小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

小文化学会の案内

 みなさんはじめまして。小文化学会のブログへようこそ!

    小文化学会(以下小学)は2016年9月1日に設立された学生を中心とする、総合思考サークルです。関心領域は会員の自由。あなたの探求するものが、小学の探求するものになります。

 「学会」と称していますが、当然ながら実際に学会として運営される団体ではありません。あくまで「ごっこ遊び」のようなものだとお考えください。しかし模倣とはいえ「学会」の体裁を取る以上は真摯に活動していきたいと思っています。

 具体的には以下の活動を行う予定です。

・記事の作成と当ブログへの寄稿

・記事をまとめた冊子の作成、配布

・書物・アニメ等を用いた勉強会

 

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 当会へのご連絡は、本ブログの各記事のコメント欄(当記事でも差し支えありません)か、Twitterアカウントのツイートへのリプライ、またはDM、小学のeメールアドレス(shobunkagakkai☆gmail.comの☆を@に変更)にお願いいたします。いきなり入会をする必要はございません。興味、意見を少しでも持っていただいたら、お気軽にご連絡ください。

 

聖司が死んだとき、聖亜が死んだとき

 『歌い手のバラッド』の主人公、聖司は2回死んでいる。1つは物語ラストの逮捕という社会的な死で、もう1つは月野しずくのハメ撮りを見て初恋が汚されたときだ。本記事はこの2回の死に注目する。ここでいう死とは生物学的な死ではもちろんなく、それまでの自分でいられなくなるという意味の象徴的な死だ。1回目の死で聖司はそれまでと同じ陰キャでいられなくなり、2回目の死で聖司は聖亜でいられなくなった。本記事がここに注目するのは、1つにはクジラックスが本作以前の作品において、人が死んで生き返る様を描いたことがなかったからだ。ハッピーロリータな作品以外は、少なくともロリはレイプされて深刻なトラウマを負うし、レイプした側の男も死ぬか逮捕されていた。本作で初めて、レイプされたり逮捕されたりしたあともどっこい生きていくキャラたちが描かれた。もう1つ大事なのが、本作を読むにあたってノイズになるのは聖司が27歳なことだ。彼は初恋を汚された時点で死んでいるのだから、見た目は27歳でも精神年齢は15歳のままだ*1。本作は、(NTRで脳を破壊された)少年が成功(JCとのセックス)と挫折(逮捕)を通して大人になるというあたかも青春小説のような話なのだ。

 なお、このように本作の主人公は本名と芸名の2つを持つが、本記事では本名の聖司で統一する。

 

 聖司の死を話す前に、まずは『歌い手のバラッド』についておさらいしておこう。LOで連載が始まった本作は、「悩んだ挙句、先に描けそうな(『歌い手のバラッド』下巻のあとがきより)」最終話がLOに掲載され、間の話(第8話~第10話)を後から同人誌で出す、という形式をとった。第1話の掲載から単行本の出版までおよそ9年かかった難産な作品だ。クジラックスのキャリアでいうと、同人誌「わんぴぃす」の後となる。

 ストーリーは、歌い手の聖司が自身のファンであるJCを食って回るものだ。『ろりともだち』や『わんぴぃす』と同じく*2日本全国を回るが、これら2作と異なるのは、聖司単独の犯行であること。『歌い手のバラッド 上巻』のあとがきからクジラックス本人の言葉を借りるなら、前2作が「非モテロリコンの友情」で、今作は「モテロリコンの孤軍奮闘」だった。

 聖司には一緒にロリレイプをする仲間はいなかったが、心の師匠ともいえる存在はいた。それがかりすま師匠である。この人こそ、聖司の初恋相手である月野しずくとセックスをし、そのハメ撮りをネットにアップロードした張本人である。だから、聖司が生粋のロリコンだったかには疑問が残る。たしかに作中で「俺もッ」「女子中学生とセックスしたいよ~~~~~!!!」と叫んではいるが、いざセックスをしているときでも、JCの肢体に欲情している様子がない。セックスを通してJCを支配しているのが楽しいようで、あるいはかりすま師匠のように振舞うことに専念しているようで、ロリの身体には興味があまりなさそうなのだ。合唱コンの練習で他の男子とふざけず真面目に歌うような、そして25歳まで童貞だった聖司にとって、しずくと過ごした2ヶ月間は、高校から大学卒業までも含めて女子との唯一の接点だったと考えていい。つまり聖司は、ロリコンというよりは20代後半になっても初恋の時点に留まったままだったというほうが正確だ。

 

 『歌い手のバラッド』は「俺はどこで間違ったんだろう」という聖司のモノローグから始まる。その問いに対する答えは、第8話にて聖司本人から語られはする。ただし、そのときに描かれるのは「俺はあそこで間違った」というモノローグと暗喩的なシーンのみだ。前後のシーンをふまえると、いい雰囲気になったにもかかわらず腰が引けてアプローチできなかったのが間違いだったと聖司は考えているようだ。「いや、森田君(筆者注:聖司の友人) そういうんじゃないんだ」とはいっているものの、聖司は月野さんとヤりたかったに違いない。プラトニックな恋愛を思い描いてもいるが、でなければ成人式の日まで「月野さんと付き合う方法!」と題したノートに作戦を練ったりはしない。だが、成人式にしずくは来なかったし、上述のかりすま師匠のハメ撮りを知った。5年間片思いしていた女の子がおっさんに犯されてしかもその様子がネットに晒されていた。その動画を見る聖司の表情は描かれず、ただシコるだけの彼が描かれる。この日以来、聖司は好きだった歌はおろか、楽器や音楽を聴くことさえ辞めてしまった。この日、聖司は死んだ。

