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小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

なぜ「小文化」?

10nies 学会紹介

 「活動展望」で9月中に最初の記事を投稿するとしてからはや一ヶ月。今日は9月30日です。いちおう、間にあったといえるのでしょうか。思ったより忙しくてなかなか活動できずにいましたが、新学期も始まって一週間経ち、ようやく正規の生活リズムを取りもどしてきたので動いていこうと思います。

 当記事ではサークル名の由来についてご説明しようと思います。

 

 会則にもあるとおり本会は愛好家によるサブカルチャーの研究を通じて当該分野の発展を目的とする[当会会則第1章2条]わけですが、当会はサブカルチャーの訳語として「小文化」を用いています。まずはここでいったん、サブカルチャーを辞書で調べてみましょう。

 ある社会に支配的にみられる文化に対し、その社会の人々を担い手とする独特な文化。例えば、若者文化・都市文化など。副次文化。下位文化。サブカル[三省堂 大辞林

 「大辞林」では日本語訳として下位文化、副次文化を用いているようです。どちらもsub-の逐語訳です。もう一冊辞書を使って調べると、このような記述があります。

 社会の中心となる支配的な文化に対して、その社会の内部にある集団の持つ独立した文化のことで、下位文化、部分文化ともいう。支配的文化にとって周辺的と考えられる集団の属性を実体化したもの。1960年代後半、アメリカの少年非行研究においてサブカルチャーの概念が用いられ、その後60年代の青年文化を指すものとして普及した。また特定の階層やエスニック・グループ(民族集団)の固有の文化に対しても広く用いられるようになった。そのうち規制の価値体系に対する否定を強め、中産階級的な生活様式を拒否し、挑戦的な態度で新たな意識改革を迫ったものはカウンターカルチャーcounterculture(対抗文化)と呼ばれ、人種問題の激化、ベトナム戦争の泥沼化、大学紛争などを背景に起ったヒッピー現象がその典型である。[ブリタニカ国際大百科事典]

  新たに部分文化という訳語が登場しました。これも「下位-」や「副次-」ほどではありませんが、逐語訳的です。また、その出現経緯に対抗文化という概念も出てきました。主流となっている文化に対する文化。これがサブカルチャーの根幹にあるようです。これが最初に具現化したのが60年代の若者のファッションだったというのです。当時の若者、特にいわゆる「非行」とよばれた集団はどのような特徴を持っていたのでしょうか。

 「ハンブル・ライオン」にあわせて「ステップ」する若い黒人達は、さらにアフリカらしい「本当の」イメージを抱き始めた。ポーク・パイ・ハットが姿を消し、代って、ざっくり織った「タム」が出現した。(中略)ルード・ボーイの短い頭髪はすっかり伸び、激しく解放されて、民族固有の「アフロ」のちぢれ毛になり、「ロック」や「ノット」に編みあげられた。(中略)少女たちは、髪の毛のちぢれをのばすことをやめ、短いままか、あるいは心を抱くアフリカに捧げる髪型として、込み入ったアラベスク模様に編みあげた。[1.68P]

 これは70年代の事例ですが、当時の欧米において主流だった白人文化に対抗する文化として集団化したサブカルチャーが認められます。いわゆるラスタファリニズムがレゲエ音楽と結びつき、さらに思想と相互的な影響を与えた結果、このようなファッションが生まれたのです。

 この文化の担い手は50年代に渡英したジャマイカ人(黒人)でした。移民1世は白人文化と自らの文化を折衷させ、独自のメロディが流れる世界で生きていました。対して2世は「黒人」という自らのルーツに強い帰属意識を見せます。少女が縮毛矯正をやめたのもそれの現れといえるでしょう。

 英国で生まれ教育を受けた二世たちは、親たちと違って、与えられた下位の社会的地位と狭い選択を甘んじて受けようとはしなくなり、自分たちの黒さについて、多くの人々が信じている定義を疑わずに放置しておかなくなった。レゲエを中心にして、そのまわりに、別の文化、別の価値観、別の自己定義が集合した。(中略)服装もまた、数年間にわたってつぎつぎ大変化をとげていった。(中略)白人社会で古くから言われる「一定水準への到達」を欲求していた。[1.64P]

