小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

虚構の終身雇用の虚構 あるいはなぜ我々は仕事を辞めないのか

 サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~♪

 ご存知かの有名な喜劇俳優植木等のサラリーマンどんと節の一節である。1962年の『サラリーマンどんと節気楽な稼業と来たもんだ』という映画で歌われ、当時人気だったらしい。

 ナウでヤングなみなさんにはむしろウッチャン出川哲朗のレモンサワーのCMでのパロディのほうに耳馴染みがあるかもしれない。

 サラリーマンは気楽な稼業と……いえねえよお!

 てやつ。 

 個人的にもこの類のパロディのが元ネタよりも聞いたことがある。特に、サラリーマンに批判的な意識高い新しい働き方を提案する系の本を読むと、この一節が良く引用されている。

 私が読んだことある限りでいうと、この歌をフックにして「昔はこうだったけど今のサラリーマンは……」と続くのがパターン。今のサラリーマンは安定してるとはいえず、かつてのように1つの会社に定年まで勤めあげて老後は年金生活というライフモデルは今や崩壊している。これからのサラリーマンは転職もするし、ネットを利用した副業もしていこう、さあ頑張ろう。

 割とマジでどの本もこんな調子。

 ネットに溢れるその手のブログを含めれば数えきれないくらいだ。試しに「サラリーマン気楽な稼業」でググってみてほしい。

 

 で。

 この歌ないし映画が本当に当時のサラリーマン像を描いているかどうかは本稿の関心じゃない。描いてないだろとは思う。だってコメディ映画だから。両津勘吉見て昭和の警官はみなああだったとは思わんじゃんね。

 本稿で考えたいのはこの歌の風景が所与のものとして働いていることだ。

 どんと節は現代と比較した過去のサラリーマンの象徴として引用され、彼らの論の出発点として扱われている。その際、「かつてサラリーマンが気楽だったこと」への疑いは封印される。

 コメディ映画のコミックソングをあたかも歴史記述かのように引用し疑うことなく前提として論じることは否定しない。それは興ざめなマジレスでしかないからだ。

 むしろ逆に、「そんなにいうなら気楽なサラリーマンとはいつ存在したのか」、本稿はそれを探していきたい。

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京阪京津線の車内広告と仮想通貨バブル崩壊

どうも、つおおつ(29おじ)です。
最近、普通四輪の運転免許を取得しました。
これで一番ありがたいのが、タイムズカーシェアのナイトパックが使えること。
今はキャンペーンで18:00-9:00の15時間がなんと770円……
移動手段と宿泊場所がくっついているのにこの値段ですから、破格という他はありません。
ミソなのが、日の出が5時なら日が出ている時間帯に4時間も運転できるということ。
アニメの聖地巡礼のために訪れた駅の駅前でナイトパックのカーシェアを借り、日没までにスポットにたどり着き現地で車中泊。日の出と共に巡礼を始めるというコスパ最強ムーブを思い付いたのでぜひ来年の夏至付近で実行したいです。

閑話休題
今回は仮想通貨バブルについての思い出を語る懐古記事です。

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『図書館の魔女』と地下水道

 こんにちは、暗渠が大好きなヱチゴニアです。これまで何度か暗渠を探索する記事を書いてきましたが、今回は少し趣向を変えて、小説の中に登場する暗渠についてです。

 2017年末の記事でわずかに触れましたが、暗渠は文学作品の中にときどき登場します。こういった文学作品を読み込むときの最もシンプルな方法論として対立軸に注目するやり方がありますが、例えば、暗渠は開渠であった頃と時間軸上で対比されることが多いものです。

 さて、今回は髙田大介による小説『図書館の魔女』を取り上げて、その中で暗渠がどのような役割を果たしているのか考えてみます。ただし、長い作品であり、全体を俯瞰 すると1つの記事におさまりが悪くなってしまうので、文庫版の1巻と2巻のみに言及します。ちなみに、続編の『図書館の魔女 烏の言伝』にも暗渠は登場します。暗渠という舞台装置が好きなのでしょうかね。

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「自称アスペ」はテリヤキバーガーか

 これはお前の話じゃない。

 

