小文化学会の生活

Soliloquies of Associate Association for Subculture

中華街「西成」

 ぽわとりぃぬです。今回は、大阪にある「西成」の話をしようかと思います。「西成」という言葉からみなさんはどんなイメージを思い描くでしょうか。多くは「怖い」や「ホームレス」でしょう。「西成」は東京の山谷、横浜の寿と並んで日本三大ドヤ街の1つとして数えられ、かつ日本最大のドヤ街です(文献によっては名古屋の笹島も含まれ、日本4大ドヤ街ともいわれます)。ドヤ街とは簡易宿泊所のこと。1泊1000円前後、安いところで500円です。主な利用者は日雇い労働者のおっちゃんたちです。

 つまり「西成」は、超端的にいってしまえば日雇い労働者の街であり、貧しい街です。そんなわけで「西成」には怖い、汚い、危ないといったイメージが付きまとっているわけです。そしてそれに沿うようにしてメディアで描かれています。あべのハルカスの隣、飛田新地のすぐそば、通天閣から歩いて行ける距離に「日本の最貧困地域」はあるのです。こうした側面も確かに現実ですが、しかしながら、「西成」は今、急速に変化していっているのです。かつて「ホームレスの街」だの、「日本の最底辺」だの言われたこの街がどう変貌して、どう変貌しうるのか。その1つの答えが「中華街」です。

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ボードゲームの要素分析 (前編)

 お久しぶりです。エチゴニアです。

 最近はボードゲーム史の沼にはまっていて記事を書くのがおろそかになっていました。
 さて今回の記事では、ボードゲームをざっくりといくつかの要素に分解し、それぞれの要素の持つ特徴について分析しようと思います。遊ぶための条件にも深く関わってくるので、新しくボードゲームを買うときにも役に立つ、かもしれません。

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今年はこういうのを読みました2018

 2018年は終わるがキャラバンは進む。私たちも同じ場所や時間に留まりつづけることはできません。ならば日々成長あるのみ。今年は幸いにも方々でリアルな集いができたり、新しい方の寄稿があったりとモゾモゾ活動できたのではないかと思います。そんなわけで、今年も会員おのおのが今年読んだ本の紹介で締めくくらせていただきます。みなさん、よいお年を!

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考えすぎのJK、あるいはクレーマーへのベストな対処法

 ある日。私ぽわとりぃぬがいつもようにスーパーでレジのバイトをしているとバイト仲間(JK)の苛立った声が聞こえてきました。「こっちはさあ、お客様が神様だとか思ってないんだけど」。そう言いながら陳列棚の間を歩くバイトJK(以下JK)の隣には同じくバイト仲間(以下A)がいました。AもJKと同じくムカついているようです。どうやら2人はお客様にクレームを付けられたらしく、しかも直接言われたようで、JKのほうはかなりご立腹の様子でした。

 またある日。おじいさんがレジのバイト(以下B)に尋ねました。「飛騨高山の〇〇〇はどこにいったんや」。ジジイの滑舌さえよければ、肝心の商品名は私の耳にも届いたでしょう。何となく良い酒かなんかだろうとは思えました。ともあれ、レジのましてやバイトが商品の配置を把握しているわけはありません。それが分かってないこと、そしてボケに伴う社会性の消失が声の感じから察せられること、この2つによってすでにバイトの間には緊張感が生まれはじめていました。しかしこういう質問への返答は決まっているのです。地雷を踏むことを確信したうえで次の一歩をだすように、Bは定型句を答えました。「申し訳ありません、お客様が探してなかったらないですね」。

 

 

 Twitterなどでしばしばバズるネタの1つに、「クレーマーにこう切り返してやった」というのがあるかと思います。非常識なクレームに対し痛快な返答を浴びせるというカタルシスを得られるアレです。本稿で問題化するのは、これが現実的な解決方法じゃないという点です。何も私はこうしたツイートが全て創作だと言いたいのではありません。即座にうまい返しをしてクレーマーを退散させることももちろんできるでしょう。私が指摘したいのは、現実として、クレーマーの前にもお客様はいたし、クレーマーの後にもお客様はやってくる、接客はシフトの長さだけ続くという事実です。つまりこの気持ちのいい世界は、1ツイートのエピソードとして完結しているからこそあり得るということです。

 では痛快な返答ができない、すなわち相手を言い負かしてストレスを解消できないのだとしたら、現実問題としてクレーマーにはどう対処すればいいのでしょうか。その答えはこうなります。「バイト仲間と仲良くする」。誤解しないでほしいのですが、これはなにも一緒になってクレーマーを言い負かそうとしてくれるからということではないのです。話を私のバイトに戻します。

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ドイツ野球ブンデスリーガと助っ人外国人事情

皆様お久しぶりです。ドイツの野球をこよなく愛し、自身もドイツで野球をプレイしているドイツ野球の伝道師ことドイツ野球少年です。前回の記事「ドイツにおける野球の普及度」は大好評だったようで、本当にありがたく思っております。

 

今回は、ドイツ野球のトップリーグであるブンデスリーガ、特に助っ人外国人事情について語ります。前回の記事がまだドイツ野球の世界の入り口に立っている人向けのものだとすれば、今回の記事はドイツ野球を実際に見てみようとする方、または実際にドイツで野球をプレイする方の助けになればと願っております。

 

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『Sweet』・民主党・政権交代ーーー『「女子」の誕生』でわかること