 

 ここでいう死んだとは敗北と言い換えていい。要するに好きな女をNTRされたわけで、聖司はかりすま師匠に敗北したのだ。だからこそ彼は「俺もッ」「女子中学生とセックスしたいよ~~~~~!!!」と叫んだ。それまでの聖司は月野さんのハメ撮りでオナニーするだけだった*3。これはNTRでよくある妻のセックスを見ながら射精する夫に相当し、つまりかりすま師匠に負け続けていた。そんな彼が上記の叫びをあげたということは、男として再起を誓ったということなのだ。

 

叫ぶ聖司。言ってることは最低で見てくれも汚くてしょうがないが、その正直さにはある種のカッコよさがある。
「勝利も敗北も知り 逃げ回って涙を流して 男は一人前になる 泣いたっていいんだ……!! 乗り越えろ!!!」(ワンピース591話より シャンクスの名言)

 

 聖司が聖亜として生まれ変わるきっかけは、たまたまニコ動から歌い手の歌ってみたが流れたからだった。その動画のコメントに声を褒めるものがあったことで月野さんとの思い出がよみがえり、聖司を突き動かした。ここから聖亜として生まれ変わっていく。歌の練習はもちろん、髪を染めて、ダイエットをして外見改善。しずくのハメ撮りを見ながらオナホに射精していた頃とは別人のようになった。ここで重要なのは、聖司が「聖亜を演じる」と明言していることだ。かりすま師匠のようにJCとセックスをしまくりたいが動機なのだからそれも当たり前で、聖亜とは聖司にとってJCを食うための別人格である。本性は聖司のままだから、最初にオフパコしたJCには挿入ができなかったし、次のアポを取るのに必死になってブロックされてしまった。そもそも、「セックスしたい」と打診した瞬間の聖司はかなり緊張していたし、JCのOKを聞いた瞬間は「脳汁がで」て、「自分の性欲を受け入れられるってうれしいな」、「涙が出るほど嬉しいな」と泣いていた。

 『歌い手のバラッド』がクジラックスの他作品と違うのは、このように主人公の試行錯誤が描かれていることだ。「学祭ぬけて」には入学当初はイケていなかった大学生3人組が登場するが、彼らはそれが語られるのみで具体的な努力の過程は描かれていない。また、「ろりともだち」や『わんぴぃす』は、前者なら山崎が赤井を、後者ならるっぴが笹原を誘うかたちで物語が始まっている。笹原も赤井も、誘われなければロリを襲うことはなかったろう。その意味で聖司には主体性がある。だがその足取りはそれこそかりすま師匠に比べればおぼつかない。最初のJCへの態度は典型的な「非モテコミット(藤沢 2015)」だ。繰り返すが、聖司は27歳の外見をしているが内面は15歳だ。おっさんに片足突っ込んだ27歳の青年がJCに非モテコミットしているなんて醜悪だが、15歳がやっていると考えれば初恋の青い1ページだ*4。「歌い手を演じる」と聞くと縁遠いが、「女の子に気に入られるために自分を盛る」と言えば一気に身近になる。ほんとは168㎝なのに170㎝といってみたり、ただの平社員のくせにさも大仕事をやっているように語ったり、そんなことはざらにある。だから、個人的に本作で一番感動したのがこの一連のシーンだった。一度敗北した男がもう一度、いや人生初の闘いに挑んだのだ。応援しないわけがない。まるで青キジに敗けたルフィがギア2を引っさげてCP9と闘う、あれと同じ類の感動だ。

 しかしながら、失恋の痛みはそれより良い次の恋でしか癒せない。最も効果的な治療であるヨリを戻すことはできないし、仮に聖司が今の27歳のしずくと再会したところであの頃のやりなおしなんてありえない。また内面が15歳でも外見は27歳なのだがら、今更別のJCとプラトニックな恋愛からのセックスなんて望めない。何が言いたいかというと、聖亜を始めた時点で終わりが破滅なのは決まっていたのだ。女の前で演技をし始めた以上、それはどんどんエスカレートして本来の自分から乖離していく(なぜならセックスまで行きつけなかった女もおり、それを重ねるごとに演技がどんどん過剰になるから)。聖亜としてJCに愛されれば愛されるほど、翻って聖司の愛されなさが際立つ。だから日本全国ワンマンツアーをしている時の聖亜は楽しそうじゃない。聖亜を演じることの歪みは確実に聖司を蝕んでいた。

 

日本全国を回りJCとセックスをしているときの聖司

日本全国JCセックスを終えた後の聖司

 