 コミュ障、アスペ、ADHD発達障害、鬱……あなたはどの病に苦しんでいるだろうか。

 いや、この聞き方は正しくない。あなたはどの病を選んだだろうか。

 本稿は上記の病気の存在を否定しない。

 理解なく甘えと切り捨てたりもしない。

 本稿で問いたいのは病を自称するという行為だ。ここでいう「自称」とは、その病気が自分にも当てはまる状況を経験しているが医学的な診断を受けてはおらず、自己認識に留まるという曖昧な領域だ。つまり、客観的に症状があるかどうかは関係なく、あくまでも自身でその病気にかかっていると思っていることが重要だ。

 病院で診察を受けたわけでもないのに、「私はコミュ障だから」とか「俺は発達障害かもしれない」という人間をけっこう見かける。そいつらを見ていて不思議に思うのが、彼らの態度から後ろめたさというか、苦しんでる感が感じられなかった。まあ見せないだけかもしれないけど、逆に「改善に向かってこういう努力をしてる」という話も聞かない。ただ「私はコミュ障だ」という自己診断で止まっている。さすがに霊が見えるレベルの嘘ではなく、生活のうえで経験した苦しみ、ある病気に当てはまるかのような状況が土台になっているとはいえ、主観の域を出ておらず、あくまでも自称アスペ・自称コミュ障でしかない。

 

 こいつらなんで自分の病気や障害を図々しく言って歩くんだ?

 病を公表するのにはリスクが伴う。ハンセン病患者は隔離という差別を受けてきたし、知的障害のある同級生のあいつは「たんぽぽ学級」という「特別扱い」を受けていた。精神病院は山奥に建てられている。なんらかの病、異常な状態にある人間は社会的な排除を受けるのだ。

 だから今、私たちは血眼になってマスクをつけている。

 このように隠すもの、遠ざけるものであるはずの病の中から、上記に挙げたようないくつかだけは積極的に選び取られ、公表できるという特権性を与えられている。

 病人とは思えないほど活発に自称して歩くが、そのエネルギーを改善には使わない。

 ならば彼らの目的は何か、あるいはこれらの病を自称することでいかなる効用が得られるのか、本稿はそれを探りたい。

 炎上するのが怠いから何度だって繰り返そう。私はこれらの病気の存在を否定しないし、苦しんでる人を傷つけたいわけでもない。

 本稿が対象とするのは自称〇〇だ。

 

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仮想通貨と県民性

 どうも、つおおつです。コロナ禍により外出がままならない中、つおおつのような図書館でしか進捗を出せない人間は大変です。進捗何も出てません。(泣)

 さて皆さんは、仮想通貨を聞いて何をイメージしますか?「怪しい」と思う方から、「なんかよくわからないけどピザが食べられるんでしょ*1?」とある程度知ってる人、「仮想通貨じゃねーんだよ暗号資産って言え!」というクリプトガチ勢*2まで、色んな方がこの記事を読んでいると思いますが、「仮想通貨と県民性」という関連については何も知らないはず。

 この記事では、仮想通貨と県民性の間にどのような関連があるのかについて、量的な掘り下げを試みます。

 目の色が¥マークになっているあわてんぼうの仮想通貨民の為に先に結論から書きます。

  • 徳島県熊本県には、bitbankの超大口顧客(仮想通貨を大量に所持しており取引する人)がいる可能性が高い
  • よそ者意識の高さと県民の仮想通貨への意識の高さ(給料に占める取引量)に逆相関(r=-0.522)が見られ、その相関は5%水準で有意(p=0.0131)
  • あくまで1つの仮想通貨取引所の部分的な資料であり、仮想通貨と県民性の関連についより深く掘り下げるには追加の資料が待たれること

 

 さて、仮想通貨と県民性の関連について書いていきます。

*1:初めてbitcoin決済が使われたのはピザのデリバリーで、10000bitcoin(今の価値で大体100億円)で2枚のピザが買われました。参照URL:https://coincheck.com/ja/article/199

*2:ガチ勢の皆さんには申し訳ないのですが、googleトレンドで仮想通貨と暗号資産を比較してください。。。

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としまえん閉園に際して

 こんにちは、エチゴニアです。お久しぶりです。

 コロナによって世界は色々な変化を余儀なくされていますが、東京都の遊園地『としまえん』の閉園の準備も、そのかげでひっそりと進められてます。閉園については今年の2月に第一報が流れ、6月12日に公式ホームページで正式に発表がなされました。

