小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

ロケットモンキーはNTRか -取られた女、所有ってた男、ビッチ―

 はじめまして、ぽわとりぃぬです。先日、名古屋で開催された新歓「マジメニエロマンガヨマナイト」に参加させていただきました。「田舎の表象」というテーマで時に楽しく脱線しながら語りつくしました。常日頃からエロマンガについてマジメに語らいたい私にとっては絶好の機会であり非常にエキサイティングな時間でした。
 
 さて、本稿では引き続きエロマンガについて少しマジメに考えてみたいと思います。テーマはタイトルの通り「ロケットモンキーNTRか」です。ロケットモンキーとはコミックホットミルクをメインに活躍しているエロマンガ家です。そしてNTRとは、とりあえずは、「主人公が恋人や妻を他の男に(性的な意味も含めて)奪われる、いわゆる寝取られの略語・隠語(byニコニコ大百科)」です。
 ロケットモンキー作品にNTRのタグが付くことは否定の余地なき事実です。しかし例えば彼の2nd単行本『純愛トリックスター』の帯には「ネトラレ??これでも純愛なんですが。」とあります。つまりロケットモンキー作品は「NTRっぽいけど、でもそうでもないんだよなあ」という印象を与えるものだといえるでしょう。この印象は、作品のコンセプトである「好きな人“以外”に犯されたい」ヒロインの存在に由来すると考えられます。このヒロインがいてNTR作品は成り立つのでしょうか。
 というわけでそんなNTRロケットモンキー作品についてこれから考えていこうと思いますが、その際の方向性が2つあります。1つが、本稿では、フランスのコキュ(cocue)や英語のcuckoldといった類似する外国の性癖と比較しない。もう1つが、谷崎潤一郎の『痴人の愛』やら『鍵』、紫式部の『源氏物語』といった既得権益を引っ張り出し、文学的歴史的に位置づけない。
 現前するNTRを現前する他ジャンルとの関係から浮き彫りにしたいのです。
 そしてここから本稿独自に、主に便利だからという理由で、NTRを寝取られやネトラレとは区別いたします。現在、様々なメディアで使われるこの3つは、使用者によって定義が異なり非常に混沌としてしまっております。本稿でどう区分するかについては以下の本論で説明します。

 
 NTRとは上述のニコニコ大百科の定義に従えば、単なる寝取られの略語であり、パートナーが人妻か彼女かは区別しないようです。
 しかし、エロにおいて彼女と妻は完全に別の存在です。
 なので、NTRを恋人(または友達以上)が奪われた場合、寝取られを妻が奪われた場合というふうに、便宜上本稿では区別します。そして本稿で主に扱っていきたいのはNTRのほうです。ロケットモンキー作品に人妻が少ないこと、人妻にくらべてNTRというジャンルが新しいものであるのが理由です。
 ただネトラレは少し事情が違います。主観ですが、この用語が示すのはジャンルではなくむしろ女のキャラと考えられます。ネトラレとは「パートナー以外とのSEXに罪悪感の無い女」を示しており、NTR・寝取られとは別の範囲を指す概念であるといえるでしょう。この場合ビッチとの相違が問題になります。脱線するので簡単に述べますが、ビッチがSEXを非日常、特別な行為と考えているのに対し、ネトラレ女はSEXを日常の延長線上と捉えています。SEXへのフラットな移行、これがネトラレ女の中心義といえるでしょう。
 性的な意味を含まないNTRおよび寝取られについてはよくわかりませんが、とにかく「主人公がパートナーを奪われる状況に、視点が一人称であれ三人称であれ、興奮する性癖」と考えられるでしょう。主人公に感情移入する人もいれば、神の視点で楽しむ人もいます。ちなみに、上述のコキュ(寝取られていることを男は知らない)には、コルナール(寝取られて男はショックを受けてる)、コルネット(寝取られても男が動じない)という類似ジャンルがあるそうです。
 さてこれらからわかるように、NTRの関係式の中心は「寝取られた男(女を所有ってた男)」です。愛した男性を他の女に奪われた場合、これを逆NTRといいます。また、式の中心に「寝取った男(女を手に入れた男)」を置いた場合、寝取り(NTL)になります。つまりNTRの中心は「奪われる」というマゾヒズムであるわけです。ちなみに、男が自分のパートナーを別の男性に差し出す、寝取らせ(NTRS)というジャンルもあります。

