この習慣のあった地域で結婚できる男は長男だけであり、次男以下は他家に養子になったりしない限り、女は結婚しない限り、「おじろく」「おばさ」となった。
 独身のまま家事に従い、労働着と粗食、納屋か長屋か奥の薄暗い一部屋を与えられるのみであるため、おじろく・おばさの兄や甥は彼らをありがたい存在と思っており、他家のおじろく・おばさも含めて、「福の神」と尊称しおじろく・おばさのいる家は栄えると言われた。

 その慣習の持つ珍奇さから、インターネット上ではしばしば興味を持たれる存在であり、色々な媒体で記事になっており、*2検索しないことを推奨する「検索禁止ワード」の一つにもなっているようだ。

 

2.おじろく・おばさに関する論文
 近藤廉治(1964)「未文化社会のアウトサイダー」『精神医学』6巻6号に収録
 概略:信大医学部を卒業し長野にて精神科医をしていた近藤が、分裂病統合失調症)との比較の観点からおじろく・おばさについて村の古老及びおじろく・おばさ本人からの聞き取り調査を行った論文。
 特徴:アミタール面接(アミタールという麻酔を注射し対象者をリラックスさせた上で面接することで抑圧された体験や葛藤を聞き出す手法)を用いており、後述の水野文献より詳しいおじろく・おばさ本人の語りが得られている。また、インターネット上で猟奇的なまなざしをもって語られる「おじろく・おばさ」記事の引用元はすべてこちらの論文である。


 水野都沚生(1962)「『おじろく・おばサ』の調査と研究」『國學院雜誌』63巻1号に収録
 概略:國學院大學折口信夫に師事し新聞記者や高校教師の傍ら民俗学研究を始めた水野が、おじろく・おばさ制度について、語彙辞典・宗間人別御改帳・壬申戸籍などを始めとした古文書といった文献調査やおじろく・おばさや村民に対する聞き取り調査を通じて多角的な視点から調べた論文
 特徴:おじろく・おばさの分布が地図上での可視化及び、その歴史的な文脈が明らかにされており、おじろく・おばさ制度を把握するのに一番よい文献であると思われるが、インフォーマントから得られた記述が近藤文献に比べて少なめである。この一因としてアミタール面接といった無口な人間から情報を得る手段を水野が知らなかったことがあげられるであろう。

3.おじろく・おばさの性格
 おじろく・おばさについて聞き取り調査をした(近藤 1964)によると、

感情が鈍く、無関心で、無口で人ぎらいで、自発性も少ない。しかし分裂病ほどものぐさではない。かかる疎外者が居るとその家は富むといわれる位によく働くのである。この点分裂病とちがう。しかし自発的に働くというより働くのが自分の運命であると諦念しているようである。(中略)少年期を過ぎて青年期までは親子関係にも別にそう変った所は見られない。20歳を過ぎてからぽつぽつと分裂病的な所が出てくるのである。しかし幻覚とか妄想があったような者はないようであるし、気が狂ってしまったといわれるものもなかったそうである。


 また近藤(1964)が村の古老から得た証言には夜這いをするものなどは極稀で彼らは童貞・処女のまま生涯を終えるとも記述があるが、水野(1962)ではおじろくやおばさ同士の交際もあって、そして夏の盆踊りの頃にはそれがなお激しかったというおじろく自身の証言も得られている。

 以上から、概ね上記した傾向や性行動が見られるもののおじろく・おばさ間や集落ごとにより違いが見られることが予想される。

 

 

 

4.おじろく・おばさを生んだ背景
 水野(1962)では、おじろく・おばさを生んだ背景として当地方に存在した御館・被官制度をあげている。これは日本大百科全書の『被官百姓』の項目がわかりやすい。

被官、被管ともいう。戦国時代から江戸時代の隷属農民の一称。御家(おいえ)、御館(おやかた)とよばれる地主的農民に、身分的、経済的に隷属する農民をいい、中世的な農民経営のあり方が近世まで残存したものと考えられ、後進地域、たとえば信州(長野県)伊那(いな)地方などに広くみられた。被官は御館に小作年貢や各種労役を提供し、土地とともに売買・質入(しちいれ)の対象となった。江戸中期以後、身代金(みのしろきん)や地代金を払って御館より自立して小農民となる例もあった。


 水野(1962)によるとおじろく・おばさの存在した地域の農村形態は殆どが少数の本百姓のもとに多数の水呑み百姓と被官百姓が存在するといったものであった。
 その一例として、水野(1962)は神原村字福島部落をあげている。福島部落の御館、福島氏に対して年間1戸8人が求めに応じて労役に出て、その対価として福島氏が所有する山で焼畑耕作や薪炭作りを行う権利が得られるというもので、この労役を水野(1962)は福島部落の人口が文政9年(1826年)には48戸390名であることを考えると、極めて重い労役であるといえるとしている。
 水野(1962)によれば元禄10年の新田検地帳に記載されていた福島氏の持つ耕地の耕作面積は1.68haで、この耕地面積の少なさに対して水野(1962)は福島氏に従属していた農民は焼畑をして雑穀を作り生活して行くより方法がなく、このような零細部落で次男、三男が独立することは部落全体の生活すらおびやかしかねず、部落全体の存続のためにはおじろく・おばさとなるしかなかったのであると述べている。