どうも。つおおつです。

先日名古屋で行われたエロマンガ読書会には

小学会員3名と有志の方2名のあわせて5名の方が来ていただき、

少女コミック以降のエロマンガの通史や現状について情報共有したのち、最近の流行とその理由について考察するなど大変有意義な読書会となりました。

これからもこういった読書会を全国各地で精力的に開いていくつもりなので、今回興味があったけど参加できなかった方はぜひいらしてくださればと思います。

しかし、小文化学会はあにただにエロマンガのみならず、各人が小文化と思うものを考察していくサークルであります。

今回は、米澤泉『「女子」の誕生』(2014)の知識を借りながら、ファッション誌と日本の政治で同時に起きた「政権交代」について小規模な考察をしていこうと思います。

 

「女子」の誕生

「女子」の誕生

 

 

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水龍敬は根が真面目? ――そこから痴女とビッチについての一考察

 

 ぽわとりぃぬです。個人的な記憶なんですが、エロマンガないしエロ全般で「ビッチ」という用語が使われるようになったのって、ここ2、3年のことではないかと思うのです。エロに積極的な女キャラ、とりわけ誰とでもセックスをする女キャラの属性といえましょうか。しかし私がエロを見始めた10年以上前、彼女たちのような女キャラには「痴女」というラベルが貼られていたように思います。そこで本稿では痴女とビッチの関係について考察を試みます。ビッチは痴女に取り替わるのか、または下位区分の1つなのか。具体的にとりあげるのがタイトルのとおり水龍敬作品です。現在のエロマンガにおいてビッチといえばこの人でしょう。

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エロマンガレビュー ―『新堂エルの文化人類学』を文化人類学の院生が読んでみた―

 ぽわとりぃぬです。タイトルのとおり私は現在大学院で文化人類学を専攻しております。そんな私にとって外せないエロマンガが、『新堂エル文化人類学』です。今回の寄稿では、この単行本を文化人類学の観点からレビューしていこうかと思います。

 

 

 文化人類学という学問を聞いたことがあるでしょうか。文化人類学とは人間、特に他者を研究する学問です。19世紀後半から出来上がり始め、1922年をもって確立した比較的新しめの学問分野です。究極の問いは「人類とは何か」。では、社会人類学のほうは聞いたことがあるでしょうか。

 注目するのがモノや生活様式といった文化なら文化人類学、人間集団としての社会なら社会人類学というふうに、一応下位区分されます。とはいいつつ、実際にはほとんど同義語だったりします。「それは文化人類学社会人類学)の領域だよ」なんていうテーマもないだろうし、なんでもありの学問なので、そもそも扱えないテーマなんてないです。というわけで、私が専攻しているという理由から、用語は「文化人類学」で統一します。

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ドイツにおける野球の普及度

 ドイツと聞いて、最初に日本人が思い浮かべるもの、それはビールでしょう。あるいはサッカーでしょうか。ビールが美味しくてスポーツが盛ん、にもかかわらず野球が流行っていないなんておかしなことだと思うのは、本当に我々日本人だけでしょうか?

 

 さて、今回のテーマは「ドイツにおける野球の普及度」。日本人がほとんど知らない、ドイツでの野球の普及度がいかなるものであるか、わかりやすくまとめた世界初の記事となることを願っております。なるべく数的エビデンスの確保に努めましたが、筆者がドイツ生活で見聞したことも多く含まれるうえ、日々ドイツ野球に着目しながら生活しているため、多少のバイアスはかかっているかもしれません。ご了承ください。

 

 皆様初めまして。私「ドイツ野球少年」と申します。ドイツの野球を愛して7年、ドイツの野球についての情報をTwitterなどで発信しております。

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ロケットモンキーはNTRか -取られた女、所有ってた男、ビッチ―

 はじめまして、ぽわとりぃぬです。先日、名古屋で開催された新歓「マジメニエロマンガヨマナイト」に参加させていただきました。「田舎の表象」というテーマで時に楽しく脱線しながら語りつくしました。常日頃からエロマンガについてマジメに語らいたい私にとっては絶好の機会であり非常にエキサイティングな時間でした。
 
 さて、本稿では引き続きエロマンガについて少しマジメに考えてみたいと思います。テーマはタイトルの通り「ロケットモンキーNTRか」です。ロケットモンキーとはコミックホットミルクをメインに活躍しているエロマンガ家です。そしてNTRとは、とりあえずは、「主人公が恋人や妻を他の男に(性的な意味も含めて)奪われる、いわゆる寝取られの略語・隠語(byニコニコ大百科)」です。
 ロケットモンキー作品にNTRのタグが付くことは否定の余地なき事実です。しかし例えば彼の2nd単行本『純愛トリックスター』の帯には「ネトラレ??これでも純愛なんですが。」とあります。つまりロケットモンキー作品は「NTRっぽいけど、でもそうでもないんだよなあ」という印象を与えるものだといえるでしょう。この印象は、作品のコンセプトである「好きな人“以外”に犯されたい」ヒロインの存在に由来すると考えられます。このヒロインがいてNTR作品は成り立つのでしょうか。
 というわけでそんなNTRロケットモンキー作品についてこれから考えていこうと思いますが、その際の方向性が2つあります。1つが、本稿では、フランスのコキュ(cocue)や英語のcuckoldといった類似する外国の性癖と比較しない。もう1つが、谷崎潤一郎の『痴人の愛』やら『鍵』、紫式部の『源氏物語』といった既得権益を引っ張り出し、文学的歴史的に位置づけない。
 現前するNTRを現前する他ジャンルとの関係から浮き彫りにしたいのです。
 そしてここから本稿独自に、主に便利だからという理由で、NTRを寝取られやネトラレとは区別いたします。現在、様々なメディアで使われるこの3つは、使用者によって定義が異なり非常に混沌としてしまっております。本稿でどう区分するかについては以下の本論で説明します。

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