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小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

売買春の女衒

 すでに3ヵ月ほど前になってしまいましたが、横浜市中区で行われた「私たちは『買われた』展」に行きました。インターネット上でも話題になっていたので、名前を聞いたことがある方もいると思います。貧困で苦しむ若い女性を支援する一般社団法人Colaboとそのつながりでできた少女たちによるTsubomiが主催したこの企画展では、実際に買春された少女たちの体験がパネルで淡々と並び、各々に沿った写真が合わせて掲示する形式をとっており、パネルの撮影、体験の内容のメモは禁止されていました。来られた方を見ると、男女比は少しばかり女性が多く、年齢層は幅広かったです。展示物にはほかに少女たちの記した日記や複数人で制作したアート(と言い表してよいか判断しかねますが)もあり、狭いギャラリーながら密の濃い内容でした。

 

 この企画展の名前の由来は、主催した少女のひとりが「売ったというより買われたという感覚だった」と打ち明けたことから来ているそうです[1]。確かに彼女たちの各経験を鑑みるとそういう面が強いのには頷けます。しかし、売買春において買われる少女と買う男性のみを問題視することでこの問題の解決に繋がるのでしょうか。

 かなり時間を巻きもどしますが、戦前、戦後直後の日本における少女(12~18歳程度)の扱いは現代と比較して法制度や社会の慣習で見るとかなりひどいものでした。童謡『赤とんぼ』の歌詞にも「十五で姐やは 嫁に行き」とあるように、当時(『赤とんぼ』の発表は1921年で、作詞した三木露風の幼少期の回想であることを加味すると19世紀末)は嫁にしろ女中にしろ10代で家庭内の立場、夫や雇い主に対する性的な奉仕を強いられてもおかしくありませんでした。繰り返しますがこれは当時の「常識」です。現代の常識とは差異があって当然です。とはいえ、精神的負担は察するのに限度があるにせよ、肉体的負担は大きかったのではないかと思われます。

 日本の売買春事情に変化が起きたのは戦後になってからです。1947年に公布された児童福祉法では18歳以下の児童に淫行させる行為、淫行に至るおそれのある者に児童を引き渡す行為、及び児童の年齢を知らないことを理由に刑を免れることを禁止しました[2:123P]。当時の児童買春は貧困による親が主導する身売り、有力者に対する「贈答品」といった戦前の遺風が色濃く残っていました。女性が少女との性交渉を仲介するのが横行していたのです。これも現代では信じがたいです。完全になくなってはいないかもしれませんが。

 売買春に関する法律では、1958年に施行された売春防止法が代表的かもしれません。これは少女だけではなく、売春をする女性すべてを保護の対象としていたのですが、あくまで人としての権利保護、社会秩序の改善というのはきれいごとで、当初の背景には売春婦への憎悪が強くありました。そして憎悪を抱いていたのは同性である婦人委員だったのです[2:145P]。のちのちこの法律は制定される過程で売春婦の「処罰」ではなく「更生」を目的とするようになり、執行猶予付きの刑に課された場合には補導として適切な指導を行なうことができるような内容になりました。

 ごく簡単に法の観点から戦後の少女の売買春に対する対策を見ていきました。ですが、いくら法を調べたところで売買春の実態は掴めません。売買春は公娼と違って、女性と男性の個人的なやりとりなのです。そこで考慮すべきなのはシステムではなく各人の感情、思惑、志向(もしくは嗜好)です。

 教育が少女のおおまかな思想の方針を変化させたのは言うまでもありません。日本 の高校で共学が一般的になったのはGHQの司令を受けてからでした。前記の売春自動法(GHQの肝煎りということならば勅令9号が該当)にも通じる女性の権利向上を目的としていましたが、これは性産業とは違って公序良俗の維持、犯罪による治安悪化といった火急を要する事態に直面した日本が必要に迫られて導入したというよりは、江戸末期の開国のようなものでした。当時の政府にも共学を認める姿勢はありましたが、それはあくまで「認める」だけで、それを重んじるわけではなかったのです[2:184P]。この及び腰な教育改革は年頃の男女が同じ環境で学んだらどうなるのか分からないという風紀上の問題による姿勢でした。しかし想定された「問題」はまったくの杞憂ではなく、現実的なものだったと言えます。実際、1975年には全国で女子中高生の売春が明るみになっています[2:188P]。

 ここで重要になるのは少女の否応なく成長する肉体を主観的にどう見るか、客観的にどう見られるか、という点になるでしょう。これに関しては考えると脱線してしまうので、簡潔にまとめた一文を引用しておきます。

少女たちはオナニーを知ると同時に、いやむしろ、性に目覚め自らオナニーに手を染める以前にオナニーの対象として目覚めさせられるのである。[3:152P] 

  男女の性的発達には差がありますが、着目すべき点はそのなかでのオナニーが登場する順番です。『青少年の性行動』の調査では(引用元[4]に何回目かは書かれていませんが、刊行の時期からして第3回=1987年のデータだと思われます)、男子は最初に性的関心からはじまり4番目にオナニー(資料ではマスターベーション)が登場するのに対して、女子は最後から3番目、しかもその次は「異性の体に触った」―「性交」のため、独自の性的関心の探求の終点になっているのです。