 聖司は日本全国を巡りJCとセックスをしてその後何をしたかったのか。そりゃあ月野さんとのセックスだ。というより、彼は最初から最後までそれがしたいだけの15歳だった。正確にいうと、月野さんよりいいJCと出会って、その子と聖司としてセックスがしたかったのだ。だが、物理的にはもちろん、聖司の中で月野さんがかなり理想化されているためにそれは不可能で、だから遅かれ早かれ聖司は行き詰るはずだった。だが、物語の展開は彼に逮捕というイベントを用意する。それは聖司にとっては聖亜が死ぬことになり、同時に、聖亜が死んでからのJCたちの振舞いは作品内でのセックスの価値を暴落させるものとして働いた。どういうことか。まず、しずくは生きていた。腕の外側をリスカするという絶対に死なない自傷跡を負いながらボカロPとして活躍している。その他のJCも聖亜が逮捕されたときはそれぞれにショックを受けていたが、吹奏楽で熱のこもった演奏をしたり、別のアイドルを推したり、彼女らそれぞれのやり方で聖司との出来事を昇華させている。本作のセックスはそれ以前のクジラックスの「クジラックスらしい」作品とは異なり、相手に引き返せないほどの大きな傷跡を残さない。

 なにより大きいのは作中でゆめ猫が発したメッセージだ。一ページ丸々使ってのフツーじゃない恋愛への肯定。私はここに本作の言いたいことが凝縮されていると考える。「理想がキレイすぎると思てたんと違ったとき死ぬで~~~そのくせ人生案外続いてしまうからなぁ・・・」。

 

 聖亜が死んだとき、つまり逮捕されたとき、努力と挫折を経て聖司はようやく27歳になった…とも言い難い。刑務所にいる間は思い出しオナニーが心の支えだったし、ネカフェで見たVtuberに興味をひかれている。ゆめ猫が言うような「まとも」な恋愛がまだまだできそうにないことは、出所を待ってくれていた和久井さんとのセックスで勃たなかったことからもわかる。たくさんのJCとセックスを経てもやっぱり聖亜を演じないと勃たないのだ。しかし、彼は「はぁ……どうやって生きていこうかなぁ……」と悩んでいる。『歌い手のバラッド』は聖司の疑問に始まって疑問に終わる。だがその疑問は、過去と未来のどちらを向いているかで異なる。「どこで間違ったのか?」から「どうやって生きていくか?」へ。聖司は前を向くようになった。でもかりすま師匠の幻を見ているあたり、歴然と「成長しました!」とは言い難い。それでいいんじゃないか。積み上がった実績はないし、3歩進んで2歩下がったような結果になったし、そもそもの目的がJCとのセックスという最低なものだったとしても、男が過去の自分にケリをつけるために闘ったのだからそれだけは絶対に肯定されなくてはならない。『ろりとぼくらの』のキャッチコピーを借りていうなら、「これは僕たちの応援歌だ」。

 

参考文献

 藤沢数希(2015)『ぼくは愛を証明しようと思う』幻冬舎.

サムネ用

 

*1:正確にいうと、初恋が15歳で、それが破れたのが20歳。ただし、この5年間はずっと初恋を引っ張っていたので彼に精神的な成長はなかったものとする。

*2:「わんぴぃす」については、登場人物の動きを追うと東京と関西しか回っていないんじゃないかと思われる。この点は作者も自覚しているが、まあ大移動には変わりない。

*3:オナニー中、聖司は「このっクソビッチが…ッ」、「フッ『しずく』もいい加減飽きたしな…」と言っており、彼の月野さんに対する両義的な思いが見てとれる。というより、ハメ撮り上の「月野さん」と初恋の思い出の中の「月野さん」を分けていたと考えるべきか。

*4:実際の歌い手を揶揄しているのか、聖司の経済状況を考えてそれが妥当だと判断したからなのかはわからないが、全国ツアーと銘打っておいて開催場所がカラオケなのもこれで説明が付く。15歳が知っている歌える場所なんてカラオケしかない

ワンピース考察界隈の考察

 尾田栄一郎作のマンガ『ONEPIECE』(以下ワンピース)には考察界隈がある。これは、ワンピースの今後の展開を予想したり作中の謎を解明したりするファンたちの集まりで、主な活動の場はSNSやユーチューブだ。特に、後者のいわゆるワンピース考察系ユーチューバーには登録者数100万人を超える人もいる。これ程の人気になるともはや考察の当たりはずれは関係なく、「当たっているかは関係なくおもしろかった」と評価されている。当初の目的である考察の的中が二の次になっているこの状況は、マンガを読んでいるといえるか?

