小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

今年はこういうのを読みました2018

 2018年は終わるがキャラバンは進む。私たちも同じ場所や時間に留まりつづけることはできません。ならば日々成長あるのみ。今年は幸いにも方々でリアルな集いができたり、新しい方の寄稿があったりとモゾモゾ活動できたのではないかと思います。そんなわけで、今年も会員おのおのが今年読んだ本の紹介で締めくくらせていただきます。みなさん、よいお年を!

 

 10nies

 北田暁大,2011,『増補 広告都市・東京』筑摩書房

 この本を書かれた北田さんは社会学者ですが、内容は別に社会学について明るくなくても読めるものです。東京についても、知っている必要はありません。ただ、ひとついうと、どれだけ街に関心を持っているかで、おもしろいと思うか否かが分かれるかもしれません。

 ざっと内容を紹介します。最初に『トゥルーマン・ショー』という映画から、現代社会がいかに公告に囲まれた(しかも囲まれているという意識がないまま!)世界なのかを考えたあとで、実例として渋谷の変化を、西武による経営戦略を軸に、広告=都市としての独自性を失うまでみていきます。補遺として文庫版に付けくわえられている昭和三〇年代ブームについての論考も、読みごたえがあります。

 この本はもともと2002年に出版されたもので、そのため事例や考察は、やや懐かしさを帯びています。たとえば、ケータイを用いたコミュニケーション/コミュニティの優越性にかんする考察は、現在のSNSの台頭を考えると、基本的には合致しているのですが、その消費のためにあらゆるものが分解されるというのは、デジタルデバイスの過剰評価なのかな、と思いました。登場したばかりだから、ヴィヴィットに映ったのでしょう。もちろん、若者をはじめとしてそれらの隷属になっている側面はあると思います。しかし、それを乗りこえて、持ちつ持たれつの関係を築きうるとも、いえるのではないでしょうか。かつては、インターネットを人との出会いのツールに使うことはかなり危険視されていた(あくまで言説として)記憶が個人的にありますが、SNSや出会い系アプリの普及は、それこそ20代以下の若者を中心に、空間的な限界を超えうる手段として利用されている証左となっています。

 また、この本は郊外の渋谷化(厳密にいうならば渋谷の郊外化)を指摘していますが、現在の渋谷は再開発の真只中で、次々と建築されるビルや、渋谷川の「再現」は、渋谷という消費空間としての特性を強調している傾向があります。これから縮小していく郊外が、はたして再開発=再渋谷化できるか。こう考えると、渋谷は復活するかもしれません。ただ、新たなビルが、果たしてパルコなどのような独自性を持つかどうかは、怪しいですが。

 以上の点を加味しても、本書は日本における消費文化や消費空間を考える際、たいへん参考となります。この本を読んだら、ぜひケーススタディとして自分の地元や下宿している街について考えてみてください。特に広告や、商業施設のテナントに目を向けてみるといいでしょう。さらに俯瞰して、消費空間全体がどう利用されているのか、と問いを立てるのもきっと楽しいです。

 あと、これは個人的な感想となりますが、実はこの本を読むのは高校以来3度目で、かなり久方ぶりの再読となりました(使いまわしではありません)。かつて分からないなりに読んだ本を、多少理解度を上げて読むのは、新たな発見があっていいものでした。同時に、分からなくても中高生のときに、専門的な知識を使った本を読むのは大事だなと思いました。かつて読んだ本を、正月をいい機会にして、もう一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

 つおおつ

 滝本竜彦,2018,『ライト・ノベル』KADOKAWA

 ゼロ年代初期は滝本竜彦を必要としていたと言っても過言ではないだろう。
 右肩上がりの時代が終わったことによる鬱屈と希望を自分の言葉で表現した『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』『NHKにようこそ!』は、まさにゼロ年代の「わたしたち」が必要としていた作品だった。
 しかし、ゼロ年代が終わり、彼は羽ばたこうとしていた。
 社会的な鬱屈によらない、純然たる「個」の悩みの領域へと。
 2010年代初頭の『僕のエア』『ムーの少年』はまさにその為の羽づくろいと言えるだろう。
 それから7年間の沈黙の後、発表された『ライト・ノベル』。
 確かに、初期から連綿と続くコミカルな雰囲気は所々に散りばめてある。
しかし、それらはもう本題ではない。
 『NHKにようこそ!』で顕在した「わたしたち」に右往左往する社会と「わたしたち」をあざ笑うかのように、彼は高らかに「個」の領域へと羽ばたいていった。
 鯉のようにパクパクと都合のよい物語を求め続ける「わたしたち」をよそに、滝本竜彦は己の為の物語を書いた。
 しかし、それは決して悲しむべきことではないのかもしれない。
 誰かの為の物語ではなく、己の為の物語を紡ぎ続けることが、唯一の「光」を得る道なのかもしれないのだから。

 

 ヱチゴ二ア

 前野 ウルド 浩太郎,2017,『バッタを倒しにアフリカへ』光文社.

 この本は2017年に発売されたものなので『今年読んだ本』として積極的に取り上げるべきかどうかは少し悩んだのですが、それでもおすすめしたい一冊なので選ばせてもらいました。
 本の内容は、著者が学者として生きていくために四苦八苦する、というもの。その過程でなぜアフリカに行きバッタを倒さんとするのか。それは本書を読んでのお楽しみなので割愛させていただきます。
 “アフリカ”や“バッタ”という普通の人には何にも関係ない題材で、それでもこの本が新書大賞2018の大賞に選ばれているのは、著者の筆力もさることながら、日本におけるポスドクの境遇の悪さを切実に描き出していたからだと私は考えています。
 『バッタを倒しにアフリカへ』というタイトルのキャッチーさと内容とのギャップ、そして日本での生活から地続きで繋がるアフリカという異世界。最後には今後の展望も感じさせつつ締める、という構成もよくできていると感じました。著者は本書の中で、ネットのブログでの経験を活かして執筆したと記していて、まさしくその通りなのだろうな、という感想です。
 さて、そんな本書を私が選んだ理由を簡潔にまとめると、その境遇に親近感を覚え、他人事だと思えなかったからです。まあ、今の私はポスドクではないのですが。
現在の私は理系の大学生で、将来はおそらく大学院に進みます。問題はそのあとで、博士課程に進むか就職するかという選択に迫られるのですが、博士課程に進むと必然的に本書と同じポスドクという立場へ至ります。就職を選んでも、私は多浪で新卒扱いではないので、就活ができるかどうか不安を抱えています。また、偶然ですが私の周囲には文系で院進を決めている人が多く、彼らも同様の、そして本書の著者が抱えている問題と同系列の、不安や問題を抱えているでしょう。
そんな中で私は本書に出会いました。しかし私が言いたいのは、この本を読んで勇気づけられたとか、ためになったとか、そういうことではありません。この本に書かれているある種の成功体験は、再現性のあるものではなく、一握りの人間だけが実現できるものです。この本がどこまでリアルなのかはさておき、この本は私に現実を突きつけてきました。これから先が修羅の道なのだと。
 そんなことはもとから百も承知ではあるのですが、だからこそ、そのことを明文化したこの本に私は親近感を抱いたのです。もしもそんな修羅道体験記に興味があれば、ぜひこの本をお手に取ってみてください。