 

5.おじろく・おばさに関する実際のデータや記述(2論文より興味深い記述を抜粋)
 ・明治5年には天龍村の人口2000人のうち190人の「おじろく」「おばさ」が存在、昭和35年には男2、女1となって絶滅に瀕している(近藤 1964)。
 ・旦開村新野部落の検地帳では百二十五の五人組が江戸時代の間常に存在した(水野 1962)
 ・徴兵検査の時以外部落を出たことがないおじろくが多い(近藤、水野双方に記述あり)
 ・御館の主人と遊郭で遊んだりしたことのあるおじろくもいる(水野1962)
 ・食事は「麦7分に米3分、一食はさつま芋かジャガ芋、おやつも夜食もいもで、山に行く弁当は塩弁当、お惣菜に生味噌を詰めれる時は贅沢」という状況(水野 1962)
 ・福島部落の小中学校の校長曰く「田舎者と思われたくないため飯田市や平岡町で無計画に浪費しがち」「血族結婚が多いため子ども達の知能が極めて低い」「他村から来た嫁の子は成績がよく、その家は婦人が取り仕切り、村内の指導的な役割にまで廻るため男は一層無気力化」「中卒した娘は紡績工となるが息子は他郷へ就職してもすぐに逃げて帰村する、山の仕事は昔程よくないが、それでもよい稼ぎになるし、気楽でもあるのだろう」(水野 1962)
 ・おじろく・おばさ同士で駆け落ちしても、村のものは軽く貶す程度で追いかけ引き戻すこともしない*3。(水野 1962)

 

6.おじろく・おばさのいた地域
 水野(1962)によると、すべての南信地方におじろく・おばさが存在するわけではなく、交通路線の有無が一つの決定力を持っており、同じく零細農家が多い南信でもおじろく・おばさ制度がない地区は古代からの重要交通路であったり、三国街道であったり、徳川期に動脈であった街道が貫いていた。

 

7.おわりに

 今回はインターネット上でしばしば珍奇さをもってまなざされるおじろく・おばさの研究の整理を行った。インターネット上の記事全てが近藤論文を引用しており、水野論文の存在に言及するwebページは散見されたものの、それを紹介したのは本稿が初と思われる。また今回の記事は当初『おじろく・おばさについての研究ノート』と題していたが、脱稿直前でこの2本以外にもおじろく・おばさ制度について考察した論文の存在が明らかになったこと*4、近藤論文ばかりがweb上で引用された原因について複数の査読者から問題提起がありそれを明らかにしきれていないことを踏まえると*5、今回の記事はあくまで論文紹介と題するのがふさわしいと考えた。次回の投稿以降で最終稿、研究ノートを作ることを目標としたい。

 この記事を査読し有益なコメントを下さったエチゴニア氏及び10nies氏には心から謝意を表したい。

 

8.参考文献
近藤廉治(1964)「未文化社会のアウトサイダー」『精神医学』6(6),pp419-423,医学書院.
水野都沚生(1962)「置き忘られた制度の遺物『おじろく・おばサ』の調査と研究」『國學院雜誌』63(1), pp81-93,國學院大學綜合企画部
柳田國男記念伊那民俗学研究所(年不明)「【報告】第Ⅲ期入門講座第4回」(http://inaminkenhome.blogspot.com/2015/02/),2020-10-09閲覧.

*1:面白いことを研究・評論している方の冊子は買うだけでも意味があるんだと言い聞かせつつ

*2:https://news.nicovideo.jp/watch/nw808992

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52267

*3:福島部落の生産力が低いことは前述した通りで、それなのに駆け落ちを引き戻さない理由についてエチゴニア氏から質問があった。本文で直接記述はないが、福島部落の人間が無気力であり、駆け落ちによる生産力の低下にさほど注意を払っていなかったのではないかと推測される。

*4:ciniiでおじろくと検索して見つけられたのは水野論文だけであったが、gooのQ&Aサイト上で追加の情報を手に入れることができ「おじろく」は長男が死んだら昇格したんですか? (アウトサイダーのQ&A)、また当会への寄稿の際の査読にて10nies氏から複数の論文の存在が指摘されました。

*5:水野論文はインフォーマントからの記述量が少なく、引用した際のインパクトに欠けることあげられるのではないかと思うが、他の水野論文や近藤水野以外の論文も調査の上結論を出したい。