 

 そもそもワンピース考察がいつから始まったかというと、2000年ごろのアラバスタ編からだという。このエピソードでは「古代兵器」、「Dの一族」、「空白の100年」をはじめとした作品全体にかかわるキーワードが登場し、ワンピース世界の大きさが垣間見えた。ネットの黎明期とも重なり議論が盛り上がったのだそうだ。

 アラバスタ編以降もワンピース世界の秘密が断片的に開示されつづけ、ワンピースは2022年7月25日発売の『少年ジャンプ34号』に掲載された1054話をもって最終章に突入した。

 

これはワノ国編というエピソードの終盤にあたり、現時点(2025年7月)での最新話は1153話、エピソードはエルバフ編となる。最終章突入のアナウンスがあって以降、ワンピースは加速度的に世界の秘密が明らかにされており、それに伴い考察界隈も盛り上がっているのが現状だ。

 

 なお、ワンピース考察界隈といっても、そこには2種類の人がいる。1つは文字通り考察をする人で、もう1つは、考察と言っているだけでその実最新話のネタバレをしているだけの人だ。今回扱うのは前者の方だけである。

 そうやってこの界隈を分類したとき、筆頭に上がるのはユーチューバーのDrop the Pizza(以下、ドロピザ)だ。ファッション系YouTuberとして活動していた中、突如としてワンピース考察動画を投稿し、それが的中。以来ワンピース考察をメインに投稿するようになった。

 

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 本記事でメインに扱うのはこのドロピザだ。なぜなら、ワンピース考察界隈唯一の登録者100万人超のユーチューバーであり、その考察の面白さもトップクラスだからだ。はじめのところで紹介した「当たってるかは関係なくおもしろかった」という評価もこのチャンネルに対してされたものだ*1

 ではドロピザはどんな考察をしているのだろうか。

 

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 例えばこの再生数上位に入る動画ではワンピース世界の秘密を考察している。ポールシフトという地軸の移動が空白の100年に起きたという説には独自性があるし、作者尾田栄一郎の子どものころに流行った作品にも類似した設定があるなど、説得力がある。

 

この動画に寄せられたコメントを抜粋してみると

 

・当たってるかなんてどうてもよくて、考察に対する説得力が凄すぎる

・これ含めすべて考察って括りだけど、もう正直ネタバレじゃね、と そう思ってしまうくらいに 説得力が神掛かってる

・このチャンネルのONE PIECE考察見てて思うけど、考察外れてたとしてもそういう設定でも全然納得できるくらい内容濃いんだよな

 

 このように動画の完成度を称賛する声が多い。これはドロピザの中でも名考察といっていい。

 さて、この動画にも現れている通り、ドロピザの考察はワンピースのモチーフとなった舞台や元ネタから展開する。尾田栄一郎はディズニーが好きであるためドロピザの考察でも頻繁にディズニー作品が引き合いに出される。また、この動画においては、『未来少年コナン』と『神々の指紋』という「作品」が提示され、それが小さい頃の尾田栄一郎に影響を与えたと考察されている。

 しかし、これには疑問が残る。確かに未来少年コナンは小さい頃の尾田栄一郎も見ていたかもしれないが(尾田が1975年生まれで未来少年コナンの放送は1978年)、『神々の指紋』は初版が1995年なので小さいころではない。もっというと、この本はアトランティスが南極にあったと主張する自称ノンフィクションの本で、20歳の漫画家がこれを素直に元ネタにするとは考えづらい。田中芳樹ジュール・ヴェルヌの小説、アニメだと『トップをねらえ!』などもっとポールシフトを知るきっかけになりそうな作品はある。それでもドロピザがこの本を例示したのは、ワンピースに登場するポーネグリフに似たオブジェクトが作中に登場するからだという。ポーネグリフとは真実の歴史が古代文字で刻まれた石のことなのだが、この世の真相が暗号のかたちで刻まれた石という発想は、『神々の指紋』を読んでなければ思いつかないほど特異だろうか。

 私がこのように疑問をつらつらと書けるのも、ドロピザをテーマに記事を書くと決めて批判的な態度で臨んでいるからであり、ぼーっと動画を見ていると、「そうかもしれない」と思わせる説得力が確かにドロピザにはある。それは以下のコメントに見られるように、一つにはゆいまる(上記動画サムネの女性)のビジュの良さによる。

 

考察系ってテンポ良くバンバン話してかないとたるいな~ってなるのに可愛いから間も尺も持つのがすごいとこ

【ワンピースネタバレ】マジで分かっちゃいました。15 より

 

 これはドロピザを他のワンピース考察系ユーチューバーと比べたときの明らかに優れた点だ。彼らをワンピース考察界隈のトップに押し上げた要因の1つといっていい。ワンピース考察界隈は男性の比率が圧倒的で、それも軽快に話すというよりは、淡々と自説を発表する語り口のため絵面の面においてつまらない。対してドロピザは、ゆいまるというオシャレで可愛い女子大生を中心に据え、後方に犬を置き、適宜ゆいまるのワンピキャラのコスプレを挿入する徹底ぶり。なぜこんなことをわざわざ書いたかというと、ドロピザの頭脳であるりょうは間違いなくこれを計算してやっているからだ。

 初手に可愛い女を見せることで我々は魅了され、彼女の言う言葉を信用しやすくなる。そして彼女は淡々と賢そうな語り口で、作品内外の意外な要素同士を結び付けて考察を展開していくのだ。

 例として現在(2025年6月)ワンピース考察界隈でホットなテーマとなっているブルックと軍子の関係をドロピザがどう考察しているのかをみていこう。軍子とはワンピースの敵キャラであり、ブルックとは主人公ルフィの仲間だ。現在、どうやら軍子はブルックがルフィの仲間になる以前に仕えていた姫様だったのではないか、今の軍子は悪い奴らに操られているのではないかという描写が断片的になされ、なぜ2人は離れ離れになったのか、「かつてとある国の護衛戦団団長だった」としか情報のなかったブルックの過去がいよいよ明かされるのでは、と考察界隈を刺激している。