 NTRに親和するジャンルは何でしょうか。第一に挙げられるのがイチャラブです。イチャラブをフリとしてその後のNTRを際立たせるいわば王道です。NTRマゾヒズムの一種でありながらも、SMとは趣が違います。そして女性上位というわけでもありません。NTRに痴女はいません。ただしオルタナティブな属性としてビッチがあり、こちらは盛んに使われています。また年齢という観点からいえば、ロリがいません。これは単にロリとレイプ(すなわち男性上位性)との強固な結びつきによって、NTRの前提条件であるカップルが成立しにくいからでしょう。
 少しややこしくて申し訳ないのですが、ジャンルと属性という似通った言葉を出してしまいました。個人的にはジャンルは状況、属性はキャラ。「〇〇モノ」と語尾に付けて違和感がなければジャンルといっていいと思います。人妻モノや痴女モノなど市場規模のデカさによって1つのジャンルとして確立したパターンもあります。
 話を戻します。エロマンガにはヤるべきことが多く、20ページ前後の中で、ヒロイン紹介から始めて、起承(転)結を満たしつつ、「導入→ペッティング→本番」を駆け抜けないといけません。「がんじがらめ」の商品ともいえるエロマンガにおいて、作者の個性を表現する方法の1つがジャンル・属性の掛け合わせなのです。各作家が何と融合させたかをみていけば、NTRと親和性の高いジャンルがわかるでしょう。
 例えば、武田弘光(2014)『いま♡りあ』(ワニマガジン)はNTRモノの代表格です。収録作品は、寝取られの1つを除いて、NTRです。しかしながらすべて共通して、快楽堕ちを伴っています。これは武田弘光の持ち味であるアヘ顔を活かすためでもあるでしょう。
 他方、ちもさくの「NTR堕落論 前・後編」(コミック真激 2015年1月号.クロエ出版)では、最終的に取られた女がかつてのパートナーを足蹴にするところまでいきます。これは悪堕ちと呼ばれる、快楽堕ちの発展形です。
 このようにNTRと親和性が高いジャンルには快楽堕ち・悪堕ちがあるとわかりました。イチャラブはむしろ叩き台というべきであり、またロリや痴女とは相性が悪いようです。しかしビッチとはよく馴染みます。とりわけ重要なのは、快楽堕ち・悪堕ちにおいては取られた女を「堕ちた」と表現することです。堕ちたというからにはマイナスの結果なはずですが、しかしながら当の本人は幸せそうにみえます。
 ここである疑問を考えます。寝取られと浮気とは何が違うのでしょうか。単に結婚してるかしてないか、でしょうか。この疑問に関連して、寝取られモノにおける人妻のサブジャンルを1つ挙げておきます。それはビッチ人妻です。彼女は若いころはビッチでしたが、結婚を機に心を改め、今では清楚な女性となっております。しかし、過去の男と再会したことにより、本性が目覚め、目覚めた場面でたいていストーリーは終わります。参考例の1つとして挙げられる作品は「リミットブレイク」(水龍敬貞操観念0』.2014.コアマガジン)です。
 このビッチ人妻において重要なのは「ビッチ=本来の自分」という図式があることです。つまり寝取られを経て元の自分に戻ったということですが、これは上記の快楽堕ちと正反対といえるでしょう。浮気という字面から、している間は普通の精神状態ではないのが前提とされます。これが浮気と寝取られを分ける境界線なのでしょうか。


 エロにおけるNTRの位置をおおよそ把握したところで、いよいよロケットモンキーについて考えていきます。
 ロケットモンキーは、2013年に1st単行本『初恋デリュ―ジョン』(コアマガジン)、2015年に2nd単行本『純愛トリックスター』(コアマガジン)、最新単行本は2017年の『Primal』(コアマガジン)というふうに、現在までに3冊の商業本を出版しています。3冊全ての収録作を網羅的に詳述することは紙幅の都合上できないため、1つの代表作を取り上げることにします。またロケットモンキーはお猿の脳みそというサークルで同人活動も行っており、代表作に「ギリギリアイドル」ありますが、こちらには本稿では言及しないことにします。同人と商業は別物であるという立場をとります。
そして本稿で詳述する単行本は、『初恋デリュ―ジョン』です。初単行本であるこれの発展形、延長線上に『純愛トリックスター』は位置付けることができます。しかしながら、ロケットモンキーは『Primal』で大きく方向転換をしました。この単行本では、裏表紙に「この本には、ネトラレ要素はいっさいありません!進化するロケットモンキー作品集第三弾!」と書かれているように、前2作にみられたNTRっぽさはすっかりなくなっています。王道のストーリーを採り、純粋な画力、漫画力で勝負した単行本と考えられ、ロケットモンキーのキャリアにおいて重要で意義深い名作であることは間違いありません。ですが、本稿では割愛させていただきます。

