小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

金正日のかわいい嘘

 4月にこれからもがんばって活動していきます! みたいな感じで意気込んでいたのに、気が付いたらもう6月の終わりになってしまいました。私は竜宮城にでも遊びに行っていたのでしょうか。もし本当に行けたらそれほど嬉しいことはありません。

 冗談はほどほどにして、本題に入るとします。遡ること穏やかな風の吹く1年の中でもっとも出歩くのが快適であろう3月下旬、私は新宿の小さな映画館にて『太陽の下で』を見ました。ワイドショー等で紹介されていたので、タイトルに聞きおぼえがある方もいらっしゃると思います。この映画はロシアのヴィタリー・マンスキー監督制作の、北朝鮮のドキュメンタリー(のドキュメンタリー)映画です。

 ※以下、映画本編に関わる記述を含んでいます

  映画の主人公は8才の少女、ジンミ。平壌で父母と3人で暮らしています。彼女は優等生で、伝統舞踊のお稽古にも涙をこらえて励んでいます。織物工場のエンジニアである父と乳製品工場で働く母との食卓はとても穏やかで、朝鮮民族固有の食品で老化防止とガン予防に効果のあるキムチを、ジンミはおいしそうに頬張ります。

 ヴィタリー監督は祖国であるソ連の過去を見るために訪朝しました。何度も交渉を重ねて、ようやく撮影できた風景や生活は北朝鮮文化省の文化芸術部傘下の映画製作所の監督、作家と思われるスタッフ*1の厳格な指導による「演技」、または彼らのスタジオだったのです。上記のキムチの能書きも劇中のジンミと父親の「台詞」からの引用です。一字一句正確ではないので、私も文化芸術部の指導を受けなければなりません。

 やがてヴィタリー監督は当局の監視の目を潜りぬけ、隠しカメラでドキュメンタリーがつくられる過程を記録する方針へと切り替えます。舞台裏を覗いてみれば、現実との相違点がたくさん見つかります。ジンミの父親は、本当はジャーナリストです(ヴィタリー監督がジンミを取材の対象に選んだ理由のひとつはそれでした)がエンジニアという設定に、母親の仕事もあくまでそうキャスティングされただけです。会話には台本があり、仕草を含む応答も既にト書きとして指定されているのです。アドリブなんて許されません。作中で老兵が話す朝鮮戦争の武勇伝すら尺が決まっていて、話の構成には逐一指導が入ります。他にも多くの舞台裏が映っていますが、ぜひそれらは本編を見て確認していただきたいです*2

 上記の北朝鮮のドキュメンタリー(のドキュメンタリー)映画というまわりくどい言い表しかたにも、納得していただけたかと思います。これはメタドキュメンタリーなのです。メイキングドラマとでも言えばまだ微笑ましいかもしれないですが、「役者」たちの現実を鑑みると笑い飛ばすこともできません。

 ところで、平壌が「演劇」をするのにいかに優れた舞台であるかということはすでに都市論や建築関係の見地から指摘されていることです。最近だと「WIRED」に掲載された『北朝鮮の首都は、かくも鮮やかだった。』というガーディアン紙のデザイン評論家が書いた記事があります*3。ここで書かれているとおり、現在の平壌の景観を形成するのに大きく関わったのが故金正日です。

 ざっと編年体的に見てみると、朝鮮戦争で荒廃した平壌復興のマスタープランができたのが1953年。ソ連の協力のもと、徐々に整然とした都市の原型ができていきました。60年代からは平壌大劇場を初めとした伝統的な建物の建造も始まり、70年代には革命の史跡、戦跡の整備が進められました。平壌の都市改造にとって重要な時期は80年代で、主体思想塔や人民大学習堂のみならず、平壌第一百貨店、万景台議事堂、万景台学生少年宮殿もいってみれば同世代の建造物です。他にも千里馬通り、光復通りといった主要道路も敷設されており、ここで景観はいったん完成したとみてよいでしょう(五十嵐,  2006:230-232P)。

 金正日は建築にこだわりがあったようで、主体思想塔や凱旋門のコンペでは自ら優秀案の選考をしました。デザインのアドバイスもしていて、主体思想の研究を行う過程で『建築美術論』(1991)を発表しています。彼はそのなかで建築を建築家が個性を表現する勝手な作品ではなく、集団のために存在し、主体思想というイデオロギーを伝えるためのメディアという見解を述べています。