 

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 この問いに対しドロピザはまずブルック(Brook)という名前に注目する。曰く、ブルックはインスブルックハプスブルクといった城を意味するブルクに由来する。続いて、「一度死んでいるが悪魔の実の力でよみがえった」、「なぜか神の騎士団(筆者注:軍子が所属している敵方)の存在を知っていた」というブルックに関する情報を整理する。上述の護衛戦団団長という経歴や最新話の情報も併せて、「ブルックはかつてとある王国の護衛団長であり、そこを神の騎士団に滅ぼされた。軍子はその時の王女だった」と結論する。

 さて、インスブルックのブルック(bruck)はドイツ語で橋を意味するため、ドロピザは最初から間違えている。だがこれは些細なことだ。ハプスブルクのブルク(burg)は確かに城だから。重要なのは、ワンピース考察とは作中の要素と要素をつなげて一本の線にするその過程なのだ。軍子がかつて王女だったこととブルックが彼女に仕えていたことは作中で描かれた。ブルックがかつて護衛戦団の団長だったことも描かれた。ブルックが神の騎士団を知っていることも描かれた。だが、軍子がコロンという子どもを人質に父のギャバンを倒したことが、かつて軍子が神の騎士団にされたことを操られてさせられている構図だというのはドロピザの予想だ。この予想に説得性を持たせるため、ドロピザは他のシーンを引用し、「親は子を命がけで守る」というワンピース世界の鉄則を示す。さらに鉄則つながりで「尾田先生はアンパンマンが好き」というドロピザ内におけるテーゼを持ち出し、ブルックのデザインがホラーマンと、軍子とロールパンナちゃんとが似ていることを示す。さらに、ブルックが敵によって飛ばされた場所にあった魔法陣と、今回軍子が召喚されたときの魔法陣が同じ模様であるという事実を驚きを持って伝えている*2。さらに、ブルックと軍子が「不死身」である共通点からスリラーバーク編へと関連させ、ブルックが軍子たちの攻略法を見つけるのではと結論付けている。

 長くなってしまったが、つまりそういうことだ。この動画のタイトルは「ブルックと軍子まさかの○○です」であり、その焦点はブルックと軍子の関係だ。ただ連載された事実を話しているのは動画の前半であり、後半はドロピザがその事実からいかに遠いところの要素まで結び付けられたかを語っている。「尾田先生はアンパンマンが好き」というテーゼの根拠は、SBS(単行本の単話と単話の間に挟まれる読者質問コーナー)にて尾田がそう回答したからなのだが、この回答はふざけた回答だと私は思う。なぜなら「尾田先生はアンパンマンが好きですか?」というQに対してしたAではないからだ。

 本動画のドロピザの考察はブルック=城から始まり、姫を守る騎士→フェンシング→約束を守る、とキャラを深堀すると同時に、過去編やSBSの一見関係なさそうな要素と接合させ最後に今後の展開の予想へとつながっていった。この接合が遠い要素同士であればあるほど、かつ不自然でなさそうに見えれば見えるほど、考察が当たっているかどうかはどうでもよくなる。それはもはや考察の過程そのものを楽しむものになるからだ。

 

 本記事の最初で立てた問い「ワンピースを読んでいるといえるのか?」に対する答えはNOとなる。それはさながら同じ話に噺家が個々の解釈を上乗せして喋る落語のようで、「誰々のこの落語が聞きたい」ならぬ「ドロピザの考察がおもしろい」となっている以上、リスナーの目当ては作品ではなく考察なのだからワンピースを読んでいるとは言えない。とはいえ、禁止するほどのことでもないと私は考える。少なくとも作者にその権限はない。たとえ作者の執筆や気分がどれだけ害されていようともだ。考察というからなんだか高尚な響きがあるだけで、コマ1つの描写から妄想を広げるBLと本質は変わらないし、幼き頃の私に「ゾロは剣剣の実を食べたんだよ」と噓を教えてきた従兄とも地続きだ。「ブルックと軍子って昔は騎士と姫の関係だったっぽいな」と与えられた情報だけを読んで満足しない以上、考察は決して止まらない。

 

サムネ用

 

*1:なおこうした評価は登録者こそ少ないものの上質な考察を投稿するユーチューバーにも与えられている。例えば、おDんのワンピース考察

*2:こう書くと訳が分からないが、これ以上説明してもワンピース未読の方には余計訳がわからないので、とにかく、ドロピザが連載期間で15年以上も離れたシーンとシーンから類似点を見つけ出したということなのだ

最近のエロマンガがセックスしてもいい場所でしかセックスをしていない

 エロマンガにおいてセックスをする場所にはさまざまな種類がある。今回はこれに注目したい。というのも、2024年の売れたエロマンガを振り返ってみると、ラブホや男のアパートといったセックスをしてもいい部屋でしかセックスをしていなかった。車内やカラオケボックス、野外など、セックスのためでない場所でセックスをするインモラルな作品はランクインしておらず、ソープランドやラブホなどセックスのための部屋でセックスをするマナーを守った作品ばかりが並んでいる。この変化を捉えておこうと思う。

