『Sweet』・民主党・政権交代ーーー『「女子」の誕生』でわかること
どうも。つおおつです。
先日名古屋で行われたエロマンガ読書会には
小学会員3名と有志の方2名のあわせて5名の方が来ていただき、
美少女コミック以降のエロマンガの通史や現状について情報共有したのち、最近の流行とその理由について考察するなど大変有意義な読書会となりました。
これからもこういった読書会を全国各地で精力的に開いていくつもりなので、今回興味があったけど参加できなかった方はぜひいらしてくださればと思います。
しかし、小文化学会はあにただにエロマンガのみならず、各人が小文化と思うものを考察していくサークルであります。
今回は、米澤泉『「女子」の誕生』(2014)の知識を借りながら、ファッション誌と日本の政治で同時に起きた「政権交代」について小規模な考察をしていこうと思います。
ファッション誌における「女子」。それは「女子」ブームの中核をなしているにも関わらず、社会科学系の研究者が「こじらせ女子」の巣窟となっているため研究の俎上にはあがってきませんでした。
本書では、そんなサイレントマジョリティであるファッション誌における「女子」がどのようなものであるかを分析した本となっております。
では、本書と一緒に日本のファッション誌の歴史をひもといていきましょう。
まず、日本のファッション誌はモード誌と実用ファッション誌に大きく二分されます。
前者は、パリコレというファッションシステムを中心に生みだされるハイ・ファッションを届けるための雑誌を指し、後者は、一言で言うなら洋服の着方を教えてくれる雑誌を指します。
日本初のファッション誌は『an・an』(1970年創刊)ですが、それはフランスのファッション誌の日本版としてスタートしました。翌年に創刊された『non-no』も、アメリカのファッション誌と提携していました。
欧米のファッション誌と提携していない、純粋な日本発のファッション誌の第一号は、『JJ』(1975年創刊)となります。
女性週刊誌『女性自身』の増刊号として誕生したこの雑誌は、その出自からして実用的であることを運命付けられていました。
『JJ』が読者像として明確に位置づけたのが、女子大生。
中学、高校と制服があったために何を着て学校へ通えばよいかわからない女子大生に、ファッションの指針を示したのみならず、どうやったら「幸せな結婚」ができるのかというところまで踏み込んだ生き方指南書を提供したのが、『JJ』であり、これが『JJ』成功の原因だと言われています。(だからこそ、フェミニストから家父長制の再生産に寄与していると指摘されたりしています。*1)
『JJ』のこれらの特徴を発揮する上で活躍したのが、読者モデル。
プロのモデルではない、女子大生やOLが誌面に出るスタイルは、『JJ』が確立したものであり、日本独自のファッション誌のスタイルとなっています。
『JJ』以降、似たコンセプトの女子大生向けコンサバファッション誌として、『CanCam』『ViVi』『Ray』が創刊され、タイトルロゴが赤い字で書かれてたため赤文字雑誌と呼ばれるようになり、1990年代まで圧倒的人気を誇ります。
以上のように、ここまでのファッション誌は、その場にふさわしい常識的なファッション(まさにコンサバティブ!)の仕方を提供するものでした。
しかし、1999年、自分の年齢や場の雰囲気にとらわれず「自分の着たい服を着る人のためのファッション誌」である宝島社*2の『Sweet』が「28歳、一生“女の子”宣言!」というフレーズを引っさげて創刊、いや爆誕します。ファッション誌において、この雑誌が、従来とは異なる意味で「女の子」「女子」という言葉を使い始めた走りとなり、ファッション誌における「女子」の台頭はこの雑誌とともにあったと言っても過言ではないでしょう。
『Sweet』の特徴は大きく分けて2つありまあす。
一つは、人気ブランドとのコラボレーションによる豪華な付録。
もう一つは、年齢や立場による「常識」的なファッションを「大人かわいい」という言葉で解体し、リボンやフリルやミニスカートといったものを二十八歳以降の女性に解放したこと。
このように、『Sweet』を始めとした男性に媚びないガーリーでカジュアルなファッションを提案する雑誌を青文字雑誌と呼びます。
2000年代に入ってから赤文字雑誌が衰退を始め、90年代のピークには78万部を売り上げた『JJ』は、2012年にはなんと7万部まで落ち込む一方、『Sweet』は順調に売上を伸ばし、2009年には日本で一番売れているファッション誌となります。
こうして、「モテ系」の赤文字雑誌から、「自分のため」の青文字雑誌へと、ファッション誌の政権交代が起こることになりました。
さて、「2009年」「政権交代」というフレーズで勘のいい読者の方なら気付いていただけたのではないでしょうか。
この構造、2009年の日本の政権交代とすごく似てるんですね。
常識的であり、家父長制を助長するという批判がなされるほどの『JJ』。
保守的であり、古き良き家族像を否定しない自民党。
自分のために服を選び、常識や場にとらわれない『Sweet』。
自民党と民主党、『JJ』と『Sweet』の対比は、2009年に『Sweet』の宝島社が出した新聞広告によってさらに明確にされます*3。
この国の新しい女性たちは、可憐に、屈強に、理屈抜きに前へ歩く。
この国の女性たち。別の言い方で「女の子」あるいは「女子」、あるいは「ガールズ」。
彼女たちのファッションは、もう男性を意識しない。
彼女たちのファッションは、もう欧米などに憧れない。
それどころか海外が、自分たちに驚き始めている、でもそのことすら気にもかけない。
彼女たちはもう、「年齢を捨てなさい」などという言葉など持っていない。
そんなこととっくに思っている。いや、もうとっくに実現している。
『Sweet』の広告が朝日新聞、日経新聞といった比較的リベラルな層が講読している新聞に投稿されたこと、『Sweet』,民主党ともに欧米への意識が『JJ』や自民党に比べて弱いということを考えても、やはりファッション誌と日本政治における2009年の政権交代はかなり類似した構造を持っていると言わざるを得ないでしょう。
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ここで2つの問いが出現してきます。
まず一つ目。
史的唯物論の考えをとる場合、政治と芸術はともに上部構造に位置づけられますが、
日本の政治だけではなくファッション誌にまで「政権交代」を起こすような下部構造の変化は一体なんであったのか。
二つ目。
『Sweet』は「政権交代」ののち今なお日本のファッション誌をリードする存在ですが*4、民主党は4年も持たずに政権の座を奪われてしまいます。民主党の何が、『Sweet』的支持者にそっぽを向かれる原因となってしまったのか。
今回は米澤泉の『「女子」の誕生』を通して、ファッション誌の政権交代と日本政治の政権交代の類似点を考察し、2つの問題提起をさせていただきました。
この2つの問いについては、今後読書会などを通して考察を深められればなと思います。
それでは。