 この過程を「通常の発達」とすれば、80年代から散見されるようになった10代の少女に向けた雑誌に掲載された性知識を紹介するコーナーは、例えると精神的な環境ホルモンでした。国会議員が過激な少女雑誌の記事に対して規制すべきであると声を上げたのは1984年2月14日、それから『ポップティーン』や『キッス』といった代表的な雑誌があらかた休廃刊しました。しかし、なかには「軌道修正」することで規制を逃れようとしたのです[4:178P]。文献に載っている当時の記事を逐一引用してもキリがないのでここでは割愛しますが、それらの共通項は男性との性交を前提にしているということです。体験談でも、「HOW TO」でもほとんどが性的なテクニック、またはその実態があたかも性教育のような形で記事になっています。オナニーの「HOW TO」もあるにはありますが、比較してそれは微々たるものです。ただし、少女雑誌の性に関する記事の氾濫が中高生の性体験に変化を与えたかというと、そういうわけでもありません。実際1990年に『ポップティーン』が行った調査と1981年に日本性教育会が行った『青少年の性行動』を比較すると、その割合に歴然たる差は見られません[4:192P]。とはいえ、文献の著者も指摘したように、性に関する情報量は10年間で大幅に増加し、その媒介も同様に変化しているので単純には結論を出せないのです。また、ここで注目すべきは25年以上前の記述のなかに、既に現代の若者を取り巻く環境の影が見受けられる点です。

経験概念の変容が生じているのだ。直接経験の時代からメディアを介した間接経験の時代への移行である。……間接的であることが、人間にとってこれまでより快であるという現実を知り、そこで充分生きられるということが分かったとき、子どもたちはまっさきに今までの場所を捨て始める。……性に議論を戻せば、……射精やオルガズムだけが自分の身体的な帰結として確認できるだけで、あとのすべての性行為のシチュエーションは文字や映像や音などのメディア情報と想像力が協力して完璧に作り上げてしまう。[4:194‐195P]

  上記の説明は男性の性的なコンテンツから考えると納得できます。想像上のセックス、そしてそれを介助するオナニーマシーン、やや上品な呼称をすれば独身者機械の劇的な発展が80年代から始まっていたのです。

 では、少女のための独身者機械は技術発展を成し遂げたのでしょうか。もちろんしたはずです。それは語義どおりの機械と、比喩としての機械の双方で行われたと思いますが、そもそも前提として少年のほうが独身者機械に依存しやすく、少女は「直接経験」を求める傾向があるのではないでしょうか。これは少女にそういった志向があるというよりも、求めようと思えば簡単に手に入るといったほうが適切かもしれません。なぜなら、彼女たちは「自らオナニーに手を染める以前にオナニーの対象として目覚めさせられる」のですから。

 「間接経験」の急増は「直接経験」の必要性を低下させました。それらの合計量は不変ではありませんが、ある程度の反比例の関係にはあると考えられます。つまり、「直接経験」、言い換えると「関係性の貧困」[5]に直面する人が出てくるのです。これはけっしてすべてがメディアの一次的な原因によって引き起こされるわけではありません。家庭内不和、学校でのトラブル……そこにはメディアがもたらす情報、もしくはSNSによってつくられた火種があります。その最中で孤独になった少女に手を伸ばすのがいわゆるJKビジネスの経営者、そしてその顧客です。歪んだ「直接経験」はいつのまにか能動的になり、少女の生活を規定してしまうこともあります。それ自体に捕らわれるのではなく、過程で発生する金銭が枷になるのです。

 現状をどのように解決すべきなのでしょうか。少女を保護し、援助交際等を取り締まるのは言うまでもありませんが、それでは根本的な解決になりません。「オナニズムが、オナニストの視線が、少女たちを年齢にかかわりなく、性的対象となし、少女たちを目覚めさせ、思春期へと誘う」[3:156P]ことを断絶すべきでしょうか。それは、現実的ではありません。少女に対する視線は芸術にも犯罪にも発展し得るものです。これをのべつまくなしに廃絶することはかえって危険とさえ思えます。

 男性と女性の性的な関心、感情には差異があります。いわば性欲にもジェンダーがあるのです。性欲をひとまとめにして、各々の背景をいっさい無視し現在の性にまつわる問題に取り組むのが原因とすれば、私たちは性欲を実体にぶつけるべき時、ぶつけるべきでない時を分別しなければなりません。ここで有効なのは「メディア情報と想像力」ではないでしょうか。むなしい結論かもしれませんが、間接経験=虚構を突き詰めた先に円滑で平和な現実が待っているような気がします。現実を漂う「女衒」への対抗策のためにも、それらを殺しうるだけの非現実を待ち望みたいところです。まあ、これはあくまで男性の、しかも「直接経験」を得られない男性の所見でしかないですが。

 

 参考文献

1 私たちは買われた展:女子中高生の体験、パネルに表現して - 毎日新聞(2017年1月10日参照)

2 若尾典子『女性の身体と人権』 2005年 学陽書房

3『少女論』 1988年 青弓社より 金塚定文『眠らぬ都市の少女たち』 

4『少女雑誌論』 1991年 東京書籍より 芹沢俊介『少女たちの迷走する性――性のマニュアル化がもたらしたもの――』

5 仁藤夢乃『女子高生の裏社会「関係性の貧困」に生きる少女たち』 2014年 光文社

 *仁藤氏はColaboの代表理事であり、この本でまとめられていることが今回の企画展の下地になっていると思われます。現代の少女を利用したビジネスの理解の糸口になるはずです。