 

 2024年12月15日よりFANZA同人で配信された『完全同意型性風俗SS株式会社』から遡るかたちで上記の変化を辿っていこう。本作は週間1位、月間3位となかなかに売れている。ストーリーは独自のマッチングシステムを駆使して相性抜群の嬢を利用客に届ける風俗を描いたオムニバス形式のものだ。利用客は会員登録時に身長や体重、おちんちんのサイズなどを測られ、一番マッチング度合いの高い風俗嬢(作中での呼ばれ方はサポーターまたは社員)とプレイができる。本作において縦軸で登場する神崎明音は、第一話でマッチングした利用客とマッチング適合度98.7%を記録し、その男性とのセックスの虜になってしまう。退勤後もムラムラが収まらず店外デートに発展、最後には結婚し、お店ではできない孕ませセックス。二人は夫婦円満で幸せに暮らしましたとさ。

 本作で注目すべきはその安全さだ。神崎明音について斜めに見れば、女を快楽堕ちさせて最後は孕ませという陵辱の風味が漂うのだが、神崎が風俗嬢なのとマッチングシステムにより相性の良さまで確保されている点がこれを緩和している。そもそもタイトルからして、風俗なのだから「完全同意」に違いないのに、重言してまでこの点を強調している。さらに話と話の間にはこのSS(株)の福利厚生の充実が紹介され、風俗嬢の避妊管理もばっちりなホワイト企業なことがアピールされている。他方で、この話の構造が「風俗嬢を俺のチンポで堕としてガチ恋させて結婚してえなあ」という定番であることは巧妙に隠されている。

 

www.dmm.co.jp

 

 FANZA同人ランキング2024年人気順で2位にランクインした『絶頂リフレ-駅前の性感マッサージ店で○○になっちゃう女の子の話』は配信開始が2023年でありながら両年共に年間トップテンに入った大人気作品だ。こちらは女性が風俗を利用する話で、プレイを通して、ガチ恋とも違う自分が肯定される安心感のようなものを女性が獲得するストーリーが特長だ。女性向け風俗は確かに男娼のことをセラピストと呼ぶし、風俗で自己肯定感が上がることもあるのかなと譲歩してみるも、金で買った他人なんだから嫌な事されないのは当たり前で、それを肯定と解釈して幸せを感じる点にやっぱり風俗ガチ恋おぢと同じキモさを感じてしまう。しかしながら、そのようなキモさはヒロインの可愛さとポップな絵柄でかき消されている。

 2024年というか2023年から人気を博している『入り浸りギャルにま〇こ使わせて貰う話』もこの系譜に位置する。みなさんご存じだろうし、タイトルの通りの内容なので、あらすじは割愛する。この話は自分の部屋という安全圏に女の子がやってくる形式をとる。しかも連れ込んだのではなく、ギャル自らオタクくんの家にある面白いマンガを読みに来ているという罪のなさ。DVDルーティーンの女性に主導権があるバージョンといったところか。

 

 エロマンガが現実の法律に左右される度合いは、AVや風俗のそれよりも低いはずだ。にもかかわらず、ここ数年のエロマンガのセックスは閉じた領域でおこなわれることが増えている。FANZA同人年間ランキングの上位10作品を、セックスの舞台で分類してみよう。総集編は時期が長期にまたがるので今回は除外する。

 まずは2024年だ。

2024年ランキング

 『スパ・カイラクーア2』は2024年FANZA同人ランキングで年間総合1位を取った『パパ活はじめました総集編』と同じ作者の作品だ。「黒バンドをつけていれば女の子とエッチしまくれる夢のリゾート施設」スパ・カイラクーアに社長の紹介で訪れた主人公、森田が黒バンドをつけてスパ内で女の子とエッチしまくる話だ。スパ内では女の子たちが泳いでいたりしているわけだが、たとえ彼氏といたとしても犯してもよい。彼氏は催眠にかかったかのように知らんぷりをしている。あまりに非常識な空間に森田は作中で「素人の女の子とヤリまくれるってコンセプト」の「貸切りの風俗施設」だと解釈する。別の場面で社長から、サブリミナルによりスパ利用者を洗脳して云々とは語られるのだが、真実は明らかにされない。重要なのは、作中で青姦をしていたとしてもそこはスパという閉じた施設の中であり、かつ風俗のような施設だということだ。このように、2024年にトップテンにランクインしたコミックのすべてが、部屋の一室や風俗などセックスをしていい空間を舞台にしている。

 

 2023年から2020年までを同様に表にするとこうなる。

 

 