 平壌の美しいランドスケープを疑似体験してみましょう。Google マップで人民大学習堂から対岸の主体思想塔を望むと、屹然たる塔の背後にある左右のビルがシンメトリーと奥行きを強調しています。人民大学習堂の前には金日成広場があり、ここではマスゲームの練習が行われます。川を挟んで一直線に並ぶ構図は朝鮮革命博物館と党創建記念塔にも確認できます(同上書 228P)。Google マップが3D表示できないのは残念でしかたありません。

 このように平壌には欧米の古典主義の影響による荘厳な建物と「朝鮮式」と呼称される古風な外見をした建物が同居しています。もし共産主義のみを方針として街並みを整備したら、欧米の模倣になったでしょう。ややもすると阻害要因になりかねない朝鮮式の必要意義を知るためには、前述の『建築美術論』の目次をたずねる必要があります。

 2章「建築と創作」の2節の表題は「建築をウリ式で創造しなければならない」、4節は「建築創作において、民族的特性と現代性を正確に結合しなければならない」です。ウリ式、というのは朝鮮式の同義語です。ウリ式に基づく建築は平壌大劇場のほかに人民大学習堂があります。このデザインは金正日の肝いりです。人民文化宮殿も同じ様式ですね。どちらも「人民」が名前に含まれています。金正日主体思想を建築、ひいては平壌ランドスケープに持ちこむ過程で朝鮮式の建造物は必要だったのです。

 上記の建物に限らず、北朝鮮の建物は様式や用途は違うにせよ、ある共通点があります。それは全てが公共的だということです。バシュラールをして世界の中のわれわれの片隅、または最初の宇宙(コスモス)であると表された家庭、つまり住居ですら法という理性の観点から見ても「集団的所有物」として個々人の不動産と見なされず、団欒の場という感情の観点から見ても壁を見上げれば金日成・正日親子が四六時中ほほえみ、介入して一家の時間と空間の独占を許さないのです。

 そもそも家庭は我々にとってどのような空間なのだろうかと考えてみれば、レルフの言葉を借りると「プライベートで個人的な場所」と表現されます。卑近な例を挙げると子供部屋が該当します。プライベートな場所は誰かと共有される必要はありません。すぐれて主観的な記憶と意義がそれを比定するのです。特に幼少期にそのような場所を得ることは重要で、のちのちある人にとってのよりどころ(レファレンス・ポイント)となるのです(レルフ, 1991: 63-64P)。人間にとってよりどころを持ち、任意の土地に根付くことは近代以前では無意識に行われていたように思えますが、現代では難しくなっています。

 全てが公共的である、ということも考えてみましょう。そもそも公共的(パブリック)とは「共通の経験と共通のシンボルや意味へのかかわりを通して創造され周知される」場所を形容する言葉です(同上書 60P)。さらに詳しく知るためにまとまった引用をします。

別のタイプの「公共の場所」もある。それは、はじめは人間集団という形では理解されないが、「場所性」というその場所の物質的あるいは象徴的な特性によって理解される。……交差点、中心点、または焦点、自然的または人工的なランドマークは、それら自体に注意を引き付けようとするだけでなく、それら自体が何らかの形で周囲から抜きんでた場所であることを主張しようとする。それらの中心性や形態の明快さ、目をひく大きさ、珍しい建築形態、または特異な自然的形態のために、あるいは、英雄の誕生や死、戦役、条約の調印といった重要な出来事と関係していることのために、これらの場所は「高いイメージ性」を持っている。……モスクワの赤の広場、ナイアガラの滝、アクロポリス、そのどれもが、時々の流行と政治体制や信条のいくたびの変化を乗りこえて、世間の注目を集め続けたのである。(同上書 60-61P)