  しかしこの欲求は叶わず、先に引用したようなファッションへと移行するのです。

 白人も対抗文化をつくりあげていきました。黒人のサブカルチャーが対抗したのが白人文化ならば、白人のサブカルチャーが対抗したのはブルジョワジーです。つまり、黒人のは平行的な対抗、白人のは垂直的な対抗といえます。

 白人の労働者階級はスキンヘッドと呼称される集団をまとめていきました。先立ってモッズなるムーブメントがありましたが、それが分裂して変化したのです。

 彼らの文化はラスタやレゲエによるものとは違い、さまざまな文化の「借用語」によって構成されています。「浮浪者らしさ」というコンセプトが先行していたためです。現在、欧米でスキンヘッズというと極右、ネオナチといった反社会的集団が連想されますが、これは貧しさ故に自らの持つ「白人」、ひいてはその「白人」による国家をアイデンティティとみなしているからなのではないでしょうか。

 少し話が逸れました。若者がサブカルチャーの集団へ混じる時、それは居場所がないと感じる時です。すでにこれは半世紀以上前から指摘されていたことです。

 労働階級のティーン・エージャーは、学校で落ちこぼれると、自尊心を救済できる代替物を求めて、暇な時間には不良グループに加わるのだった。仲間内では、まともな社会の中心価値である中庸主義、大望、法律の遵守などとは全く正反対の、快楽主義、権威への反抗、スリルの切望などが、重要な価値を持っていた。[1.110P]

 「労働階級のティーン・エージャー」でなくても、学校で思うようにいかなければ、他の集団に居場所を求めるでしょう。ところで、若者があるサブカルチャーに混じろうとする時、その情報を得るのはもっぱらメディアになると思います。SNSが常識のようになった今でも、それは変わらないはずです。メディアがサブカルチャーとみなされる各文化の形態を「記号」にし、大量生産されるものに変換する動きはすでにとうの昔に起こっていました[1.134P]。 若者が自らを規定するために徐々に定義としていったスタイルを商品化し、若者を対象として売りだす。この過程の中でサブカルチャーは標本にされてしまうのです。この時点で、すでに対抗文化としての機能は失われています。主流文化と等しく消費社会の一商品と化しているからです。これはほかでもないサブカルチャーに属する、もしくは属したいと欲する若者が自らの所属を示すためのアイテムを消費社会に求めたことによる結末です。

 日本においてはよりこの傾向が顕著なのではないでしょうか。私たちがもし対抗文化としてのサブカルチャーを持つとすれば、平行的だと着物でも着て雅楽でも聞くことになるのかもしれません(この貧弱なイメージ自体、無意識のうちに文化を記号にしています)。垂直的ともなると想像すら難しい。これから格差問題がより顕著になると、また変化するかもしれませんが。つまり最初から日本の「サブカルチャー」は本来の「サブカルチャー」とは本質的に違うのです。

 「サブカルチャー」を「サブカル」と略したときに、実は異なることを言ってるのじゃないか、と思うんです。「サブカルチャー」は下位文化ですよね。「ハイカルチャー」に対する「サブ」です。でも「サブカル」は下位文化ではない。「サブカル」というひとつのジャンルとしか言いようがない。[2.102P]

  つまり、辞書に載っている逐語的訳語は論文や海外におけるサブカルチャーについて使うならば有効ですが、日本で使うとなると実態と齟齬が生じてしまうわけです。それでは何がふさわしいのか。あえて主流文化と「下位文化」の線引きをするならば、規模の大小でしか分けられないでしょう。その規模すらかなり曖昧ですが。ただ二元論的に見るよりはまだ正確だと思います。この解釈に基づき、サブカルチャーの訳語として「小文化」をあて、当会は「小文化学会」と命名されたのです。

 

 

・参考文献

1ディック・ヘブディジ 山口淑子訳(1986年)サブカルチャー スタイルの意味するもの  未來社

宮沢章夫(2015年)東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版  河出書房新社