 『初恋デリュ―ジョン』の収録作を目次順に並べるとこうなります(※番号は筆者による)。
①②③(以下❶)「ホントのアイツ プロローグ、前編、後編」
④「卒業しても…」
⑤「一人で平気」
⑥「ジョギングミセス」
⑦「キレイになりたい」
⑧「秘密のビッチちゃん」
⑨「脱いだらスゴイ?」
 このように「ホントのアイツ」以外は読み切り短編なので、計7編が収録されています。そしてデリュ―ジョン(Delusion)とは、欺きや妄想を意味します。
 帯の表紙側には、「ホントの私を知ってもらえたら……/いっぱい気持ちよくなれるでしょ?/本当に好きな人“以外”に犯されたい!そんな私を受け入れてくれるキミが好き」と作品全体のコンセプトが提示されています。
 また帯の裏表紙側にはそれぞれの作品のコンセプトも提示されています:
「ひとりはみんなのために!肉便器マネージャー(④)」
「ウブなガングロ&黒髪ビッチ(⑧)」
「奥様はショタエステに病みつき(⑦)」
「強引に搾りとっちゃうえっちな叔母さん(⑨)」
「旦那とジョギング中に寝取られる人妻(⑥)」
「無防備を装う黒髪クラスメイト(⑤)」
「などなど…(❶)」
 そしてこれらの下部には、それぞれを統括するように、「ロケットモンキー処女単行本、処女なのにBITCH(ビッチ)ビチ!」という文言が置かれています。しかしながら実際のところ、処女かつビッチを満たすヒロインはおらず、また明確に処女であったのも❶に登場するちゆだけです。本稿では、比較的よくある人妻モノでありロケットモンキーの個性が発揮されていないという理由から、⑥⑦⑧⑨を扱わないこととします。同様に④⑤も典型的なNTRであるという理由から扱いません。

 ❶にこそ「NTR?」と疑問の湧く作品、「好きな人以外に犯されたい」ヒロインが登場するのです。
 主人公はショウちゃん、ヒロインは前述のようにちゆです。ちゆはショウちゃんとの初デートの際、見知らぬ男たちからレイプされます。この時に初キスや処女など(ちゆ曰く「ショウちゃんにあげたかったモノ」)を全て奪われます。しかしこれがきっかけとなり、ちゆに「好きな人以外に犯されたい」という性癖が芽生えます。売春やAV出演を行うようになったちゆは、ダイさん(ショウちゃんの兄)を通じてショウちゃんに自分の性癖を伝えます。その理由は「ホントの私を知ってもらえたら/いっぱい気持ちよくなれるでしょ?」というもので、またその方法もショウちゃんの目の前でダイさんとちゆがSEXするというインパクトのあるものでした。しかしここからストーリーが大きく展開します。2人の予想に反し、ショウちゃんは「変態ビッチ」のちゆを受け入れると宣言します。そしてショウとちゆが結婚したこと、それでも変わらず好きな人以外に犯されていること、ちゆがショウくんと結婚してよかったと思っていることが提示されストーリーは幕を閉じます。
 では次に、ショウくんの心の動きについて述べます。ちゆの性癖を知った時点では、「ち ちゆ…/お前イカれてるよ…」と拒絶反応を示します。そして2人のSEXをみせられながら、目の前のちゆと自分が知ってるちゆ、どちらが「ホントのちゆ」なのか苦悩します。ショウくんの出した答えは、「どっちもホントのちゆ」、「俺がちゆと一緒にいたいだけだ!」というものでした。ちゆを受け入れると決意したものの、結婚後ちゆの乱交AVを見る際には、「ズキンッ」と心が痛み、「今だに少し慣れないけど…」と独り言ちます。しかし「ちゆがしあわせならそれでいいや」と締めくくります。