 平壌という具体例を知った私たちにとってこの文章はたいへん理解しやすいものです。前述の建造物はまさしくランドマーク的で、「高いイメージ性」を持っています。市街地の全体図を俯瞰すると、道路の配置がいかに人工的であるかもよくわかります。政治体制や信条が変化せず、むしろ強化されている平壌がいかに「公共の場所」で満ちているかは実際に行かなくても想像、理解に難くありません。そして、公共の場所が壮大かつ記念碑的になればなるほど、市民の個人的な場所はつまらなくなるのです(Robert Goodman, 1972: 143P)。グッドマンはそのような場所をオフィシャル・パブリック・プレイス(官僚的な公共の場所)と呼びました。平壌のためにあるような言葉ですね。人々は小さい頃からマスゲームなどを通して家庭、地域といった実存空間を通り越して認識的空間に直接根付かされることになります。レルフは認識的空間を「深い考察の対象としての空間についての概念規定と、それに関する理論を発展させる試みとから導き出された空間の抽象的な構築物からなる」空間と定義しています(レルフ, 1991: 41P)。ここでの「……概念規定と、それに関する理論」には主体思想を代入することが可能で、そのための抽象的な構築物こそ先に羅列した建造物群です。思想を体現化した空間に人々を植えて育てれば確かに党が求める思想を抱いた国民が出来あがりますが、そこは「プライベートで個人的な場所」ではありません。共有されることを強いられているからです。独自のエピソードを持てない北朝鮮の国民は、必然的に誰もがレファレンス・ポイントを持ちえないのです*4

 レファレンス・ポイントの消失は、西側諸国では資本主義の氾濫によってもたらせれました。「その場所の物質的あるいは象徴的な特性」である「場所性」の消失、つまり没場所性が世界各地に広がり、現在進行形で世界中の景観を画一化させているのです。日本でも、三浦展がどの幹道沿いも似たようなロードサイド店舗が軒を連ねる景観になっていく傾向を「ファスト風土化」と名付けています。ここから分かるとおり、日本をはじめとした資本主義国で景観を支配しているのは、何よりも先んじて広告であり、その依頼主である企業です。高層オフィスビル、郊外分譲地、ホテル、マンション、テーマパーク、ショッピングセンター、小売店舗、広告塔、美術装飾などは企業が占有しているのは皆さんも体感しているかと思います(レルフ, 1999:186P)。企業が開発をする過程で景観はさまざまな様式のコスプレをします。浦安の欧米の要素を抽出したテーマパーク、京都の町屋の擬態をしたどこにでもある土産物店。卑近な例を挙げるとそんなところでしょうか。

 様式のコスプレがもっとも分かりやすい空間は、おそらく観光地だと思われます。私たちが観光をする際に気にするのは、寺社であれば建立された年とか関わった人間で、最近だとフォトジェニック、インスタジェニックな景色です。そのような景色が好まれるのは他者の反応をより多く得られるからです。つまり、私たちは観光地を抽象化(数値化)してみることを無意識のうちにしてしまっている。観光客の思惑を再帰的なまなざしとして得た観光地は街並みを商品化し、さらにその純度を高めるために京都ならば京都らしい、海沿いなら「海」という共通項を手掛かりにしてハワイ、グアム等々の南国の要素を纏うのです。こうしてできた、いってみれば偽物である景観に私たちは弱いです。ボードリヤールが言った「消費される物になるためには、物は記号にならなくてはならない」ということは、逆説的に考えるとより記号化が進むとより消費もされやすくなるということであり、記号とは常に本物ではないのですから。

 翻ってみると、平壌は実に観光しやすい街であることが分かります。なにしろ建造物はどれもこれも主体思想という記号を顕在化させています。党創建記念塔はその極致です。ハンマー(=労働者)、鍬(=農民)、ペン(=インテリ)というアイコンを、そのままモニュメントにしているのですから。上記の大同江を挟んで向かいあうランドスケープも非常に明快です。

 しかし、やはりここで朝鮮式(ウリ式)に対する疑問が湧きます。景観からしてみると、これは浮いてみえるのです。たとえ主体思想を建築に反映させるとしても、なぜ「民族的特性」にこだわったのか。

 やはり、この疑問を考えるヒントも私たちが慣れ親しんだ西側諸国にあります。建築におけるポストモダニズムは1970年代初頭から出現しましたが、そこでは古い建物に目が向けられ、旧様式の要素が意識的かつ選択的に復活されました。けっしてこれは建築物単体の傾向ではなく、まちづくりにおいても意識された「姿勢」です。街並みの多様化という側面もありますが、それは「イメージ工学的な擬態の一部」になる可能性もあります(レルフ 1999: 238P)。

 私が実際に見聞きした例をひとつ提示しておきます。慶應義塾大学三田キャンパス東館は2000年にできた新しい建物で、桜田通りに面しており、東門の役割も果たしています。隣り合うビルと比べてもレンガ造りの見た目でよく際立っています。これは図書館旧館に合わせたデザインになっているのですが、ある講義で聞いたところ、建造する際に評議員会などで旧館に対する侮辱だという反対意見も出たそうです。結局、図書館旧館の「オマージュ」であるデザインになりました*5