 5年間見るだけでもエロマンガの売れ筋の変化がわかる。2020年の作品におけるセックスは、電車内や空き教室、保健室、お寺の裏など公共の場所でもなされていた。それらはセックスをするための場所ではないため、登場人物は公序良俗に反していたことになる。反対に、セックスをしてもいい部屋だけでセックスをしているのは7位『おしかけ!爆乳ギャルハーレム性活』と8位『げーみんぐはーれむ』の2作品だ。ランクインした9作品中7作品が公共の場所でセックスをしていたことになる。9位の『今泉ん家~』の旅館の部屋は、セックスしてもいいところだが、女将に見られるというハプニングが演出されており、イケナイコト感を追加している。またセックスする間柄も、2020年の10位『L教会と異端者一家』は近親相姦、6位は彼女のNTRを描いており罪悪感があるし、1と5位の『カラミざかり』はBSSという不快さが売りのジャンルだ。

 余談だが、なぜ2025年現在に至るまで『カラミざかり』がメディアミックスされるほどの人気になるのかが今回の調査を通してわかった。2020年にランクインした『カラミざかり2』にはお祭り中のお寺の本堂の裏でセックスをするシーンがあり、セックス中にヤンキーが乱入してくる。現在からみれば、せっかくのセックスを中断させられるというストレスフルなシーンであり、またこの作品は強姦や近親相姦といった禁忌ド直球ではないBSSである。つまり今の時代にはちょうどいいストレスを描いた最後の作品なのだ。

 さてこれが2021年になると8位『清楚彼女、堕ちる』の多目的トイレとベランダぐらいで、2022年には7位『げーみんぐはーれむ3』と9位『もっと!ヤラせてくれる先輩』の2作品となる。ただしこの2作品はそれ以前と異なり、セックスをするにあたって「無罪感」とでもいうべき言及をするようになった。例えば『げーみんぐはーれむ3』ではカラオケボックスでセックスをする際、「いいんですか?こんな所で…」と躊躇する男に対し、「大丈夫だいじょーぶ」「このカラオケ友達がよくエッチに使ってるトコだから」と女も罪を負担している。また、後半のカーセックスは、大雨の夜に閑散としたスーパーの屋上であることが描かれている。一方で、9位の『もっと!ヤラせてくれる先輩』は校舎の裏でもセックスをしており、「無罪感」の言及はない。5位の『妊娠係 雁屋先輩と俺の孕ませ1ヶ月間』は学校内の人目のつくところでセックスをするが、作中において妊娠係となった男は学校内のペアの女子とどこでもセックスしてよいとされている。

 

『げーみんぐはーれむ3』より

 2023年になるとすっかりトップテンには「安全な場所」でしかセックスをしないマンガしか残らなくなった。唯一3位「オタク友達とのセックスは最高に気持ちいい」が講義前の大学の講堂でセックスをしているくらいで、その最中にはキャラたちが「大丈夫、誰もいない」、「(講堂の外を歩く学生たちの)声…普通に聞こえるな。こっちの声は…心配ないや…」(カッコ内筆者注)、「んふふ……♡今こんなことしてるなんて…誰も想像してないだろうねぇ…」と、バレてないことを何度も確認している。

 

『オタク友達とのセックスは最高に気持ちいい』より

 そして2024年にはもうラブホや風俗でしかセックスをしなくなってしまった。

 

 なぜなのだろうか。たしかに、2024年はエロのプラットフォームにおいてVISAの決済取引が停止され、DLsiteがジャンル名を言い換える自主規制なんかもあった。AVやエロマンガの世界でも甘サド、やわらかマゾといった女王様よりマイルドなS女が2020年ごろから人気を博している。だいたいこういう女は男潮を吹かせてくるので、みなさんも見たことがあるはずだ。自主規制は今に始まったことでもないが、そんな社会の流れを受けてストーリーもどんどん安全になっているのかもしれない。けれど、2024年のランキングの10位以下を見てみると、15位に『種崎かおり(39)、娘の代わりに同人AVデビュー』がランクインしており、危険なエロマンガが絶滅したわけでもない。もっともこれも野外でセックスはしていないので、これからのエロマンガは場所にこだわらなくなっていくのかもしれない。

今年はこういうの読みました2024

 元日から能登地震が起きたかと思いきや首相がゲルになったり、結局兵庫県知事は何をやったのかやってないのかわからないし、またトランプになったり、韓国で戒厳令が出されたり、相変わらず今年も何が起こるかわからないまま年の瀬を迎えました。2年前に亡くなったアントニオ猪木の名言「一寸先はハプニング」を思い出さずにはいられません。一方、私のこの一年はというと、良く言えば安定悪く言えば停滞の年でした。一寸先はハプニングも疲れそうですが、何キロ経っても同じ景色というのもそれはそれで退屈なもんです。どっちにしろ歩くことを止められはしないので、よそ見をしたり歩きスマホしたり、たまには座って本を読みましょう。なんとかタイトルにこじつけられたところで、各人が今年読んだ本の紹介です。

 

ぽわとりぃぬ

藤沢数希, 2015, 『僕は愛を証明しようと思う』, 幻冬舎.