 ずばり、この作品はNTRでしょうか。NTRの中心が「奪われること」だとして、ショウくんは何を奪われたのでしょうか。初キスや処女でしょうか。ダイさん曰く、「お前(ショウくん)が初めての穴なんて一つもない」そうです。確かにちゆちゃんもショウくんに貰ってほしいと思っていました。しかし当然ながら、贈与においてはモノ自体の価値は全く重要ではありません。クラ交換やポトラッチからわかるように、贈与の目的とは相手との関係を維持し続けることだからです。2人の関係は維持されています。
 視点を変えてみます。ショウちゃんはちゆを「奪われた」のではなく、「所有できない」のです。では「所有する」とは何でしょうか。エロにおける所有。短絡的に考えれば、女を思い通りに出来る状態、言い換えると、男の欲望を無限に叶える女のことでしょう。この観点からは、想像に難くないレイプやイチャラブだけでなく、痴女やおねショタであっても、女は男に所有されているといえます。男性向けのエロ商品である以上、これは前提中の前提です。
 したがって、単に「所有できない」だけでは商品としてのエロマンガの形式が保てません。体裁を整える材料が必要です。そこで登場するのがビッチです。彼女は「所有」できませんが、代わりに「共有」することができます。ビッチは借りる、つまり一時的に「自分のモノ」とすることが可能なわけです。ちゆを繰り返し「ビッチ」と男たちが名指すことによってこのエロマンガは商品として成立します。ネトラレではこう上手くはいきません。SEXにフラットに移行されると、持つという実感がわきません。私たちが日常的な呼吸の中で、他人と空気を共有していると思わないのと一緒のことです。
 この理由からビッチの側面を付与されたちゆですが、別にNTRのような側面をもっています。この側面はショウくんの視点に添えばよくみえるでしょう。初デートの際、先に着いていたちゆはナンパされて困っていました。そこに来たショウちゃんがちゆを助けるわけですが、逃げる際に必要から手を握ります。映画を見ている間(この時すでにちゆはトイレで犯されている)も、この後のデートについてあれこれ(呑気に)計画しています。また、ちゆから「私がゴハン作ってあげようか」と提案されると、エプロン姿のちゆや、新婚のようなイチャイチャした会話を妄想し、ニヤニヤします。
 このようにショウくんからすると、それまで送っていた純愛が、ちゆの「ホントの私」によって壊されたとなるわけです。ショウくん視点の物語は確かにNTRです。それまで知っていた「いじめられていた俺に手を差し伸べてくれた優しいちゆ」を奪われた(と思った)わけですから。
 しかしながら、ラブコメのような日常と「ホントの私」の成長は同時進行であったわけです。「ショウくんと純愛するちゆ」と「変態ビッチのちゆ」は確かにちゆの中に同居していました。ショウくんが「所有」したかったのは「優しいちゆ」だったのでしょう。ダイさんのところに「堕ち」ていけば、このちゆは幼いころの思い出に由来する幻影として忘れることができました。ダイさんもそれを目論んでいました。ダイさんはちゆを「俺のモノ」にしたかったのです。
 しかしそうはなりませんでした。SEXの最中「変態ビッチの私の事は忘れてください」と涙を浮かべて笑ったちゆに「優しいちゆ」を見つけたショウくんは「どちらもホントのちゆ」と結論付けました。両方のちゆを認め受け入れたことで、ショウくんはちゆを「奪われる」ことはなくなりましたが、同時に「所有」できなくなったのです。それは結婚という契約を結んでも変わりませんでした。

 「純愛するちゆ」と「変態ビッチのちゆ」とは「好きな人以外に犯されたい」という性癖によって接着されています。その結果、ちゆは「純愛すればするほど見知らぬ人とSEXをする」という捻じれた存在になりました。結婚し2人の家もありますが、ちゆは誰のモノでもあり誰のモノでもありません。ショウくんはまだ乱交AVを見る時に心を痛めており、NTRの要素は最後にも残されています。しかしもし、ショウくんがこの関係に慣れきったとしたら、その後ちゆはどう名指されるのでしょうか。ビッチでしょうか、ネトラレでしょうか。それとも別の新しい何かでしょうか。


 エロマンガは膨張し続けながら変容し続ける厄介な世界です。理解しきるどころか全体像を把握することさえ不可能なのかもしれません。今回の寄稿では自分の知識不足を痛感しました。楽しかったけど。
 ドラゴンカーセックスでへらへらアウトローを気取ってるやつらとは次元が違うと自負してるけど、あいつらの次の段階って何なんでしょう。いけばわかりますかね。

 まあとにかく、最後までお読みいただきありがとうございました。