 これをキッチュだと笑うでしょうか。この話を聞くまで、私は来るたびになんだか立派で威厳ある建物だなあと感心していました。多分に観光的視点、景観の動物的消費が混ざった感想ですが、背景を知っているかよっぽど義塾が嫌いでない限り、最初に見たら多くの人がなんらかのプラスの意見を持つはずです。ここに皮相的な外観の目論見は成功しています。レルフはこのような試みを「かわいい嘘」と呼称しました。たとえ伝統に基づいていない、経済と多大なデザイン労力の産物であるポストモダニズムであっても街並みの多様化には寄与しています(同上書 286P)。

 私は平壌の朝鮮式も同様の試みではないかと考えます。確かにそれは「民族的特性と現代性を正確に結合」するためのものかもしれません。しかし、既に書いたとおり平壌朝鮮戦争で破壊されたので、建築を景観を構成する要素という観点で見れば結合しようがありません。そういった意味では、まだ欧米諸国や日本は再接合する過去があるので恵まれていますし、一見すると嘘も本当のように思えます。平壌には、そういう過去がない。そこから無理矢理統合を目指すためには、「朝鮮式」という「伝統」を新たに造るほかなかったのです。ランドスケープという面で見れば、確かに統合は図れています。しかし平壌大劇場も人民大学習堂も人民文化宮殿も、すべて皮相的です。皮相的だからこそ、金正日の思惑は景観に適切な効果を与えています*6

 北朝鮮の健気な取り繕いを、私たちは笑うことができないはずです。ここまで読んでくださった方は北朝鮮の景観と、資本主義諸国の景観が媒体にしている思想、方針こそ違えど似通った戦略で形成されていることが分かったと思います。そして同様に、そこに住む人々も知らず知らずのうちに似通るのです。ジンミはラストシーンで将来の夢を聞かれて何も答えられず、一筋の涙を流します。主観的な記憶を奪われた、レファレンス・ポイントを得られず画一化された人民の苦悩がその一粒に詰まっているように思えます。同様に私たちも記号の氾濫した街に住み、その中で孤独にならないために必死に「キャラ」という鋳型に自分をあてはめながら生きています。それは表面的には個性と呼べるかもしれませんが、ほぐしてみると既存のキャラクターの集合体でしかないことが分かります。

 今回は都市という演じる舞台について書きました。次回は市民という演じる役者について書きます。なるべく間隔を空けないよう、善処する所存です。

 

 

・参考文献

五十嵐太郎 『美しい都市・醜い都市』2006年 中公新書クラレ

エドワード・レルフ(高野岳彦・阿部隆・石山美也子訳) 『場所の現象学』1991年 筑摩書房

エドワード・レルフ(高野岳彦・神谷浩夫・岩瀬博之訳) 『都市景観の20世紀』1999年 筑摩書房

Robert Goodman "After the Planners" 1972 Penguin Books(サイト上のPDFで閲覧:閲覧日 2017年6月28日 サイトURLhttps://kok.memoryoftheworld.org/Robert%20Goodman/After%20the%20Planners%20(64)/After%20the%20Planners%20-%20Robert%20Goodman.pdf)

 

 

*1:パンフレットの簡単な背景説明より。本編では淡々と無名の男たちとして仕事をしています

*2:私が書くのを怠けたせいで現在上映しているのは仙台の映画館だけのようです

*3:http://wired.jp/2016/01/14/north-korean-interiors/#!/galleryimage_1

*4:独自のエピソード、つまり自己物語を持てないことが心理学の面から子供の発達にどのような影響を与えるかも考える余地がありそうです

*5:ちなみに東館には「1858」と「2000」という数字が刻まれています。これは慶應義塾の設立年と東館の竣工年です。北朝鮮凱旋門にも「1925」と「1945」という西暦が浮き彫りされています。数字合わせによるシンボリズムは意味や物語を与える装置として建築に数字を活用した好例で(五十嵐, 2006:229P)、同じ技法を慶應北朝鮮が使っているというのはなんとも面白いことです

*6:引用したWIREDの記事では段々とカラフルになる=資本主義化する景観に焦点があてられています。もしかしたら彼の嘘も、だんだんと剥がれていくかもしれません