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今年はこういうの読みました2023

 2023年も終わりです。ゴールデンウィーク明けにコロナが5類になり、いよいよコロナ前の日常を取り戻していこうと思ったら円安で物価がどんどん上がっていく。インフルも大復活を遂げて、一難去ってまた一難という感じ。

 ですが、どれだけ世界が変わろうと、ベッドの周囲半径3メートルは14歳の頃から変わっていないのが個人的なところ。人間、結局のところ自分の毎日が穏やかならそれでいいのよと冷笑してみたところで、それでも少しずつ何かが変わっていく。それが何なのかを振り返るには、読んだ本を振り返るのが一番。そんなわけで、毎年恒例の会員たちが今年読んだ本の紹介です。来年もよいお年を。

 

ぽわとりぃぬ

西村賢太, 2014, 『一私小説書きの日乗(第1巻)』,角川文庫

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ナビエ遥か2Tのエロ同人を実際にやってみた-エロマンガのエロいエロくないを分析する④-

 ナビエ遥か2Tは唾フェチという点で稀有なエロ漫画家だ。商業では抑えめだが、現時点(2023年夏コミ)までに制作した同人(同人名はヌルネバーランド)ではその全てにおいて唾液プレイないし顔舐め[1]が描かれている。管見の限りではあるが、唾液をここまで好んで描くエロ漫画家は、世徒ゆうきがたまに描いてはいるものの、見つからない。そんなナビエ遥か2Tの唾液プレイないし顔舐めを、私は実際に風俗でやってみた。本稿では、その体験をもとに氏のエロマンガを読んでみる。

 

目次

  • 1.ナビエ遥か2Tの作品歴
  • 2.私が実際にやった唾液プレイ
  • 3.読者の経験は読書体験にどう影響するか

 

1.ナビエ遥か2Tの作品歴

 まずナビエ遥か2Tがどんなエロ漫画を描いてきたかを辿っていこう。氏は現在、商業では主に快楽天で活動している。最新の単行本は『ヌルラバ!』。その名の通り積極的な美少女たちとヌルヌルプレイをしましたという作品が収録されている。ただし、ヌルヌルのもととして唾液が使われることは少なく、ローションが使われることもあれば、美少女からローションぽい汗がでるという設定もあったりする。唾液フェチや顔舐めは、ベロチューや耳舐めの一部くらいの薄い存在感だ。

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『完全自殺マニュアル』鶴見済著1993年(太田出版)

 これまでの人生自殺したいなんて思ったことのない俺が、周りにいる死にたがりの道化どもより先にマニュアルに目を通したことで、もうやつらのリスカやODのごっこ遊びをみても動じなくなる。これが本書を読む第一のメリットだ。

 さて、本書はタイトルそのまま、自殺についての方法、注意点等を紹介するものだ。首吊り、薬、飛び降り等メジャーな10種類とその他の方法が、苦痛や手間、致死度といった指標をもとに比較される。読んでみて驚いたのが事例研究の厚さだ。各方法について、成功例と失敗例がたくさんあげられ、なぜ失敗したのか、この死に方はよかったなど著者が批評する。これで死ねないのかとかこんなのでも死ねるのかという発見があり、自殺を実行するうえでの参考になる。ただし、この時の記述の仕方が報告書的ではなく、遺書の言葉や自殺に至る動機なども含めて叙述的に書かれるので、一気に読んでいると気が重くなってくる。

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『不完全マーブル』のコマ割りについて-エロマンガのエロいエロくないを分析する3.4-

 このスピンオフも本記事が最後。きいの現時点での最新単行本『不完全マーブル』の分析でこのシリーズを終わりとする。

 親記事にて調査したとおり、きいという作家は単行本を経るにつれ婉曲的な表現が多くなっていった。風景や身体の一部を切り取ってキャラの心情を暗示的に表現する。そういう語り方が得意な作家だ。『不完全マーブル』はそんなきいの現在の最先端なので、全二冊で指摘した特徴ももちろん表れているが、改めて指摘はしない。

 

  • ①日陰の詩
  • ②あきらちゃんはどうしてもチンチンをなめたい
  • ③あきらちゃんはどうしてもチンチンをいれたい
  • ④優惑
  • ⑤ヒメ♡ハジメ
  • ⑥turn
  • ⑦六月の雨の夜に
  • ⑧ビビッてねーし!
  • カサブタ
  • まとめ

 

①日陰の詩

 陰キャの女にいじめられっ子の男が罰ゲームでセクハラ発言したら、なぜか上手くことが進んでセックスができて、付き合えるようになった話。男に都合よく物事が進んでいくので、エロマンガらしい多幸感と万能感を味わいながら読んでいける。

 ちなみに射精はゴム射。ヒロインの可愛い挙動を愛でる読みをする作品で、射精の気持ちよさは最優先ではない。

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ウィル・アイズナー『コミックス・アンド・シーケンシャルアート』を読む⑤

 ウィル・アイズナーがマンガについて論じた『コミックス・アンド・シーケンシャルアート』。その文献紹介も今回で最後となります。

 今回扱うのは第7章と第8章。どちらもマンガ表現それ自体を扱うことはなく、第7章は社会におけるマンガの使用について、第8章は本書のまとめとマンガの未来について論じている。

  • 7章 APPLICATION(The Use of Sequential Art)
    • インストラクション・コミック
    • ストーリーボード
  • 8章 TEACHING/LEARNING Sequential Art for Comics IN THE PRINT AND COMPUTER ERA
    • コンピュータとコミック
    • コンピューターと作家の個性
  • アペンディクス
    • 10nies
    • ぽわとりぃぬ
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