 この記事では、そんな閉園直前のとしまえんについて、正確には、その周辺について書きたいと考えています。

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ヌける/ヌけないエロマンガへの接近①

 こんにちは、ぽわとりぃぬです。エロマンガを研究するうえでつぎの2冊は必読です。永山薫の『エロマンガスタディーズ』と稀見理都の『エロマンガ表現史』。前者をエロマンガの歴史と社会的意義を考えた本と位置付けるなら、後者はエロマンガの技術的価値を考えた本と位置付けられるでしょう。

 そんな両巨頭の肩に乗っかれば楽なのにもかかわらず、本稿でエロマンガのヌける/ヌけないを分析しようと試みるのは、私が常々、エロマンガに限らず作品を考察するときに鑑賞体験が扱われないなと思っていたからです。

 ある作品を論じるといったとき、おおよそがその作品の社会背景や意味を探ったり、その作品の技術の高さを分析したりで、肝心の感情の動きが考慮されていない。『JOKER』でいうなら、弱者男性を描いたという社会的意義やホアキン・フェニックスの卓越した演技という技術的達成ばかりが盛んに語られ、その手前にあるはずの「おもしろかった」という感情は軽んじられている。ジョーカーをあのように描いたのもホアキンが役作りに励んだのもそれは面白い映画を作るためであって、社会的映画史的に意義ある映画となったのは結果論です。

 私がそんなことをもそもそ考えている19年前にすでに、映画を題材に議論を展開していたのが社会学者の長谷正人(2001)です。彼によると、現代の映画をめぐる言説は、その作品の技術的達成や監督の才能といった「美学的読解」、もしくは内容やテーマを社会的文脈において分析する「政治的読解」という2つで構成されているというのです。長谷は、これら2つの言説は映画というフィクションへの没入を前提としているのであり、そのために多くの観客が娯楽として気軽に楽しんだという当たり前の事実を見損なっていると指摘します。そしてそういう気軽な楽しみ方とは、フィクションをフィクションと知りながらもあえてその嘘に乗っかって楽しむという「遊戯的コミュニケーション」なのであり、それは翻って我々の生きる現実もまたフィクションに満ちている(「黒人とはこういうものだ」というような)と気付かせてくれるというのです。

 まずなによりその作品が娯楽としておもしろかったからこそみんなが考察を始める。ならばその源泉となる感情を見過ごしていいのでしょうか。

 というわけで本稿では、エロマンガの「エロかった」を分析する、というか分析するためにはどうしたらいいのかを考えていこうと思います。

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アンチ就活アンチ

 こんにちは、ぽわとりぃぬです。あなたは就活嫌いですか、好きですか。やりたくないけどやんなきゃいけないからリクスー買ったりインターンシップ行ったりしてますっていう人多いですよね。

 何であれ物事にはアンチが存在します。そろそろ就活アンチが元気になる季節です。本稿は彼らの批判を批判してみようと思います。果たしてアンチのいう通り、周りと同じ格好に身を包んだ就活生はヒツジでしかないのか(逆に、アンチはオオカミなのか)。なお、本稿で扱う就活とは(文系)大学生が参加する新卒一括採用のことです。概要とか専門用語の解説は紙幅の都合で割愛しちゃいました。ごめんね。

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今年はこういうの読みました2019

 ここ最近活動していないので、小文化学会は冬枯れた野原のように息の根が止まってしまったと思ったそこのアナタ! ぶっちゃけ否めません。とはいえ〆るところはきちんと〆ます。来年がんばるために、せめて今年の足跡を留めておきたい。毎年恒例の「今年はこういうの読みました」を書いて、本年の活動はおしまいです。来年は読んでくださった方にとっても、我々小文化学会にとっても実りある1年にできるよう努力していきましょう。

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コミュ障はハゲか妖術か

 こんにちは、ぽわとりぃぬです。このインパクト重視なタイトルを言い換えるとこうなります。コミュ障は社会的に構築された病(ハゲ)か、それとも集団幻想(妖術)か。コミュ障という得体の知れないレッテルについて、ハゲと妖術に関する人類学的知識を参考に考えていこうと思います。

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